長崎街道 木屋瀬宿-飯塚宿 を歩いてみた。

2021.02.11(木) 日帰り

休みなのでどこかに行きたいけどコロナで人ごみを避けなきゃいけない、けど外歩きしたいので長崎街道を歩こうと思いました。 予定では木屋瀬宿から黒崎宿に行こうとしたけど、駐車場に着いて行先を飯塚宿に変えてみた。 11時過ぎからスタートしてのんびりと歩きながら進んでたけど、直方で小休止してスマホで到着予定時間を確認してると・・・!!そういえば車を置いてた駐車場が18時に施錠だったことに気付き、そこからは少し急ぎ足で歩きました。 飯塚に着いて新飯塚駅からJRを使って戻って施錠時間15分前に何とか間に合いました。 主要街道沿いなので庚申塔がたくさんありました。

木屋瀬宿から出発。

木屋瀬宿から出発。

木屋瀬宿から出発。

庚申塔。
年代は読み取れなかった。

庚申塔。 年代は読み取れなかった。

庚申塔。 年代は読み取れなかった。

テクテク歩く。

テクテク歩く。

テクテク歩く。

感田の休憩所。
1733年大雨で増水した遠賀川で大名行列の渡れそうな浅瀬を探してて溺死した島原藩の柴田丹兵衛という人が祀られてた。

感田の休憩所。 1733年大雨で増水した遠賀川で大名行列の渡れそうな浅瀬を探してて溺死した島原藩の柴田丹兵衛という人が祀られてた。

感田の休憩所。 1733年大雨で増水した遠賀川で大名行列の渡れそうな浅瀬を探してて溺死した島原藩の柴田丹兵衛という人が祀られてた。

感田の長崎街道の看板。

感田の長崎街道の看板。

感田の長崎街道の看板。

沈下橋を渡る。

沈下橋を渡る。

沈下橋を渡る。

渡し場の銀杏の大木。
江戸時代の人もこの大木を見上げてたのだろうか。

渡し場の銀杏の大木。 江戸時代の人もこの大木を見上げてたのだろうか。

渡し場の銀杏の大木。 江戸時代の人もこの大木を見上げてたのだろうか。

渡し場跡。

渡し場跡。

渡し場跡。

直方アーケード。
ほとんど開いてない。

直方アーケード。 ほとんど開いてない。

直方アーケード。 ほとんど開いてない。

直方は城下町で直線だと防備に不利なのでわざと曲がり角を作ってた。

直方は城下町で直線だと防備に不利なのでわざと曲がり角を作ってた。

直方は城下町で直線だと防備に不利なのでわざと曲がり角を作ってた。

庚申塔。
年代は読み取れなかった。

庚申塔。 年代は読み取れなかった。

庚申塔。 年代は読み取れなかった。

踏切を歩く。
右が飯塚方面左が田川方面の線路。

踏切を歩く。 右が飯塚方面左が田川方面の線路。

踏切を歩く。 右が飯塚方面左が田川方面の線路。

右が庚申塔、左は文字すら読み取れなった。
明治四年(1871)。

右が庚申塔、左は文字すら読み取れなった。 明治四年(1871)。

右が庚申塔、左は文字すら読み取れなった。 明治四年(1871)。

長崎街道跡石碑。

長崎街道跡石碑。

長崎街道跡石碑。

長崎街道ルートを行くにはこの水路と線路をくぐって行かなければ・・・さすがに行けない。

長崎街道ルートを行くにはこの水路と線路をくぐって行かなければ・・・さすがに行けない。

長崎街道ルートを行くにはこの水路と線路をくぐって行かなければ・・・さすがに行けない。

長崎街道跡石碑。

長崎街道跡石碑。

長崎街道跡石碑。

テクテク歩く。

テクテク歩く。

テクテク歩く。

長崎街道跡石碑。

長崎街道跡石碑。

長崎街道跡石碑。

庚申塔。
天保三年(1832)。
デザインがいい。

庚申塔。 天保三年(1832)。 デザインがいい。

