石神井川・仙川上流端

2021.01.03(日) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
2 時間 21
休憩時間
0
距離
10.7 km
のぼり / くだり
31 / 29 m
2 22

活動詳細

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JR東小金井駅、スタジオジブリ、浴恩館公園、玉川上水、小金井公園、 石神井川上流端、 小金井カントリークラブ、小金井桜、 仙川上流端、山王窪、大松木之下の稲荷、 JR武蔵小金井駅 小金井公園はやや人が多いが密ではない。 他は、小金井駅北側のケンタッキーの前が混んでいる程度。 江戸東京たてもの園で大銭湯展が開催されているが、 仙川上流端付近に今では珍しい銭湯があった。

国分寺市 東小金井駅南口の観光案内(南側のみ)
北側は区画整理中のためか、観光案内らしきものは見当たらず。
東小金井駅南口の観光案内(南側のみ) 北側は区画整理中のためか、観光案内らしきものは見当たらず。
国分寺市 スタジオ・ジブリ
スタジオ・ジブリ
国分寺市 浴恩館公園
浴恩館公園
国分寺市 次郎橋
次郎橋
国分寺市 浴恩館
現在は小金井市文化財センター
浴恩館 現在は小金井市文化財センター
国分寺市 浴恩館公園
浴恩館公園
国分寺市 市史跡
空林荘
市史跡 空林荘
国分寺市 稗倉(穀櫃)
稗倉(穀櫃)
国分寺市 市天然記念物
浴恩館公園のツツジ群
市天然記念物 浴恩館公園のツツジ群
国分寺市 玉川上水
玉川上水
国分寺市 江戸東京たてもの園
1月11日まで臨時休園
大銭湯展第二期は 1月31日まで
江戸東京たてもの園 1月11日まで臨時休園 大銭湯展第二期は 1月31日まで
国分寺市 千と千尋の神隠しの湯屋のモデルになった銭湯が奥に見える。手前の堀に薄っすらと氷が張っている。
千と千尋の神隠しの湯屋のモデルになった銭湯が奥に見える。手前の堀に薄っすらと氷が張っている。
国分寺市 一級河川 石神井川上流端。
ここから西側、嘉悦大学まで暗渠。
一級河川 石神井川上流端。 ここから西側、嘉悦大学まで暗渠。
国分寺市 小金井カントリークラブの奥に嘉悦大学。ゴルフ場の低地に湧き出した水を嘉悦大学との境界に沿って暗渠にしているそうです。
小金井カントリークラブの奥に嘉悦大学。ゴルフ場の低地に湧き出した水を嘉悦大学との境界に沿って暗渠にしているそうです。
国分寺市 名勝 小金井桜 の碑
名勝 小金井桜 の碑
国分寺市 せんかわ上流端
新小金井街道を挟んでやきとり大吉の向かい側。ここから東北東に向かって暗渠。北大通に沿う形で西南西に開渠が続き、小金井郵便局のあたりで再びあんきょになる。
せんかわ上流端 新小金井街道を挟んでやきとり大吉の向かい側。ここから東北東に向かって暗渠。北大通に沿う形で西南西に開渠が続き、小金井郵便局のあたりで再びあんきょになる。
国分寺市 銭湯ぬくい湯
営業時間4時から11時
5日まで正月休み
銭湯ぬくい湯 営業時間4時から11時 5日まで正月休み
国分寺市 山王稲穂神社
この北側が山王窪

由緒
 承応三年(一六五四)五百石の悔恨に当り、新田の守護神として江戸麹町山王宮より勧請創祀す
爾来山王権現と称し 下小金井の産土神として崇敬される 社地三石六斗あり 別当は真言宗観音寺金蔵院なりしが明治維新の際廃せらる 社名を稲穂神社と改称す
山王稲穂神社 この北側が山王窪 由緒  承応三年(一六五四)五百石の悔恨に当り、新田の守護神として江戸麹町山王宮より勧請創祀す 爾来山王権現と称し 下小金井の産土神として崇敬される 社地三石六斗あり 別当は真言宗観音寺金蔵院なりしが明治維新の際廃せらる 社名を稲穂神社と改称す
国分寺市 山王窪の築樋

