活動データ
タイム
04:41
距離
6.8km
のぼり
851m
くだり
849m
活動詳細
すべて見る引き寄せられて、宝満山を歩いた。 昨年末から私は伝教大師・最澄にひどく惹かれていて、令和二年には年中、最澄にまつわる本を読んでいた。 きっかけは、「阿・吽」(あ・うん)というマンガだった。なんとなく手にいれただけのマンガだったが、最澄と空海の間に繰り広げられたドラマが描かれていて、とても面白かった。 そこには、天才の空海=弘法大師と、ひたむきな偉人である最澄=伝教大師が現世を賭けて世を救おうとした姿が鮮やかに活写されていた。私は、とりわけ最澄の真摯な姿に心を打たれた。この人は凄まじい意志の人だ、と思った。 最澄への敬慕が日増しに募って、私はいくつもの書籍に触れ、ますます伝教大師への尊敬が止みがたくなった。うなされるように読書を続けていると、804年に大師が遣唐使に立つ前に、宝満山に籠り修行していたことを知った。九州のヤマッパーなら皆が歩きたがるあの山は、最澄の足跡が残る山であったのだ。私は、歩きたい、歩かねばならない、と誓った。 そうして、機会は訪れ、宝満山を登った。近ごろの流行りで竈門社は賑わっているというが、私はお社を参拝しつつも大師の跡を辿ることに心を奪われていた。 正面道の石段をひたすら登って、別れ目から羅漢道に入った。それまで多くの人が歩いていたのに、急な登り下りが続く羅漢道には誰一人いなかった。私は独り、胸が裂けるような高揚を抱いて杣道を辿った。 いくつもの石窟があった。慈しみの漂う祠に頭を垂れながら、私は歩いた。やがて、見上げた先に巨きな岩場があった。明らかに尊い場所だった。逸る心を抑えて、私は鎖場を上がった。 その先に、伝教大師が籠っておられたという石窟があったのだ。 私は、ザックを下ろし、サングラスを取り、一礼して石窟に入り座禅を組んでみた。 目を閉じて、南無伝教大師、と小声で呟いた。とても寒い日であったが、ほんのりと体が暖まるような気がした。それからしばらく座り続け、やがて私は穏やかな心持ちで外に出た。 その刹那、曇っていた空に陽が射した。仄かに明るい太陽の光が、お山を照らしていた。
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