猿橋城山と神楽山、そして菊花山の眺望。

2021.01.04(月) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
6 時間 16
休憩時間
1 時間 20
距離
9.7 km
のぼり / くだり
926 / 884 m
1 9
2 6
5
25
29
7

活動詳細

すべて見る

年が明けてから、最初の山歩きをKZ氏と約束していたにもかかわらず、帰省先で酩酊し帰京が遅れ、結局反故にしてしまうという失態を演じてしまった。 それで、とりあえずひとりで何処かの山に登ってこようと思うが、茫洋として行先が定まらない。酩酊は治まっているが、身体がだるい。それでも未明に目覚めたので、身支度を整え、出掛けることにした。 高尾駅で中央本線の甲府行きに乗り換える。何も思い浮かばない時は、何度も通っている倉岳山に思案が傾く。 倉岳山の、久しく登っていない北尾根を直登し、その後は新年と云うことで、富士山を眺めながら前道志の山稜を歩こう。疲れてしまうようであれば、高畑山か大桑山で下山に掛かればよい。 そんな風に、電車の中で考えは、纏まっていったのだが…。

雁ヶ腹摺山・岩殿山 纏まっていったのだが、スチームで暖かい電車の中に居て、ふたたび思案が、少々傾き始める。

倉岳山北尾根の起点、下畑の八幡神社の風情を想起させる。当たり前だが、山の北面で陽が射さず、薄ら寒い情景が浮かぶ。

せっかくの好天である。歩き出しは陽光を浴びながら、のんびりと行きたい。

鉄道の新桂川橋に沿って歩き、河岸段丘を対岸に渡っていく散策が、暖かそうである。

そんなわけで、当初の案を逆回りに、先ずは大桑山に登ろうと云うことにして、鳥沢駅に降り立った。
纏まっていったのだが、スチームで暖かい電車の中に居て、ふたたび思案が、少々傾き始める。 倉岳山北尾根の起点、下畑の八幡神社の風情を想起させる。当たり前だが、山の北面で陽が射さず、薄ら寒い情景が浮かぶ。 せっかくの好天である。歩き出しは陽光を浴びながら、のんびりと行きたい。 鉄道の新桂川橋に沿って歩き、河岸段丘を対岸に渡っていく散策が、暖かそうである。 そんなわけで、当初の案を逆回りに、先ずは大桑山に登ろうと云うことにして、鳥沢駅に降り立った。
雁ヶ腹摺山・岩殿山 誰も居ない鳥沢駅前から、線路沿いに、細い路地が繋がっている。中央本線を渡る箇所に近づくと、福地権現の小さい社に向かって坂道を登っていく。

陸橋の途中で大月の方を眺めると、端然と聳えるふたつの山がきれいに並んでいた。

顕著なのは左側の、標高549mのピークだが、山名は無い。右側の山は、中央本線が猿橋トンネルで貫く、標高544.5mの三角点が設置された、猿橋城山(じょうやま)である。
誰も居ない鳥沢駅前から、線路沿いに、細い路地が繋がっている。中央本線を渡る箇所に近づくと、福地権現の小さい社に向かって坂道を登っていく。 陸橋の途中で大月の方を眺めると、端然と聳えるふたつの山がきれいに並んでいた。 顕著なのは左側の、標高549mのピークだが、山名は無い。右側の山は、中央本線が猿橋トンネルで貫く、標高544.5mの三角点が設置された、猿橋城山(じょうやま)である。
雁ヶ腹摺山・岩殿山 静謐な冬の空気に、暖かい陽光を浴びながら歩く。とても心地がよい。

線路の南側に渡り、新桂川橋の袂まで来ると、対岸に近づいた猿橋城山の上に、白い月が浮かんでいる。それで唐突に、登ってみたくなった。
静謐な冬の空気に、暖かい陽光を浴びながら歩く。とても心地がよい。 線路の南側に渡り、新桂川橋の袂まで来ると、対岸に近づいた猿橋城山の上に、白い月が浮かんでいる。それで唐突に、登ってみたくなった。
雁ヶ腹摺山・岩殿山 行き当たりばったりで、どうしたことかと思うが、またまた計画変更である。低山に登って、その後はどうするかと云うことは、なにも考えていない。

