国境の島・対馬には、明治から昭和にかけて31か所もの砲台が築かれました。 尾崎半島は、島の中央に広がる浅茅湾(あそうわん)への敵艦の侵入を阻止するため、4つの砲台や軍事施設が集中する重要拠点です。 今回は、郷山砲台・郷崎砲台は省き、多功崎砲台・樫岳砲台(陸軍)と、海軍関係の施設がある東側(樋尻山)まで歩いてみました。 ※移動の短縮のため急傾斜や沢をショートカットしたり、逆に確認のため岬・小山の突端部まで足を延ばしていますが、通常は砲台記念碑(十字路)から各砲台への単純往復が安全、おすすめです。
長崎県対馬市美津島町尾崎の土寄橋方向からスタート(写真左側の細い道)
砲台探索計画。今回は、尾崎半島にある4つの砲台のうち2つと、海軍施設(機雷衛所?)のルートがつながるかどうか、確認するのが目的。
尾崎集落から軍道を2.1km進むと、飛岳指令所と4つの砲台につながる十字路に到着。砲台の記念碑が目印。今回はここまで車で来ましたが、悪路なので慣れてなければ徒歩が賢明(^^;)
岬の突端からは浅茅湾を一望。山は高度こそないが、いたるところ断崖絶壁。
明治期の陸軍の境界標石、通称「陸防」。反対側には「陸」の文字が。明治のものは石、昭和のものはセメント製。
多功崎砲台にて。トイレ?
多功崎砲台は、敵軍艦の側面を打ち抜くカノン砲(水平射出型)。
弾薬庫はセメントでコーティングされていました。
内部の様子。湿度管理のため漆喰が塗られています。奥は球形。
砲台の司令官の指揮所?
観測所は三本足タイプ。
方位?
標高らしき数字(153.82)が刻まれています。現在の国土地理院の地図では156m地点。ほぼ正確。
観測所の下には記録室?
伝声管で観測所とつながっています。
井戸。砲台には、井戸とトイレが必ずあります。
海岸部の通信施設に続く道。今回は通信施設には向かわず、樋尻山方面へ。この先は迷いやすい急傾斜なので注意。
落葉樹(アベマキ)の気持ちのよい道。
あちこちに円形の穴があります。
突端からのぞむ海。透明度が際立っています。
海軍施設の周辺で見られる、通称「海防」(裏に「防」の文字はないけど)がたくさんありました。こちらは20cm角、陸防は15cm角。
樋尻山手前(北側)に、広大な傾斜面が。崩れやすい堆積岩で、おそらく古代には海底だったんでしょうね。
傾斜面の上。木も生えない滑らかな傾斜。
樋尻山にある謎の海軍施設。資料では、機雷のオン・オフを管理する海軍衛所的な施設のはずが、これだけ。近くに、対馬空港近くのオキビラ山と同じ方形の穴(施設跡?)もありました。
ショートカットして沢に降りると、また謎の建造物(の一部)が。
尾崎半島の岬の突端や小山の山頂でよく見かける円形の穴。明治の砲台のように石・レンガは見られず、太平洋戦争のころのもの?
陸防が現れると、砲台が近い証拠。ひたすら斜面を登ります。
樫岳砲台の観測所。
観測所!
指揮所!
標高(182.18)? 地理院地図では190m地点なので、ほぼ正確。
樫岳砲台は、28センチ榴弾砲(敵艦の甲板を上部から打ち下ろす曲射弾道)。
弾薬庫も双子。
奥はかまぼこ型。
砲台が4門並列という珍しい形式。通常は、敵の1度の攻撃で全壊しないよう、2門1組で少し離して設置するのですが。
井戸!
砲台の入口、門です。
砲台の記念碑のところまで戻ってきました。今回は8kmほど歩いていました。
尾崎半島は砲台の聖地。その証拠に、尾崎に向かう道路沿いにも・・・。
防!
かつての軍道が、そのまま県道24号線になっているのです。