庚申塔。 天保三年(1832)。 デザインがいい。

郡境石。
 従是北鞍手郡。

郡境石。 従是北鞍手郡。

郡境石。 従是北鞍手郡。

終盤になってきて、あとは道なりだと思って気を抜いて歩いてたら、ルートから外れてて戻る…貴重な時間が。

終盤になってきて、あとは道なりだと思って気を抜いて歩いてたら、ルートから外れてて戻る…貴重な時間が。

終盤になってきて、あとは道なりだと思って気を抜いて歩いてたら、ルートから外れてて戻る…貴重な時間が。

水江交差点。
ここも長崎街道。

水江交差点。 ここも長崎街道。

水江交差点。 ここも長崎街道。

庚申塔。
右は読み取れなったが左は嘉永四年(1851)。

庚申塔。 右は読み取れなったが左は嘉永四年(1851)。

庚申塔。 右は読み取れなったが左は嘉永四年(1851)。

石碑ばかり撮ってたので街並みを撮ってみた。

石碑ばかり撮ってたので街並みを撮ってみた。

石碑ばかり撮ってたので街並みを撮ってみた。

オランダ屋敷跡。
鎖国時代だから外国人専用の宿泊所。
シーボルトも泊った。

オランダ屋敷跡。 鎖国時代だから外国人専用の宿泊所。 シーボルトも泊った。

オランダ屋敷跡。 鎖国時代だから外国人専用の宿泊所。 シーボルトも泊った。

飯塚宿に到着。

飯塚宿に到着。

飯塚宿に到着。

飯塚のアーケード。
直方よりはシャッターが開いてる。

飯塚のアーケード。 直方よりはシャッターが開いてる。

飯塚のアーケード。 直方よりはシャッターが開いてる。

アーケードにある看板。

アーケードにある看板。

アーケードにある看板。

昔の飯塚宿。

昔の飯塚宿。

昔の飯塚宿。

嘉穂劇場。

嘉穂劇場。

嘉穂劇場。

今日3本目の沈下橋。

今日3本目の沈下橋。

今日3本目の沈下橋。

新飯塚駅からJRに乗って駐車場まで戻った。

新飯塚駅からJRに乗って駐車場まで戻った。

新飯塚駅からJRに乗って駐車場まで戻った。

木屋瀬宿から出発。

庚申塔。 年代は読み取れなかった。

テクテク歩く。

感田の休憩所。 1733年大雨で増水した遠賀川で大名行列の渡れそうな浅瀬を探してて溺死した島原藩の柴田丹兵衛という人が祀られてた。

感田の長崎街道の看板。

沈下橋を渡る。

渡し場の銀杏の大木。 江戸時代の人もこの大木を見上げてたのだろうか。

渡し場跡。

直方アーケード。 ほとんど開いてない。

直方は城下町で直線だと防備に不利なのでわざと曲がり角を作ってた。

庚申塔。 年代は読み取れなかった。

踏切を歩く。 右が飯塚方面左が田川方面の線路。

右が庚申塔、左は文字すら読み取れなった。 明治四年(1871)。

長崎街道跡石碑。

長崎街道ルートを行くにはこの水路と線路をくぐって行かなければ・・・さすがに行けない。

長崎街道跡石碑。

テクテク歩く。

長崎街道跡石碑。

庚申塔。 天保三年(1832)。 デザインがいい。

郡境石。 従是北鞍手郡。

終盤になってきて、あとは道なりだと思って気を抜いて歩いてたら、ルートから外れてて戻る…貴重な時間が。

水江交差点。 ここも長崎街道。

庚申塔。 右は読み取れなったが左は嘉永四年(1851)。

石碑ばかり撮ってたので街並みを撮ってみた。

オランダ屋敷跡。 鎖国時代だから外国人専用の宿泊所。 シーボルトも泊った。

飯塚宿に到着。

飯塚のアーケード。 直方よりはシャッターが開いてる。

アーケードにある看板。

昔の飯塚宿。

嘉穂劇場。

今日3本目の沈下橋。

新飯塚駅からJRに乗って駐車場まで戻った。