活動データ
タイム
11:21
距離
23.4km
のぼり
1825m
くだり
1828m
活動詳細
すべて見る【岩殿山】 9世紀末、天台宗の岩殿山円通寺が開創され、10世紀には、三重塔、観音堂、僧坊が立ち並び、修験道場として栄えた。 16世紀に相模の対北条の防衛拠点として城砦化された。 【稚児落し】 小山田信茂は、武田勝頼に反旗を翻し、信長方についたが、主君を裏切る不忠者と言われ、岩殿城は落城し信茂の首は城下にさらされた。 城が落ちる少し前、側室(千鳥姫)と男子二人、付き従った城兵が落ちのびて、呼ばわり谷にさしかかった。 幼君(万生丸)がいきなり泣き出し、城兵(小幡太郎)は幼君を眼下の闇に向けて投げ捨てた。 幼君の泣き声は尾を引いて、谷底へ消えた。 「おゆるしくだされ、こうしなければ四人とも敵に討たれて、小山田家の血脈を継ぐものは相果ててしまいまする」 城兵はこみあげる涙をこらえてしばらく側室の前に頭をたれて許しを求めていた。 しかし、敵兵が近づく気配がして、姫と中沢賢一郎は賑岡村におちのびて、隠れ潜んだ。 結局、姫は愛児を失った悲しみで思い病を患い、哀れな一生を終え、信茂の次男賢一郎も亡くなった。 小幡太郎は中沢良平と名を変えて主君一族の菩提を弔ったという。 東光寺には四基の位牌が今も納められている。 【セーメーバン】 陰陽博士阿倍晴明が賑岡村端倉まで水を引こうと、山を掘っていると「晴明殿 鶏が鳴く、もう夜明けじゃ」とどこからか声がして、晴明は掘るのを諦めてしまった。 この声の主は晴明を妬んでいた鬼で、それを知った晴明は近くの峰で憤死したという。 大岱山には、ホリガネ(堀兼)と呼ばれる大きな窪地があり、これが晴明が掘っていた跡といわれる。 狭い場(頂)⇒セメェーバン⇒セーメーバンと転訛したという説もある。
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