猿橋城山に登る為には、昭文社地図に拠れば、北面の猿橋小学校側に廻らなければならない。

心地好い散策であるから、県道梁川猿橋線を、ずっと歩いていっても差し支えは無い。

しかし、猿橋城山は、岩殿城を守護する要害の山である。あらゆる方角に、人為的に施された、歩ける尾根があるに違いない。

そんなことを考えながら、鉄橋の下を併行する橋を歩いていく。
行き当たりばったりで、どうしたことかと思うが、またまた計画変更である。低山に登って、その後はどうするかと云うことは、なにも考えていない。 猿橋城山に登る為には、昭文社地図に拠れば、北面の猿橋小学校側に廻らなければならない。 心地好い散策であるから、県道梁川猿橋線を、ずっと歩いていっても差し支えは無い。 しかし、猿橋城山は、岩殿城を守護する要害の山である。あらゆる方角に、人為的に施された、歩ける尾根があるに違いない。 そんなことを考えながら、鉄橋の下を併行する橋を歩いていく。
雁ヶ腹摺山・岩殿山 桂川を渡り、藤崎地区に入り、段丘を上がっていくと、集落が現われる。

庚申塚と石祠が祀られている、旧家の石壁を迂回すると県道に合流し、程無く臨済宗建長寺派の古刹、妙楽寺に到着した。
桂川を渡り、藤崎地区に入り、段丘を上がっていくと、集落が現われる。 庚申塚と石祠が祀られている、旧家の石壁を迂回すると県道に合流し、程無く臨済宗建長寺派の古刹、妙楽寺に到着した。
雁ヶ腹摺山・岩殿山 妙楽寺は甲州道中桃太郎伝説の御朱印巡り、の第五番札所となっている。

甲州の桃太郎は、百蔵(ももくら)山の桃の木から落ちた桃の実から生まれ、岩殿山に棲む鬼退治に…。

談合坂SA(団子坂)でゲットした(?)団子で、犬目宿で犬を、鳥沢宿で雉を、そして猿橋宿で猿を…と、お供に加え、いざ岩殿山! と云うお話。

駄洒落とは云えよく出来ていると思う。
妙楽寺は甲州道中桃太郎伝説の御朱印巡り、の第五番札所となっている。 甲州の桃太郎は、百蔵(ももくら)山の桃の木から落ちた桃の実から生まれ、岩殿山に棲む鬼退治に…。 談合坂SA(団子坂)でゲットした(?)団子で、犬目宿で犬を、鳥沢宿で雉を、そして猿橋宿で猿を…と、お供に加え、いざ岩殿山! と云うお話。 駄洒落とは云えよく出来ていると思う。
雁ヶ腹摺山・岩殿山 猿橋城山の東側に延びる尾根が、大きくふたつに分かれて、その谷間に集落が形成されている。妙楽寺は、北側の方の尾根末端に建てられていた。

里山への登り口は、おおよそ寺社を見当にして行くと見つかりやすい。妙楽寺に向かって左側に、墓地への舗道が在ったので入っていった。

電波塔が立ち、百蔵山を望める小高い丘の墓地で小休止とした。ここでストレッチスパッツを装着し、靴紐を締め直す。

猿橋城山それ自体、余り登られていない山である。それをバリエーション・ルートで登るからには、難渋する道程を覚悟しなければならない。そんな気持ちで、ふたたび歩き始めた。

尾根に遮られて陽が翳り、薄暗い谷に沿って、緩やかに登っていく。左手の尾根に登ってしまえば、造作の無い行程である。

やがて害獣防護柵に行き当たり、どうしようかと思案する。一箇所、破壊されたところを進入し、踏路を見つけられないまま、無理矢理に尾根を登っていった。
猿橋城山の東側に延びる尾根が、大きくふたつに分かれて、その谷間に集落が形成されている。妙楽寺は、北側の方の尾根末端に建てられていた。 里山への登り口は、おおよそ寺社を見当にして行くと見つかりやすい。妙楽寺に向かって左側に、墓地への舗道が在ったので入っていった。 電波塔が立ち、百蔵山を望める小高い丘の墓地で小休止とした。ここでストレッチスパッツを装着し、靴紐を締め直す。 猿橋城山それ自体、余り登られていない山である。それをバリエーション・ルートで登るからには、難渋する道程を覚悟しなければならない。そんな気持ちで、ふたたび歩き始めた。 尾根に遮られて陽が翳り、薄暗い谷に沿って、緩やかに登っていく。左手の尾根に登ってしまえば、造作の無い行程である。 やがて害獣防護柵に行き当たり、どうしようかと思案する。一箇所、破壊されたところを進入し、踏路を見つけられないまま、無理矢理に尾根を登っていった。
雁ヶ腹摺山・岩殿山 作業道的踏み跡は窺えるが、急斜面は厳しく、木々に摑まりながら攀じ登り、ようやく尾根に乗った。ふたたびの陽差しを浴びて安堵する。

