活動データ
タイム
04:42
距離
13.1km
のぼり
851m
くだり
849m
チェックポイント
活動詳細
すべて見る失われた峠シリーズ第2弾❗️(日付はこっちの方が前だけどw) っていうかシリーズだったの!?😅 豊後(大分県)から日向(宮崎県)に抜ける街道は現在、国道326号と10号、それに東九州自動車道があります。しかし、明治以前は326号と10号の間に梓峠というのがあり、そちらがメインでした。明治政府が、より東側の赤松峠〜宗太郎峠を軍道として指定したことにより、一気に廃れました。 今回はこの日向街道をトレースする形で、梓峠へ登ってみます!先人たちがネットに残してくれた登山記録を読んで情報収集しますが、情報古い上に乏しい…😖 YAMAPにもヤマレコにも登山レポが全然無いという💧 まずは豊後大野市三重町から国道326号を南下。改良が繰り返されただけあって、快走路です👍みんな70-80キロで爆走してます😅 宇目町小野市で左折し、重岡へ。このルートは古代官道としての日向街道をほぼ忠実になぞってます。宇目緑豊中学校を過ぎ、消防署分署前を右折して重岡地区へ入ります。水ヶ谷地区へ向かう市道に車を走らせ、緑資源幹線林道との交差点近くの空地に駐車しました。 この日の行程の2/3は舗装路歩きですが、予想通り全く人と出会いません。市道突き当りの水ヶ谷地区は5世帯6人の限界集落なので当然ですが。軽トラとは1回すれ違いましたが、運転手さんこっちを見て目をむいてましたw こんなところ歩く物好きはおらんのやろうなあ… 道沿いには中世の山城跡や古戦場跡が点在してますが、痕跡はほぼ不明です。あちこち寄り道しながら、水ヶ谷地区の手前でようやく梓峠への分岐へ入りました。 ここからは未舗装林道で、地形図の点線表示とは微妙に異なる軌跡を描きながら高度を上げていきます。現役の街道だった頃は当然徒歩道だった訳で、車の通行も考慮した林道とはルート異なるのはある意味当然ですが、現役当時も大雨とかで崩れて、頻繁にルートが細々と変わっていたでしょうから、ほぼトレースできているものと考えました。山仕事の作業道らしき分岐はいくつもありますが、事前情報と地形図のおかげで迷うことなく行けました。 道が不明瞭となってからはルートファインディングしながら登ることになりますが、忘れたころにまばらにテープが付いてますし、なんとなく道っぽい所を選んで尾根を目指せば大丈夫です。 最高点の梓嶺まではそれほど苦もなく行けたのですが、旧道の梓峠はどこだかわからず💧 大分県側はなんとなくここかな?ってな道っぽい所を見つけましたが、宮崎県側の下り口がわからず…山頂稜線近くをウロウロ歩き回りましたが、結局心折れて下山しました💦 でもまあ、戦国時代末期に大友軍と島津軍が激突したり、明治になって西南戦争で西郷軍と官軍が激戦を繰り広げた歴史ある街道と峠を満喫できたので、満足しています❗️ さて第3弾は何処へ!? (あるのか…?今のところ予定は未定😅
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