中央線沿線 早春の大地峠 ・ 矢平山・甚之函山

2021.02.07(日) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
7 時間 21
休憩時間
2 時間 30
距離
12.4 km
のぼり / くだり
1293 / 1235 m
4
2 25
36
5
39
18
1
1 39

活動詳細

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2021年2月7日(日) 今年最初の山歩きは中央線沿線 前道志山塊の大地峠へ。 この峠路はこの山域では最も古い歴史を持ち、山中には江戸時代の馬頭観音の像塔4、文字碑4、庚申塔1、山神祠3、詳細不明の石仏1などがあります。 また室町か戦国期から小規模ながら採鉱が続けられた金鉱を有する高柄山に通じる路でもあって、武田信玄伝説も伝えられています。 例年まだまだ寒さ厳しい時期ですが、この日は陽射しの温もりが感じられて、景色も柔らかく霞みがかっていました。 山中では登山口で2人、矢平山近くで1人を見ただけの静かな山歩きとなりました。 mixi公開日記 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1978613966&owner_id=12844177 0、新年初山行 1、大地峠へ 2、矢平山・甚之函山 3、秋田の猫 たまちゃんを想う (なお、この付近の詳しい歴史や伝説については昨年の記録・mixi日記に記しています。) 大地峠の歴史と伝説を訪ねて https://yamap.com/activities/5248959 mixi公開日記 https://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=12844177&id=1974319223 目次 0、中央線沿線の山へ 1、月待信仰の祈念碑「二十三夜塔」 2、川合峠 消えた馬頭観世音碑 3、石像碑の発見と山神祠群 4、「御座敷の松」信玄伝説と金鉱跡 5、大地峠と大丸の歴史を探る (6、金山峠・電笠・金毘羅山 7、桜井峠 養蚕信仰の石祠 8、一古沢から藤野町へ)