尾根上は明瞭に踏路が続いていて、電線を繋ぐ細い電柱が断続的に設置されている。

妙楽寺の本殿脇に、尾根末端に続く踏路も確認していた。おそらくその道が正解だったものと察せられた。
作業道的踏み跡は窺えるが、急斜面は厳しく、木々に摑まりながら攀じ登り、ようやく尾根に乗った。ふたたびの陽差しを浴びて安堵する。 尾根上は明瞭に踏路が続いていて、電線を繋ぐ細い電柱が断続的に設置されている。 妙楽寺の本殿脇に、尾根末端に続く踏路も確認していた。おそらくその道が正解だったものと察せられた。
雁ヶ腹摺山・岩殿山 明確に続く尾根道を直進し、やがて北東の尾根が近づく。踏路は尾根に併行して、無理せず山腹トラバースを形成しながら合流した。

電柱と電線も相変わらず辿っている。まさか山頂に電気が通っているのでは、などと考えつつ、黙々と登り続ける。
明確に続く尾根道を直進し、やがて北東の尾根が近づく。踏路は尾根に併行して、無理せず山腹トラバースを形成しながら合流した。 電柱と電線も相変わらず辿っている。まさか山頂に電気が通っているのでは、などと考えつつ、黙々と登り続ける。
雁ヶ腹摺山・岩殿山 樹間より、猿橋地区の風景を窺うようになった。要害の地では、このような角度で甲州街道を睥睨していたのだろうか。

東南の尾根が近づいてきて、やがて合流しても、電線は続いていた。どうなることかと思って歩いていくと、標高490m附近で、左側の谷筋に道が分かれ、電線もそちらに去っていった。

南面を旋回して、やがて妙楽寺の方に辿っていく道と察せられた。
樹間より、猿橋地区の風景を窺うようになった。要害の地では、このような角度で甲州街道を睥睨していたのだろうか。 東南の尾根が近づいてきて、やがて合流しても、電線は続いていた。どうなることかと思って歩いていくと、標高490m附近で、左側の谷筋に道が分かれ、電線もそちらに去っていった。 南面を旋回して、やがて妙楽寺の方に辿っていく道と察せられた。
雁ヶ腹摺山・岩殿山 城砦の山頂まであと少し、と云うところで急勾配になった。

樹林が疎らになり、背後が明るくなったなと感じて振り向くと、桂川と中央本線の鉄橋、そして山腹を辿る中央高速道を従えた里山群。

先ほど歩いてきた鳥沢を見下ろす風景が広がっていた。
城砦の山頂まであと少し、と云うところで急勾配になった。 樹林が疎らになり、背後が明るくなったなと感じて振り向くと、桂川と中央本線の鉄橋、そして山腹を辿る中央高速道を従えた里山群。 先ほど歩いてきた鳥沢を見下ろす風景が広がっていた。
雁ヶ腹摺山・岩殿山 妙楽寺を出発してから約四十分の所要時間で、標高544.5mの猿橋城山に登頂した。

北面の、猿橋小学校からの踏路を見下ろすと、曲輪が帯状に、小高い山頂を囲むようにして形成されている。この狭い山頂に、どんな城が建っていたのかは、想像し難い。

現況の猿橋城山は木立に囲まれて、南面にやや眺望の利く程度であった。電波塔で判別し易い大桑山、そして前道志の山稜が穏やかに連なっている。

小休止して、さて、これからどうしようかなと思う。
妙楽寺を出発してから約四十分の所要時間で、標高544.5mの猿橋城山に登頂した。 北面の、猿橋小学校からの踏路を見下ろすと、曲輪が帯状に、小高い山頂を囲むようにして形成されている。この狭い山頂に、どんな城が建っていたのかは、想像し難い。 現況の猿橋城山は木立に囲まれて、南面にやや眺望の利く程度であった。電波塔で判別し易い大桑山、そして前道志の山稜が穏やかに連なっている。 小休止して、さて、これからどうしようかなと思う。
雁ヶ腹摺山・岩殿山 鳥沢から眺めた顕著なピーク、標高549mの山まで、尾根伝いに反時計回りを歩くと云うのが第一感だが、苦労の割りに得るものが少ないようにも感じる。

端整な山容だったが、おそらく眺望は望めそうに無い。

北面の正規ルートを下山し猿橋駅まで移動して、駒橋御前山から周回して菊花山、と云うのが次に浮かんだ行程であった。

昨年初めて登り、その眺望の素晴らしさに感嘆した菊花山に、また登りたい。今日の山歩きの最後に菊花山を配する、と云う行程を、私は気に入った。

誰も居ない城砦の山頂で紫煙を燻らせながら、思案が続く。西側方面を見ると、木立の向こうに、小さいながらも顕著なピークが窺えた。

前回、菊花山から周回して、最後に訪れた神楽山である。その典雅な山名とは裏腹に、登ってみると眺望は無く、テレビアンテナのようなものが立っているだけの、詰まらない山頂であったことを思い出す。

