美濃路を歩く-第2回目

2020.12.22(火) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
6 時間 31
休憩時間
29
距離
27.8 km
のぼり / くだり
22 / 44 m
6 31

活動詳細

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前回(20年7月)の美濃路は暑さに負けて予定行程の2/3でリタイアしていたので今回はその続きを歩きたかったが、コロナが大変なことになっていて不要不急の県境越えは自粛するようにとのお上の御達しなので 岐阜県側を歩いてきました。 スタートのJR垂井駅から 垂井宿 → (垂井追分分岐点) → 大垣宿 → 墨俣宿までで(その先の濃尾大橋を渡ると愛知県に入ってしまうので)公共交通機関が使える最東の羽島市 名鉄 須賀駅を今日のゴールとしました。 歩き始めは寒かったが、徐々に暖かくなってきて風もなく好天候に恵まれウォーキングが楽しめました。 街道沿いは当時を思い起こさせる箇所もあったが、やはり中山道と比べると正直 少し可哀想な感じがしました。 ◎美濃路:街道のおこりは関ヶ原合戦後、徳川家康がこの道を通って都から江戸まで帰ったことによるもので 東海道の鈴鹿峠と中山道の木曽路越えの難所を避けることが出来て 大名行列も通り結構賑わった脇往還です。 【今日の・・・】 ・出逢った人 ①結神社の社守さんから神社の由来や遠方からの参詣人(東京、新潟、金沢、奈良等々)の話を楽しく聞かせて貰いました。 ②牛丼屋の羽島市出身のパートさん 女性『これからどこまで?』 留 『濃尾大橋手前の須賀辺りまで』 女性『歩いてですか?』 留 『はい そのつもりですが・・・』 女性『えっ‼️』 『道中 気をつけて頑張って下さい』

岐阜市 JR垂井駅
今日はここからスタート
JR垂井駅 今日はここからスタート
岐阜市 JRが4分延着して日の出のベストタイミングにちょい遅れ
JRが4分延着して日の出のベストタイミングにちょい遅れ
岐阜市 中山道との分岐点  垂井追分
中山道との分岐点 垂井追分
岐阜市 ここから数百メートル   当時の街道の雰囲気を残す松林が続きます
ここから数百メートル 当時の街道の雰囲気を残す松林が続きます
岐阜市 朝から牛丼でパワーチャージ
朝から牛丼でパワーチャージ
岐阜市 真っ白になった伊吹山
真っ白になった伊吹山
岐阜市 奥の細道結びの地
奥の細道結びの地
岐阜市 奥の細道結びの地
奥の細道結びの地
岐阜市 右:京、左:江戸
大雑把な道標
当時はこんなんで良かったんでしょう?
右:京、左:江戸 大雑把な道標 当時はこんなんで良かったんでしょう?
岐阜市 西総門(京口門)
敵からの攻撃に対峙するため橋は必要な時だけかけられたとか
西総門(京口門) 敵からの攻撃に対峙するため橋は必要な時だけかけられたとか
岐阜市 当時を思わせる和菓子屋さん
地元では有名です
当時を思わせる和菓子屋さん 地元では有名です
岐阜市 柿羊羮が売りです
柿羊羮が売りです
岐阜市 佐渡の渡しの常夜燈
佐渡の渡しの常夜燈
岐阜市 ここには渡しは残ってないので陸橋で揖斐川を渡ります
ここには渡しは残ってないので陸橋で揖斐川を渡ります
岐阜市 前方には岐阜駅前のビル群、金華山や百々ヶ峰が見えます
前方には岐阜駅前のビル群、金華山や百々ヶ峰が見えます
岐阜市 お詣り
お詣り
岐阜市 結神社
信長は長島の一向宗を焼打ちにしたが、(東には武田勢、西には一向宗の反抗勢力があり)長篠の合戦、越前の一向宗を討つ前に七日間の戦勝祈願をこの結神社でしたと云われる縁起の良い神社です
結神社 信長は長島の一向宗を焼打ちにしたが、(東には武田勢、西には一向宗の反抗勢力があり)長篠の合戦、越前の一向宗を討つ前に七日間の戦勝祈願をこの結神社でしたと云われる縁起の良い神社です
岐阜市 結神社の由来
ふむふむ・・・
結神社の由来 ふむふむ・・・
岐阜市 町屋観音堂
十一面観世音菩薩が中に祀られているらしいです
町屋観音堂 十一面観世音菩薩が中に祀られているらしいです
岐阜市 墨俣一夜城
墨俣一夜城
岐阜市 地元ではあまり力を入れられてないのか  この道標あまり見かけませんでした
地元ではあまり力を入れられてないのか この道標あまり見かけませんでした
岐阜市 宿場内の通り
宿場内の通り
岐阜市 宿場内の通り
宿場内の通り
岐阜市 墨俣宿
墨俣宿
岐阜市 脇本陣跡
脇本陣跡
岐阜市 長良川
長良川
岐阜市 一里塚跡ですが  目印の塁も木も残っていません
一里塚跡ですが 目印の塁も木も残っていません
岐阜市 日向ぼっこ   みんなで楽しそう
ぼっこって  何?
日向ぼっこ みんなで楽しそう ぼっこって 何?
岐阜市 今日のゴールの名鉄  須賀駅
今日のゴールの名鉄 須賀駅

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