倉岳山・高畑山・九鬼山 四方津駅から駅舎の窓越しに撮影。中央左は「前道志」の主峰 倉岳山。
四方津駅から駅舎の窓越しに撮影。中央左は「前道志」の主峰 倉岳山。
倉岳山・高畑山・九鬼山 川合集落の畑に並ぶ石造物群。
川合集落の畑に並ぶ石造物群。
倉岳山・高畑山・九鬼山 月待信仰の二十三夜塔(享和二年 1802年)
月待信仰の二十三夜塔(享和二年 1802年)
倉岳山・高畑山・九鬼山 幅広い職能集団から信仰された聖徳太子。この碑には「大工 久嶋」とある。(慶應4年 1868年)
幅広い職能集団から信仰された聖徳太子。この碑には「大工 久嶋」とある。(慶應4年 1868年)
倉岳山・高畑山・九鬼山 登山口からすぐのところにある川合峠。
登山口からすぐのところにある川合峠。
倉岳山・高畑山・九鬼山 馬頭観世音(寛政8年 1796年)。
馬頭観世音(寛政8年 1796年)。
倉岳山・高畑山・九鬼山 南無馬頭観世音菩薩(享和2年 1802年)。隣りにもう一基あり。
南無馬頭観世音菩薩(享和2年 1802年)。隣りにもう一基あり。
倉岳山・高畑山・九鬼山 馬頭観音(寛政元年 1789年)。川合峠の4基のうち唯一の像塔。
馬頭観音(寛政元年 1789年)。川合峠の4基のうち唯一の像塔。
倉岳山・高畑山・九鬼山 朝陽に輝く峠路を行く。
朝陽に輝く峠路を行く。
倉岳山・高畑山・九鬼山 荒れ果てた昔の祭祀場。
荒れ果てた昔の祭祀場。
倉岳山・高畑山・九鬼山 山神祠はバラバラになっていた。
山神祠はバラバラになっていた。
倉岳山・高畑山・九鬼山 元の形に復元。(寛政三年 1791年  願主 嶋田氏)
元の形に復元。(寛政三年 1791年 願主 嶋田氏)
倉岳山・高畑山・九鬼山 石祠型青面金剛庚申塔。六手・二鶏・三猿・日輪・月輪があしらわれた江戸時代中期以降の典型的な庚申像。
石祠型青面金剛庚申塔。六手・二鶏・三猿・日輪・月輪があしらわれた江戸時代中期以降の典型的な庚申像。
倉岳山・高畑山・九鬼山 山神祠(寛政十二年 1800年)
山神祠(寛政十二年 1800年)
倉岳山・高畑山・九鬼山 側面。屋根が大きく張り出している。
側面。屋根が大きく張り出している。
倉岳山・高畑山・九鬼山 右の庚申塔の屋根は重すぎて復元できず。
右の庚申塔の屋根は重すぎて復元できず。
倉岳山・高畑山・九鬼山 昨年 初めて存在に気付いた石仏。いつも後光が射している。
昨年 初めて存在に気付いた石仏。いつも後光が射している。
倉岳山・高畑山・九鬼山 詳細不詳。文字は風化して読み取れない。
詳細不詳。文字は風化して読み取れない。
倉岳山・高畑山・九鬼山 寛延○年の馬頭観音。(*寛延年間は
1748~1751)
寛延○年の馬頭観音。(*寛延年間は 1748~1751)
倉岳山・高畑山・九鬼山 この付近は峠路の難所だったと考えられる。露岩を台座としている。
この付近は峠路の難所だったと考えられる。露岩を台座としている。
倉岳山・高畑山・九鬼山 眼下に林道が通されており、急斜面の為、高度感がある。
眼下に林道が通されており、急斜面の為、高度感がある。
倉岳山・高畑山・九鬼山 またすぐに馬頭観音に出会う(寛政六年 1794年)。
またすぐに馬頭観音に出会う(寛政六年 1794年)。
倉岳山・高畑山・九鬼山 樹勢の良い松の若木。武田信玄伝説のある「御座敷の松」(御座の松)を後世に伝えるべく植樹された。
樹勢の良い松の若木。武田信玄伝説のある「御座敷の松」(御座の松)を後世に伝えるべく植樹された。
倉岳山・高畑山・九鬼山 高柄山の「金山(かなやま)金山遺跡」は戦国時代の金鉱跡で、武田の金山衆がこの峠路を使った可能性はありそうだ。北に大岳山の頂稜が見える。
高柄山の「金山(かなやま)金山遺跡」は戦国時代の金鉱跡で、武田の金山衆がこの峠路を使った可能性はありそうだ。北に大岳山の頂稜が見える。
倉岳山・高畑山・九鬼山 大丸から東に望む高柄山。室町か戦国時代からの歴史を有する金山金山遺跡がある。
大丸から東に望む高柄山。室町か戦国時代からの歴史を有する金山金山遺跡がある。
倉岳山・高畑山・九鬼山 地形図上の 大地峠。(秋山村では「川合峠」「二番峠」と称された。)
地形図上の 大地峠。(秋山村では「川合峠」「二番峠」と称された。)
倉岳山・高畑山・九鬼山 いわゆる旧 大地峠。(南麓の秋山村では昔「一番峠」とも呼ばれた。)こちらのほうが峠らしい風情。
いわゆる旧 大地峠。(南麓の秋山村では昔「一番峠」とも呼ばれた。)こちらのほうが峠らしい風情。
倉岳山・高畑山・九鬼山 便宜的に新旧が付けられているが分けて考える意味はない。
便宜的に新旧が付けられているが分けて考える意味はない。
倉岳山・高畑山・九鬼山 山名由来として矢竹の採取、射矢場…など諸説あるが不詳。甲斐国志にはヤタイロの名も見えるが同名の山が近くの山域にもあり、地形に由来するものか。
山名由来として矢竹の採取、射矢場…など諸説あるが不詳。甲斐国志にはヤタイロの名も見えるが同名の山が近くの山域にもあり、地形に由来するものか。
倉岳山・高畑山・九鬼山 三等三角点がある。三角点名は寺下村。
三等三角点がある。三角点名は寺下村。
倉岳山・高畑山・九鬼山 平坦な稜線が気持ち良い。
平坦な稜線が気持ち良い。
倉岳山・高畑山・九鬼山 弓矢の練習は確かにできそうだが…。
弓矢の練習は確かにできそうだが…。
倉岳山・高畑山・九鬼山 文面の「それと、」は話し言葉なので、「なお、」などにすべきだと思う。
文面の「それと、」は話し言葉なので、「なお、」などにすべきだと思う。
倉岳山・高畑山・九鬼山 矢平山(860)を振り返る。昔の地図には「大地山」の名もある。
矢平山(860)を振り返る。昔の地図には「大地山」の名もある。
倉岳山・高畑山・九鬼山 続いて甚之箱山へ(810)。
続いて甚之箱山へ(810)。
倉岳山・高畑山・九鬼山 山名由来が気になる。
山名由来が気になる。
倉岳山・高畑山・九鬼山 南には道志山塊主稜の向こうに西丹沢の加入道山、大室山、檜洞丸。
南には道志山塊主稜の向こうに西丹沢の加入道山、大室山、檜洞丸。
倉岳山・高畑山・九鬼山 一回転ねじれ杉。
一回転ねじれ杉。
倉岳山・高畑山・九鬼山 北に甲武国境の山波と奥多摩 大岳山の頂稜。
北に甲武国境の山波と奥多摩 大岳山の頂稜。
倉岳山・高畑山・九鬼山 西遠方に南大菩薩の滝子山。
西遠方に南大菩薩の滝子山。
倉岳山・高畑山・九鬼山 北には扇山と権現山稜。
北には扇山と権現山稜。
倉岳山・高畑山・九鬼山 八幡神社。
八幡神社。
倉岳山・高畑山・九鬼山 八幡神社前から北を望む。
八幡神社前から北を望む。
倉岳山・高畑山・九鬼山 四方津駅に戻ってきました。
四方津駅に戻ってきました。
倉岳山・高畑山・九鬼山 上野原の鶴島御前山と栩穴御前山。
上野原の鶴島御前山と栩穴御前山。

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