それから、その詰まらないピークの情景を思い浮かべ、断片的な記憶が甦った。山頂から南面の尾根に向かうところに、小沢と記された手製道標が在ったのを思い出した。

小沢というのは猿橋町小沢のことで、今居る猿橋城山と神楽山の間を流れる、小沢川沿いの集落名である。

猿橋城山から、南西方向に延びる尾根が在る。その方向に下って行けば、田中集落に行き着くはずで、そこから県道を歩けば小沢集落が近い。

菊花山を目的地と設定するが、神楽山の南尾根を探索して登り、駒橋御前山経由で歩いていく。

つい先ほどまでは、想像すらしていなかったコース取りであるが、思いついてしまったので止むを得ない。
鳥沢から眺めた顕著なピーク、標高549mの山まで、尾根伝いに反時計回りを歩くと云うのが第一感だが、苦労の割りに得るものが少ないようにも感じる。 端整な山容だったが、おそらく眺望は望めそうに無い。 北面の正規ルートを下山し猿橋駅まで移動して、駒橋御前山から周回して菊花山、と云うのが次に浮かんだ行程であった。 昨年初めて登り、その眺望の素晴らしさに感嘆した菊花山に、また登りたい。今日の山歩きの最後に菊花山を配する、と云う行程を、私は気に入った。 誰も居ない城砦の山頂で紫煙を燻らせながら、思案が続く。西側方面を見ると、木立の向こうに、小さいながらも顕著なピークが窺えた。 前回、菊花山から周回して、最後に訪れた神楽山である。その典雅な山名とは裏腹に、登ってみると眺望は無く、テレビアンテナのようなものが立っているだけの、詰まらない山頂であったことを思い出す。 それから、その詰まらないピークの情景を思い浮かべ、断片的な記憶が甦った。山頂から南面の尾根に向かうところに、小沢と記された手製道標が在ったのを思い出した。 小沢というのは猿橋町小沢のことで、今居る猿橋城山と神楽山の間を流れる、小沢川沿いの集落名である。 猿橋城山から、南西方向に延びる尾根が在る。その方向に下って行けば、田中集落に行き着くはずで、そこから県道を歩けば小沢集落が近い。 菊花山を目的地と設定するが、神楽山の南尾根を探索して登り、駒橋御前山経由で歩いていく。 つい先ほどまでは、想像すらしていなかったコース取りであるが、思いついてしまったので止むを得ない。
雁ヶ腹摺山・岩殿山 微かに青い化繊テープが枝に括られている、南面の尾根を下り始めた。

急斜面を慎重に下り、程無く緩やかになった細尾根を歩き、隆起した瘤が現われるが、次のピークでは無い。
微かに青い化繊テープが枝に括られている、南面の尾根を下り始めた。 急斜面を慎重に下り、程無く緩やかになった細尾根を歩き、隆起した瘤が現われるが、次のピークでは無い。
雁ヶ腹摺山・岩殿山 前述の、標高549mに向かう尾根を分けるピークが、徐々に近づいてくる。

右手には新興住宅街、パストラルびゅう桂台の広がる風景が垣間見える。
前述の、標高549mに向かう尾根を分けるピークが、徐々に近づいてくる。 右手には新興住宅街、パストラルびゅう桂台の広がる風景が垣間見える。
雁ヶ腹摺山・岩殿山 岩崖の側面を見ながら、標高520m圏峰に到着。尾根分岐だが、向かう先に神楽山がランドマークのように聳えているので間違うことは無い。

苔むした巨岩に陽差しが暖かい。小休止して、いよいよ小沢川流域の、田中集落に向かって下山を開始する。

明瞭に続く尾根上に居るが、末端がどうなっているのか、徐々に不安感が湧き始める。
岩崖の側面を見ながら、標高520m圏峰に到着。尾根分岐だが、向かう先に神楽山がランドマークのように聳えているので間違うことは無い。 苔むした巨岩に陽差しが暖かい。小休止して、いよいよ小沢川流域の、田中集落に向かって下山を開始する。 明瞭に続く尾根上に居るが、末端がどうなっているのか、徐々に不安感が湧き始める。
雁ヶ腹摺山・岩殿山 標高470m附近で、最後の尾根分岐点が現われる。入ってはいけない南の尾根は不明瞭ではあるが、倒木の小枝が邪魔して進行方向に自信が持てない。

逡巡しつつも、西南の方角に歩を進めた。もう、直ぐそこに見える、県道朝日小沢猿橋線の舗道と、対岸の斜面に照光院を確認して、やや安堵する。
標高470m附近で、最後の尾根分岐点が現われる。入ってはいけない南の尾根は不明瞭ではあるが、倒木の小枝が邪魔して進行方向に自信が持てない。 逡巡しつつも、西南の方角に歩を進めた。もう、直ぐそこに見える、県道朝日小沢猿橋線の舗道と、対岸の斜面に照光院を確認して、やや安堵する。
雁ヶ腹摺山・岩殿山 しかし、その後は伐採されて日当たりのよい所為か、藪状の斜面を難渋して下ることになってしまった。

