活動データ
タイム
03:58
距離
5.9km
のぼり
526m
くだり
525m
チェックポイント
活動詳細
すべて見る先日歩いた白山(丹波市)https://yamap.com/activities/9113034 のすぐ北に聳えるのが弘浪山。山頂から東にやや降った山上の広い谷戸部分(標高380~400mの位置)に高山寺があった。 高山寺は、社伝によれば古く天平時代の761年に法道仙人による開基とされ、源平争乱の際に兵火で消失したが、鎌倉初期に再興された。 城塞化した寺院城郭としても知られ、高山寺城は、南北朝期には度々西丹波の抗争の拠点となっている。戦国時代には、その城砦としての機能が生きていたかは不明であるが、寺自体は存続し、1509年にも赤井伊賀守によって修復されているが、明智光秀の丹波平定戦によって焼かれている。1600年に寺は復興され、度々の損害を受けながらも昭和33年まで存続した。この年に高山寺は平地の常楽地区に移されて、山上の寺は廃絶となった。 柿柴の公民館に駐車させていただいた。柿柴地区は高山寺が山上にあった頃は門前町として栄えていたとのこと。大きな獣柵を開閉し、登山開始。弘浪山登山口等の表示は全く見当たらなかった。 ほどなく杉林に入ると参道らしくなる。谷筋になると径は荒れてくる。苔むした石段が時折現れる。幾多の人びとが往還し、踏み固められた参道も高山寺が遷って60年。先日歩いた白山の参道も同様だが、人が歩かなくなった参道の末路は悲しい。 路肩が崩落気味の急なジグザグ径を凌げば弘浪山との分岐。気持ちのいい杣道のような径を上りきり、緩やかな尾根筋を歩く。この下側には広大な創価学会の関西墓地。樹間越しに、田のように区画された墓地が散見できる。学会が境界に設置した鎖柵に沿って歩くとほどなく、弘浪山頂。 山頂は狭い。樹木も茂り、南東部以外は視界は不明瞭。あいにくと霞んでいて真正面に石金山のシルエット。高見城山、向山連山はほぼ明瞭に見える。 柿柴口コースから高山寺跡に行こうと山頂からUターンし、分岐へ。ここから寺跡に行くが表示が全くなく、この辺りが寺跡だろうと参道らしき径を往くが少し下りすぎてバック。寺跡の谷戸部分へ。樹木が繁り陰鬱な雰囲気。 この高山寺跡には石垣や石積みの水路跡、仁王門の礎石、歴代住職の墓などが残存し、大銀杏の木が残っている。『弘浪山の大イチョウ』が黄色い葉を付けている時に来たかったが山ヒルの宝庫、11月でもいるようだから今になってしまった。石垣の奥に大銀杏。根元近くから何本も枝分かれした幹周りは6,7人抱えくらいの異様な太さ。すごい、の一言。 下山は黒田口から。緩やかな幅広い参道を下り、展望岩辺りから露岩帯。眺めはいい。展望所辺りからジグザグに下る。樹間越しに眺めもよく、径も荒れていない。弘浪山登山ならこのコースのピストンがベターかな。 参道をあるく周回コースなのでほぼ径は明瞭。所々にある案内板とテープが多く、道迷いの心配はほぼない。地籍調査のテープが多く、とんでもない所にもあり、それに惑わされないことが肝要。 帰途、遷った高山寺へ向かう。柴柿登山口から2kmほど先の安全山の麓。丹波もみじめぐり10ヶ寺のひとつ。紅葉の時期は多くの人で賑わっている。車社会を控えた昭和30年始め頃、この山に車道を建設するのは困難と判断して遷ったのだろうが、こんな立派な歴史ある真言宗のお寺が遷るにあたってはハード面でもソフト面でも多くの困難があったことだろう。
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