築樋は、低い土地に土を盛って突き固めて土手を築き、その上を用水路とした土木工法です。
この築樋は、元禄九年(一六九六)頃、玉川上水から小金井村方面に分水を引くため山王窪と呼ばれる仙川の窪地に築いたものです。
全長五十六間(約一○二メートル)、高さ一丈八尺(約五・四メートル)あったと記録されています。)

平成二十一年三月
小金井市教育委員会
山王窪の築樋 築樋は、低い土地に土を盛って突き固めて土手を築き、その上を用水路とした土木工法です。 この築樋は、元禄九年(一六九六)頃、玉川上水から小金井村方面に分水を引くため山王窪と呼ばれる仙川の窪地に築いたものです。 全長五十六間(約一○二メートル)、高さ一丈八尺(約五・四メートル)あったと記録されています。) 平成二十一年三月 小金井市教育委員会
国分寺市 大松木之下(おおまつきのした)の稲荷(いなり)

 この稲荷は、境内に御神木(ごしんぼく)の大きな松の木があ
ったことから名付けられ、「赤稲荷」とも呼ばれて
いました。
 境内に五基の石造物があります。右が年号不明
の青面金剛庚申塔(しょうめんこんごうこうしんとう)で、その左が寛政(かんせい)四年(一七九
二)に地元の上山谷項中(かみざんやこうじゅう)が建てた笠付の青面金剛
庚申塔です。正面に青面金剛・日月(ひつき)・一鬼(いっき)・三猿(さんえん)
を刻み、江戸時代後期の典型的な庚申塔です。
 次が享和(きょうわ)二年(一八○二)造立の石灯籠(いしどうろう)で、「榛
名大権現(はるなだいごんげん)・大山(おおやま)大権現」と刻まれており、当時の
山岳信仰を示すものです。隣の石灯籠は、年代は
不明ですが、「前沢村・南野中新田・砂川村・貫井
村・梶野新田」等近隣村々の「籠細工(かございく)講中」が寄
進したものです。
 左の石の祠は、明治七年(一八七四)に「大鋸棟
梁(おおがとうりょう)」(木挽(こびき)職人)が寄進(きしん)したものです。籠細工
や木挽といった職人組合が寄進した石造物は大変
珍しく、この稲荷は地元ばかりでなく、近隣の村々
まで広く人々の信仰をあつめていました。

平成十五年三月三十一日
小金井市教育委員会
大松木之下(おおまつきのした)の稲荷(いなり)  この稲荷は、境内に御神木(ごしんぼく)の大きな松の木があ ったことから名付けられ、「赤稲荷」とも呼ばれて いました。  境内に五基の石造物があります。右が年号不明 の青面金剛庚申塔(しょうめんこんごうこうしんとう)で、その左が寛政(かんせい)四年(一七九 二)に地元の上山谷項中(かみざんやこうじゅう)が建てた笠付の青面金剛 庚申塔です。正面に青面金剛・日月(ひつき)・一鬼(いっき)・三猿(さんえん) を刻み、江戸時代後期の典型的な庚申塔です。  次が享和(きょうわ)二年(一八○二)造立の石灯籠(いしどうろう)で、「榛 名大権現(はるなだいごんげん)・大山(おおやま)大権現」と刻まれており、当時の 山岳信仰を示すものです。隣の石灯籠は、年代は 不明ですが、「前沢村・南野中新田・砂川村・貫井 村・梶野新田」等近隣村々の「籠細工(かございく)講中」が寄 進したものです。  左の石の祠は、明治七年(一八七四)に「大鋸棟 梁(おおがとうりょう)」(木挽(こびき)職人)が寄進(きしん)したものです。籠細工 や木挽といった職人組合が寄進した石造物は大変 珍しく、この稲荷は地元ばかりでなく、近隣の村々 まで広く人々の信仰をあつめていました。 平成十五年三月三十一日 小金井市教育委員会
国分寺市 小金井郵便局からここまで暗渠
小金井郵便局からここまで暗渠

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