尾根の南側に移動しながら下降し、害獣防護フェンスに沿って小沢川の畔に辿り着いた。

川を渡った先は農家の敷地内で、恐縮しつつ横断させて頂き、県道に出た。
しかし、その後は伐採されて日当たりのよい所為か、藪状の斜面を難渋して下ることになってしまった。 尾根の南側に移動しながら下降し、害獣防護フェンスに沿って小沢川の畔に辿り着いた。 川を渡った先は農家の敷地内で、恐縮しつつ横断させて頂き、県道に出た。
雁ヶ腹摺山・岩殿山 疲労困憊だが、それでも県道を歩いて小沢集落に向かう。

田中集落からも、神楽山に続く尾根は在るが、とりあえず「小沢」の手製道標を信じて、小沢集落に行くことにする。

いにしえの登山道、そして登山口が在ればいいな、などと思いながら、静まり返った舗道を歩いた。

甲弓山、正八幡神社の道標を見送り、車道の右側には、神楽山に至る尾根が在るはずなのだが、高い擁壁で覆われた山腹は、どんな尾根の様相なのかは判別できない。
疲労困憊だが、それでも県道を歩いて小沢集落に向かう。 田中集落からも、神楽山に続く尾根は在るが、とりあえず「小沢」の手製道標を信じて、小沢集落に行くことにする。 いにしえの登山道、そして登山口が在ればいいな、などと思いながら、静まり返った舗道を歩いた。 甲弓山、正八幡神社の道標を見送り、車道の右側には、神楽山に至る尾根が在るはずなのだが、高い擁壁で覆われた山腹は、どんな尾根の様相なのかは判別できない。
雁ヶ腹摺山・岩殿山 地形図の破線が、小沢集落から大きく東側を迂回して、標高点533mの先の鞍部近くまで達するように記されている。

遠回りだが、道が良ければ、その選択肢もある。そう考えていたが、集落に入る直前に確認した踏路は、目を覆わんばかりの薮で遮られていた。

正面に九鬼山の端整な山容を見て、小沢集落に到着。舗道歩きから解放されつつある。
地形図の破線が、小沢集落から大きく東側を迂回して、標高点533mの先の鞍部近くまで達するように記されている。 遠回りだが、道が良ければ、その選択肢もある。そう考えていたが、集落に入る直前に確認した踏路は、目を覆わんばかりの薮で遮られていた。 正面に九鬼山の端整な山容を見て、小沢集落に到着。舗道歩きから解放されつつある。
雁ヶ腹摺山・岩殿山 地形図破線が絶望的な様相だったので、神楽山南南東の尾根末端に在る、三輪神社に期待せざるを得ないことになった。

集落に入る舗道を登り、きれいに整地された三輪神社の境内に到着。

小休止しながら、尾根を見上げて様相を探るが、それで何かが判るはずもなく、とにかく山に入っていかなければ始まらない。
地形図破線が絶望的な様相だったので、神楽山南南東の尾根末端に在る、三輪神社に期待せざるを得ないことになった。 集落に入る舗道を登り、きれいに整地された三輪神社の境内に到着。 小休止しながら、尾根を見上げて様相を探るが、それで何かが判るはずもなく、とにかく山に入っていかなければ始まらない。
雁ヶ腹摺山・岩殿山 神社に向かって左側に、舗道が山に向かって続いている。それを見限り、微かな踏み跡を辿って神社の裏手に、薮を掻き分けながら進入する。

植林帯の中に入り、斜面を登っていくと、敢え無く害獣防護フェンスに進路を阻まれた。

一箇所だけ、倒木に拠ってなのか、傾いているところを発見する。ネットに足を掛けて、乗り越えた。
神社に向かって左側に、舗道が山に向かって続いている。それを見限り、微かな踏み跡を辿って神社の裏手に、薮を掻き分けながら進入する。 植林帯の中に入り、斜面を登っていくと、敢え無く害獣防護フェンスに進路を阻まれた。 一箇所だけ、倒木に拠ってなのか、傾いているところを発見する。ネットに足を掛けて、乗り越えた。
雁ヶ腹摺山・岩殿山 現在地は、神楽山南尾根の東側である。南尾根を目指して攀じ登ってもいいが、標高500m附近で、著しく等高線が狭まっている。

それで右手の支尾根を見ると、なんとか登れそうな傾斜である。

広々とした樹林帯を、支尾根に向かって、トラバースして移動することにした。
現在地は、神楽山南尾根の東側である。南尾根を目指して攀じ登ってもいいが、標高500m附近で、著しく等高線が狭まっている。 それで右手の支尾根を見ると、なんとか登れそうな傾斜である。 広々とした樹林帯を、支尾根に向かって、トラバースして移動することにした。
雁ヶ腹摺山・岩殿山 尾根に乗ると狙い通りで、歩き易い踏路となった。

