船岡山をぐるり周回

2021.01.11(月) 日帰り

今日は昼からかつらぎ町に残る万葉の風景を見に出かけた 妹山・背山のルートは国土地理院の地図上の歩道でなく農道を上手く利用するとスムーズに歩ける この旅の調査で妹背山は背ノ山(双耳峰)説が有力だと知りました 今回は片方の頂上しか行っていないので次回は古代史の南海道ルートを調査して万葉の風景の旅をしてみたいと思いました 船岡山: 紀の川に浮かぶ小島で、中山とも呼ばれている。平安時代、関白藤原頼道が高野参詣の帰途、この地で舟遊びを楽しんだそうです 昭和50年代、紀の川の水防対策工事のため発掘調査が行われた際、南岸の斜面で弥生時代の竪穴住居遺跡などが検出されたが、この遺跡は護岸工事により現存しない 昭和63年春、船岡山の南側に長さ80メートルの吊り橋が架けられた。この橋を渡って、弁財天を祭る厳島神社を参詣したあと、島内一周の遊歩道を散策しながら、さわやかな川風と森林浴を楽しめる 妹背山(妹山・背山): 今からおよそ1350年前「大化の改新」の詔によって、畿内国の南限(朝廷が治める国の南の境)が兄山(背山)と定められました 兄とは、兄の君(背の君・兄弟)を表し妹も妻・娘への敬称である。兄山(背山)と妹山の二つの峰は紀ノ川を挟んでなかよく並んでいるので、妹山・背山(妹背山)と呼ばれました 具体的には、紀の川をはさんで左がわの台地のような山を妹山、それに対して右がわの山を背山と呼び、おたがいに向かい合っている情景から妹背山と見立てたのです いずれにしても、万葉の旅人は紀伊の国のむつまじい妹背山を眺めて、ふるさと大和の夫婦山・・・「二上山」を思い出させ郷愁に駆られた。長い草枕の道すがら有名な歌枕として万葉歌十五首、とりわけ相聞歌が数多く詠まれました 詠まれた歌枕の数は、筑波山に次いで全国で2番目に多いそうです

船岡山入口の吊り橋

船岡山入口の吊り橋

船岡山入口の吊り橋

厳島神社

厳島神社

厳島神社

厳島神社/本殿

厳島神社/本殿

厳島神社/本殿

島内の周回散策路

島内の周回散策路

島内の周回散策路

モノレールに沿って歩くと親切なことにアルミの梯子までが設置されていた

モノレールに沿って歩くと親切なことにアルミの梯子までが設置されていた

モノレールに沿って歩くと親切なことにアルミの梯子までが設置されていた

しかし、妹山はこの藪にしっかりとガードされていた
藪を越えると農作業している人がいたので妹山の頂上を訊ねるとこの辺りがそうだと教えてくれ周辺の山情報やげざんるーとまで教えてくれた

しかし、妹山はこの藪にしっかりとガードされていた 藪を越えると農作業している人がいたので妹山の頂上を訊ねるとこの辺りがそうだと教えてくれ周辺の山情報やげざんるーとまで教えてくれた

しかし、妹山はこの藪にしっかりとガードされていた 藪を越えると農作業している人がいたので妹山の頂上を訊ねるとこの辺りがそうだと教えてくれ周辺の山情報やげざんるーとまで教えてくれた

妹山
現在は柿畑になっていて広い畑のどこに三角点があるか分からなかった
妹山は、「長者屋敷」とも呼ばれているらしい。「紀伊国名所絵図」によると、昔このあたりに「雛子長者」という富豪がいて、山上を平らにし玉楼を構えたので、いつのころからかこう呼ばれるようになったと伝えられている

妹山 現在は柿畑になっていて広い畑のどこに三角点があるか分からなかった 妹山は、「長者屋敷」とも呼ばれているらしい。「紀伊国名所絵図」によると、昔このあたりに「雛子長者」という富豪がいて、山上を平らにし玉楼を構えたので、いつのころからかこう呼ばれるようになったと伝えられている

妹山 現在は柿畑になっていて広い畑のどこに三角点があるか分からなかった 妹山は、「長者屋敷」とも呼ばれているらしい。「紀伊国名所絵図」によると、昔このあたりに「雛子長者」という富豪がいて、山上を平らにし玉楼を構えたので、いつのころからかこう呼ばれるようになったと伝えられている

頂上の畑から背山を見る
かつらぎ町の観光パンフレット背山二峯となっていたがここから見るとそれが良くわかる
妹山からの下りは農家の人から聞いた農道を下って降りる

頂上の畑から背山を見る かつらぎ町の観光パンフレット背山二峯となっていたがここから見るとそれが良くわかる 妹山からの下りは農家の人から聞いた農道を下って降りる

頂上の畑から背山を見る かつらぎ町の観光パンフレット背山二峯となっていたがここから見るとそれが良くわかる 妹山からの下りは農家の人から聞いた農道を下って降りる

麻生津大橋から背ノ山方面を見る

麻生津大橋から背ノ山方面を見る

麻生津大橋から背ノ山方面を見る

左から背山・船岡山・妹山の三山が並ぶ
万葉の歌人はこのふたつの山(妹山・背山)が並ぶ風景を見て妹背山と呼んだのでしょうか?
近年では背山にあるふたつの峰を指して妹背山とする説が有力のようです
大和の二上山を懐かしんで眺めたのであればやはり後説の方が正しいのでしょうか

