活動データ
タイム
27:35
距離
23.1km
上り
2000m
下り
2001m
活動詳細
もっと見る令和2年1月30日【一日目】 予報が最悪の中、初日に三国小屋を落とし、気圧配置が稀に無い超絶密等圧線の31、1日は小屋に沈殿を決め込み、2日に前進し、3日朝目指す本山を攻略し、切合まで降り、4日で下山するプランで、真夜中に弥平四郎へ到着。 すると当日後から入ると聞いていたT君の車が駐車場にポツリと一台。 さては前夜入りで車内泊かと車内を除きこんでみたが既に姿は無い。 さては先を越されたかw これから長い一日の始まりだ。 奥川の林道は偵察時と積雪は変わらない。 当然ながらトレースは綺麗になくなっているが、林道では先行T君の踏み跡に習う。 橋渡後、足跡は林道奥へと続いているが、私は予定通りショートカットで支尾根にとりつく。 雪コンディションは偵察時より落ち着いて遙かに登りやすいく、計画より早く1082峰に着くと同時にT君のトレースと再び合流。 間もなくするとそのトレースの先に先行するT君の幕営テントがあった。 声をかけるとまだ寝ている様子。 「ここから六時間で楽勝でしょう」っと宣う彼を尻目に、午後から荒れるであろう天候に私は先を急ぐ。 もともと単騎突入だ。 ここから先はノントレースで雪も融結を繰り返しておらず、厚みを増しラッセルは深くなってくる。 東南にあたる山腹の支尾根は北西の風を受けずに、まるで嵐の前の静けさのように、樹林帯を月明かりに照らされながらの登攀だ。 まわりが明るくなって上部が確認出来るようになってきた。 雪崩に警戒しながら上ノ越直下をトラバースし、稜線上とも言える上ノ越に乗っても予想に反して恐れていた風は殆ど無い。 このコンディションが午前中まで保つなら行けるぞと、巻岩山迄の登りを一心不乱に登る。 TPでは総ての設定条件をクリアしており、上へ向かえる歓びと慄きを感じながら、次なる目標疣岩山を目指す。 疣岩山を過ぎた辺りらから若干風が強くなったものの、13時半には厳冬期挑戦四年目にして初めて三国小屋に辿り着くことが出来た。 当然私独りと思っていたが、小屋には前夜から一名先客がいた。 訊けば、何度か厳冬期飯豊を踏んでる方で、今日はあまりの予報の悪さと、早朝は風が強い時があったとのことで一日停滞してたとのこと。 と、ここで気が付いた。 無いのだ。 荷揚げした品物、ワイン、餅、あんこ、パスタ、各種レトルト、ガスコンロ燃料、その他行動食諸々… 水四リットルを残し綺麗に無くなっていた。 なんてこった。 今回、連絡先や使用についての置き手紙を忘れたので、多少は危惧してたが現実になるなんて…。 残し方からして緊急用途では無く下山に向けてと思われるんで、何ともやるせない気持ちになった。 先客の彼が言うには、「自分が荷揚げした12月上旬には既になかった」らしいので、忘れた置き手紙を置くつもりだった第二次の荷揚げ時、悪天に阻まれた12月下旬(菱ヶ岳に変更)には既に手遅れだったことになる。 何とも酷い大ネズミがいたもんだ! 到着の遅れを心配していたT君は午後から大荒れの中夕暮れぎりぎりで滑り込みセーフの小屋着。 九時半出発とのことだから、何とも図太い神経で羨ましくもあるw 令和2年1月31日【二日目】 一夜明け状況は、気圧配置は余り見たことが無いような典型的な西高東低の凄まじく密な等圧線の配置図と裏腹に、風もさほど無く雪が深々とその厚みを増していく。 宛てにしていた荷揚げ品が無いことで、停滞を否定する状況に置かれ、これで下山しか選択肢は無くなった。 仮に荷揚げデポ品があったにせよ、この状況下切合より上に入り込むのは危険であると直観的には感じているのだが…。 問題はいつ下山を開始するかだ。 二人はこの天候下、小屋沈殿を決め込んだようだ。 当然の判断だろう。あの悪魔のような気圧配置だ。しかし、現地の状況は違っていた。風速は10Mに満たなく、軽い吹雪で視界は50~100Mと行ったところだ。 行動出来ない状況では無い。 可能性があればと、下山に向け装備を担ぎ小屋を後にする。 日暮れ迄に雪崩の危険がある上ノ越を通過出来れば、1082峰以降はヘッデンでも降りれるとの計算であったが、余りにも判断が遅く下山開始へのスタートが遅すぎた。 結果、疣岩山への登り返しの雪コンディションを確認して三国小屋に戻ることになる。 それでも、概ねの下山CTの目途が読めたといいたいww💦 令和3年1月1日【三日目】 昨日の予行下山を踏まえ七時には小屋を出ることにした。 他の二名も山頂は諦め一緒に下山することになった。 松の木尾根から川入へ降る彼とは分岐で別れ、T君と交代でラッセルしながら降る。と、言っても疣岩山は三国岳よりやや高く、降りとはならないので深いラッセルで難儀する。 疣岩山迄は風にも晒され核心となる部分だ。 しかし、難関の疣岩山の登り返しを越えれば後は基本降るだけなんで計算がたち怖くない。 雪庇の崩落に片脚を乗せる場面もあったりしたが、風が強まる前に稜線より山影に逃げれそうだ。 上ノ越以降の腰以上のラッセルに手間取りはしたが概ね見立て通りに行動出来ている。 1082峰からは道標のリボンも効果を発揮し、かなり時短出来た。 予定通り林道着16時半。 ここからはヘッデン。 ここまでずっと集中力を維持し、引っ張って来たが、安全圏の後半は完全なスタミナ切れと集中力切れ、全て先頭をT君に任せ二番手に甘んじる。 弥平四郎に着いたのは七時過ぎ。 二年前の下山時に差し入れで泣かされたおばあちゃん。今回は帰郷で帰ってきた息子さん夫婦に、今度はお茶と甘いものを差し入れてもらい、車の除雪まで一生懸命に手伝って頂く。 息子さん夫婦が帰郷の挨拶に廻ると、集落の方々は皆心配していたと聴かされた。 弥平四郎の方々にはいつも泣かされるんだよね。 今回も涙腺崩壊ww 【終】 この山行を終え改めて考えてみた。 計画通り荷揚げ品が無事で飯豊山に恋焦がれてる私は、この最悪な予報中適正な判断が出来てただろうか。 振り返って考えると、無事に帰れたのも、もしかしたら大ネズミさんのおかげだったのかも知れない…。
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