こちらの標高500m附近も傾斜は緩くは無いが、南尾根の比ではない。

程無く南尾根の向こうに青空が見え始め、尾根合流の近いことが判る。それで、ようやく目途が付いたような気持ちになった。
尾根に乗ると狙い通りで、歩き易い踏路となった。 こちらの標高500m附近も傾斜は緩くは無いが、南尾根の比ではない。 程無く南尾根の向こうに青空が見え始め、尾根合流の近いことが判る。それで、ようやく目途が付いたような気持ちになった。
雁ヶ腹摺山・岩殿山 目的の尾根に乗ると、樹間越しに鋭利な山稜が見え隠れしている。

この後に歩いていく、駒橋御前山を中心とする山なみであった。
目的の尾根に乗ると、樹間越しに鋭利な山稜が見え隠れしている。 この後に歩いていく、駒橋御前山を中心とする山なみであった。
雁ヶ腹摺山・岩殿山 標高点533mの小ピークは、倒木に覆われた薄暗い山頂だった。少し先の、陽当たりのよい斜面で小休止する。

そして、そのまま下って鞍部に達する。麓からは薮で歩けなかった、地形図破線が合流する近辺だったが、広々としたクビレの谷筋は、繁茂する薮で、何がなんだか判らない。

そして、進むべき尾根上も、薮と倒木で、完全に遮断されてしまった。

なんとか突破口を探し、尾根のエッジを辿るようにして通過した。

尾根に乗って、あとはひたすらに登るだけと思っていたが、まだまだ予断は許せない。
標高点533mの小ピークは、倒木に覆われた薄暗い山頂だった。少し先の、陽当たりのよい斜面で小休止する。 そして、そのまま下って鞍部に達する。麓からは薮で歩けなかった、地形図破線が合流する近辺だったが、広々としたクビレの谷筋は、繁茂する薮で、何がなんだか判らない。 そして、進むべき尾根上も、薮と倒木で、完全に遮断されてしまった。 なんとか突破口を探し、尾根のエッジを辿るようにして通過した。 尾根に乗って、あとはひたすらに登るだけと思っていたが、まだまだ予断は許せない。
雁ヶ腹摺山・岩殿山 標高550mを越えて、勾配は厳しくなっていった。しかし、急登よりも、倒木の枝が散逸する踏路に難渋する行程となった。

尾根そのものは、小沢集落から順当に登っていける明瞭な古道であるが、歩く人が居なくなって久しいものと思われ、荒れ放題の様相であった。

喘ぎながら登り続けて、見上げると木立の向こうに、神楽山の頂点が窺えるほどの高さに達していた。

その、前衛に在る尾根分岐の瘤、標高620m圏峰に辿り着くと、西方向に並ぶ山々の向こうに、富士山の姿を確認した。

それで、秀麗富嶽の山域を歩いているのだったな、と云うことを再認識するのだった。
標高550mを越えて、勾配は厳しくなっていった。しかし、急登よりも、倒木の枝が散逸する踏路に難渋する行程となった。 尾根そのものは、小沢集落から順当に登っていける明瞭な古道であるが、歩く人が居なくなって久しいものと思われ、荒れ放題の様相であった。 喘ぎながら登り続けて、見上げると木立の向こうに、神楽山の頂点が窺えるほどの高さに達していた。 その、前衛に在る尾根分岐の瘤、標高620m圏峰に辿り着くと、西方向に並ぶ山々の向こうに、富士山の姿を確認した。 それで、秀麗富嶽の山域を歩いているのだったな、と云うことを再認識するのだった。
雁ヶ腹摺山・岩殿山 標高673.8mの神楽山に登頂した。三輪神社を出発して、ちょうど一時間が経過していた。

狭い山頂は相変わらず眺望も無く、所在の無い気持ちにさせる雰囲気であった。

しかし、前回とは違い、麓の小沢集落から登り詰めたピークである。登山の労苦が、登頂の感慨を深くさせて、立派な山に登ったんだな、という気分に満たされていく。

前回の記憶に有ったはずの、小沢と書かれた木片は、探しても見当たらなかった。しかし、曖昧な記憶では無い。

人為的に外されたものと思われるが、登ってきた実感としては、それも首肯できる。
標高673.8mの神楽山に登頂した。三輪神社を出発して、ちょうど一時間が経過していた。 狭い山頂は相変わらず眺望も無く、所在の無い気持ちにさせる雰囲気であった。 しかし、前回とは違い、麓の小沢集落から登り詰めたピークである。登山の労苦が、登頂の感慨を深くさせて、立派な山に登ったんだな、という気分に満たされていく。 前回の記憶に有ったはずの、小沢と書かれた木片は、探しても見当たらなかった。しかし、曖昧な記憶では無い。 人為的に外されたものと思われるが、登ってきた実感としては、それも首肯できる。
雁ヶ腹摺山・岩殿山 気が抜けたような歩調で、神楽山を辞した。細尾根の道筋は、それほど油断できるような踏路では無いのだが、人の歩いている登山道の安堵感は格別であった。