左から背山・船岡山・妹山の三山が並ぶ 万葉の歌人はこのふたつの山(妹山・背山)が並ぶ風景を見て妹背山と呼んだのでしょうか? 近年では背山にあるふたつの峰を指して妹背山とする説が有力のようです 大和の二上山を懐かしんで眺めたのであればやはり後説の方が正しいのでしょうか

左から背山・船岡山・妹山の三山が並ぶ 万葉の歌人はこのふたつの山(妹山・背山)が並ぶ風景を見て妹背山と呼んだのでしょうか? 近年では背山にあるふたつの峰を指して妹背山とする説が有力のようです 大和の二上山を懐かしんで眺めたのであればやはり後説の方が正しいのでしょうか

手前に船岡山と妹山、奥に高野山方面の山並み

手前に船岡山と妹山、奥に高野山方面の山並み

手前に船岡山と妹山、奥に高野山方面の山並み

背山の麓/極楽寺

背山の麓/極楽寺

背山の麓/極楽寺

背山の万葉歌碑

背山の万葉歌碑

背山の万葉歌碑

背山頂上(山頂表記は城山)
この城山と鉢伏山で双耳峰となっている

背山頂上(山頂表記は城山) この城山と鉢伏山で双耳峰となっている

背山頂上(山頂表記は城山) この城山と鉢伏山で双耳峰となっている

背山頂上
等級種別	三等三角点	
基準点名	鉢伏山
北緯	34°17′08″.6652
東経	135°27′12″.9343
標高(m)	167.44

背山頂上 等級種別 三等三角点 基準点名 鉢伏山 北緯 34°17′08″.6652 東経 135°27′12″.9343 標高(m) 167.44

背山頂上 等級種別 三等三角点 基準点名 鉢伏山 北緯 34°17′08″.6652 東経 135°27′12″.9343 標高(m) 167.44

飯盛山

飯盛山

飯盛山

大門口橋から紀の川下流方向を眺める
紀ノ川越しに背ノ山が見えている

大門口橋から紀の川下流方向を眺める 紀ノ川越しに背ノ山が見えている

大門口橋から紀の川下流方向を眺める 紀ノ川越しに背ノ山が見えている

大門口橋から紀の川上流方向を眺める

大門口橋から紀の川上流方向を眺める

大門口橋から紀の川上流方向を眺める

堤防を背にして立つ祠
洪水を鎮めるための物でしょうか

堤防を背にして立つ祠 洪水を鎮めるための物でしょうか

堤防を背にして立つ祠 洪水を鎮めるための物でしょうか

船岡山に戻って来ました

船岡山に戻って来ました

船岡山に戻って来ました

船岡山入口の吊り橋

厳島神社

厳島神社/本殿

島内の周回散策路

モノレールに沿って歩くと親切なことにアルミの梯子までが設置されていた

しかし、妹山はこの藪にしっかりとガードされていた 藪を越えると農作業している人がいたので妹山の頂上を訊ねるとこの辺りがそうだと教えてくれ周辺の山情報やげざんるーとまで教えてくれた

妹山 現在は柿畑になっていて広い畑のどこに三角点があるか分からなかった 妹山は、「長者屋敷」とも呼ばれているらしい。「紀伊国名所絵図」によると、昔このあたりに「雛子長者」という富豪がいて、山上を平らにし玉楼を構えたので、いつのころからかこう呼ばれるようになったと伝えられている

頂上の畑から背山を見る かつらぎ町の観光パンフレット背山二峯となっていたがここから見るとそれが良くわかる 妹山からの下りは農家の人から聞いた農道を下って降りる

麻生津大橋から背ノ山方面を見る

左から背山・船岡山・妹山の三山が並ぶ 万葉の歌人はこのふたつの山(妹山・背山)が並ぶ風景を見て妹背山と呼んだのでしょうか? 近年では背山にあるふたつの峰を指して妹背山とする説が有力のようです 大和の二上山を懐かしんで眺めたのであればやはり後説の方が正しいのでしょうか

手前に船岡山と妹山、奥に高野山方面の山並み

背山の麓/極楽寺

背山の万葉歌碑

背山頂上(山頂表記は城山) この城山と鉢伏山で双耳峰となっている

背山頂上 等級種別 三等三角点 基準点名 鉢伏山 北緯 34°17′08″.6652 東経 135°27′12″.9343 標高(m) 167.44

飯盛山

大門口橋から紀の川下流方向を眺める 紀ノ川越しに背ノ山が見えている

大門口橋から紀の川上流方向を眺める

堤防を背にして立つ祠 洪水を鎮めるための物でしょうか

船岡山に戻って来ました