速足になり、岩峰の北面を登り続けて、駒橋御前山には十五分程で登頂した。

南面の断崖から眺める、前道志の山なみは圧巻の光景である。ここまで、当然のことながら、誰ひとりにも会わなかったが、駒橋御前山ではふたりのハイカーと挨拶を交わした。

午後の陽光は相変わらず眩いばかりで、遠くに頭を覗かせている富士山の姿は、逆光で曖昧に見えた。
気が抜けたような歩調で、神楽山を辞した。細尾根の道筋は、それほど油断できるような踏路では無いのだが、人の歩いている登山道の安堵感は格別であった。 速足になり、岩峰の北面を登り続けて、駒橋御前山には十五分程で登頂した。 南面の断崖から眺める、前道志の山なみは圧巻の光景である。ここまで、当然のことながら、誰ひとりにも会わなかったが、駒橋御前山ではふたりのハイカーと挨拶を交わした。 午後の陽光は相変わらず眩いばかりで、遠くに頭を覗かせている富士山の姿は、逆光で曖昧に見えた。
雁ヶ腹摺山・岩殿山 少しだけの休憩で出発する。今朝、電車の中で食したパンのみで、それからは何も食べていない。それで歩き始めた途端に、空腹を覚えた。

今回の山歩きのエピローグ、眺望の菊花山でのんびりと食事をしよう。そう思うと、自然に繰り出す足が活気付いてくるような気がした。

八五郎クドレの巨岩をパスして、平坦な尾根道を歩き続ける。右手の立木越しに、岩殿山と大月市の風景が近づいてきた。その手前を遮る端整な山が、菊花山である。

テンポよく歩き続けると、もう沢井沢ノ頭を捲く道に到達した。山頂には立ち寄らず、菊花山方面に下っていく。
少しだけの休憩で出発する。今朝、電車の中で食したパンのみで、それからは何も食べていない。それで歩き始めた途端に、空腹を覚えた。 今回の山歩きのエピローグ、眺望の菊花山でのんびりと食事をしよう。そう思うと、自然に繰り出す足が活気付いてくるような気がした。 八五郎クドレの巨岩をパスして、平坦な尾根道を歩き続ける。右手の立木越しに、岩殿山と大月市の風景が近づいてきた。その手前を遮る端整な山が、菊花山である。 テンポよく歩き続けると、もう沢井沢ノ頭を捲く道に到達した。山頂には立ち寄らず、菊花山方面に下っていく。
雁ヶ腹摺山・岩殿山 沢井沢ノ頭と菊花山を繋ぐ細尾根を、ひたすらに歩き続ける。中間地点の鞍部まで、およそ150mの標高差を下っていく。

踏路は徐々にざらついた砂状になり、途中で足が滑り、転倒してしまう。下肢の疲労は知らぬ間に熾烈を極めていたようで、怪我をした訳でも無いのに、立ち上がるのに難渋してしまった。

ようやく鞍部に達して、これからふたたび登り返さなければならない。振り返って、歩いてきた山稜を見上げる。

駒橋御前山は午後の斜光に映えてきれいだが、私の居る鞍部は、もう陽の陰になっている。

気を取り直して、最後の登りに取り掛かる。標高差は百メートルに満たない程度である。

疲労感よりも、菊花山のトップから景色を眺めたいと云う気持ちが全身を覆う。そして、ゆっくりと食事をしようと思う。

鞍部からひと登りで、等高線の閉じた570m圏に達すると、ふたたび陽光を浴びるようになり、暖かさに包まれた。

枯木に覆われた登山道の向こうに、甲州の壮大な山なみが広がっているのを感じる。それを遮っている菊花山に向かって、登り続けている。

子供の嬌声が聞こえてくる。岩崖で構成されたピークの、狭い岩場の道を、小さな子供がふたりと、母親が下ってくるのと擦れ違った。

それは、街が近づいてきたのだなと云うことを、実感させる光景でもあった。
沢井沢ノ頭と菊花山を繋ぐ細尾根を、ひたすらに歩き続ける。中間地点の鞍部まで、およそ150mの標高差を下っていく。 踏路は徐々にざらついた砂状になり、途中で足が滑り、転倒してしまう。下肢の疲労は知らぬ間に熾烈を極めていたようで、怪我をした訳でも無いのに、立ち上がるのに難渋してしまった。 ようやく鞍部に達して、これからふたたび登り返さなければならない。振り返って、歩いてきた山稜を見上げる。 駒橋御前山は午後の斜光に映えてきれいだが、私の居る鞍部は、もう陽の陰になっている。 気を取り直して、最後の登りに取り掛かる。標高差は百メートルに満たない程度である。 疲労感よりも、菊花山のトップから景色を眺めたいと云う気持ちが全身を覆う。そして、ゆっくりと食事をしようと思う。 鞍部からひと登りで、等高線の閉じた570m圏に達すると、ふたたび陽光を浴びるようになり、暖かさに包まれた。 枯木に覆われた登山道の向こうに、甲州の壮大な山なみが広がっているのを感じる。それを遮っている菊花山に向かって、登り続けている。 子供の嬌声が聞こえてくる。岩崖で構成されたピークの、狭い岩場の道を、小さな子供がふたりと、母親が下ってくるのと擦れ違った。 それは、街が近づいてきたのだなと云うことを、実感させる光景でもあった。
雁ヶ腹摺山・岩殿山 岩峰の上に立った。標高643.7mの菊花山に登頂した。

山頂からの景色は、雲ひとつない天色の空の所為で、陰翳が薄いように感じられた。
岩峰の上に立った。標高643.7mの菊花山に登頂した。 山頂からの景色は、雲ひとつない天色の空の所為で、陰翳が薄いように感じられた。
雁ヶ腹摺山・岩殿山 岩殿山は玩具のような佇まいで、大月駅の背後に鎮座している。その向こうに、大菩薩と奥秩父の山嶺が、屏風に描かれたようにして広がっていた。
岩殿山は玩具のような佇まいで、大月駅の背後に鎮座している。その向こうに、大菩薩と奥秩父の山嶺が、屏風に描かれたようにして広がっていた。
雁ヶ腹摺山・岩殿山 先着していた女性ふたり組が、お喋りが尽きない感じのまま下山していった。

そして、駒橋御前山で会ったハイカーのひとりが、登頂してきた。

ふたたび挨拶を交わすと、眺望に向き合った彼は、初めて登ってきたと見えて、こんなに良いとは、と、独り言を呟いた。
先着していた女性ふたり組が、お喋りが尽きない感じのまま下山していった。 そして、駒橋御前山で会ったハイカーのひとりが、登頂してきた。 ふたたび挨拶を交わすと、眺望に向き合った彼は、初めて登ってきたと見えて、こんなに良いとは、と、独り言を呟いた。
雁ヶ腹摺山・岩殿山 その後は平日の午後らしく、もう誰も登ってこない。ひとりになった山頂で、湯を沸かしてカップ麺を食し、今日初めての大休憩となった。

およそ三十分が経過して、下山に掛かる。桂川の彼方に、富士山を中央に見る展望地で立ち止まる。

前回は午前中にこの景色を眺めたが、今日は逆光になって眩しい。

標高500m附近で、秋葉神社方面と無返寺方面、二手に下山路が分岐する。

前回登った秋葉神社経由が最短だが、傾斜が厳しく、ロープが渡されていることを思い出し、未踏の無返寺経由で下山することにした。
その後は平日の午後らしく、もう誰も登ってこない。ひとりになった山頂で、湯を沸かしてカップ麺を食し、今日初めての大休憩となった。 およそ三十分が経過して、下山に掛かる。桂川の彼方に、富士山を中央に見る展望地で立ち止まる。 前回は午前中にこの景色を眺めたが、今日は逆光になって眩しい。 標高500m附近で、秋葉神社方面と無返寺方面、二手に下山路が分岐する。 前回登った秋葉神社経由が最短だが、傾斜が厳しく、ロープが渡されていることを思い出し、未踏の無返寺経由で下山することにした。
雁ヶ腹摺山・岩殿山 無辺寺の墓地に降りる階段の途中から、斜光を浴びて美しい岩殿山を見る。

そうしてめでたく下山が完了した訳だが、久しぶりに歩く舗装路は下肢に力が入らず、よろよろと歩いていく有様となった。

街なかに出てからの牛歩で、大月駅前に到着した時は、中央特快の東京行きが発車するところだったが、もう急ぎ足にはなれず、乗ることはできなかった。
無辺寺の墓地に降りる階段の途中から、斜光を浴びて美しい岩殿山を見る。 そうしてめでたく下山が完了した訳だが、久しぶりに歩く舗装路は下肢に力が入らず、よろよろと歩いていく有様となった。 街なかに出てからの牛歩で、大月駅前に到着した時は、中央特快の東京行きが発車するところだったが、もう急ぎ足にはなれず、乗ることはできなかった。

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