土俵岳・丸山・大羽根山・笹タワノ峰・槇寄山・ハチザス沢ノ頭・大沢山・三頭山(西峰)・入小沢ノ峰...

2020.12.14(月) 日帰り

活動データ

タイム

05:56

距離

20.4km

のぼり

1836m

くだり

1714m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
5 時間 56
休憩時間
5
距離
20.4 km
のぼり / くだり
1836 / 1714 m
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活動詳細

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「上川乗よ、浅間峠よ、私は帰ってきた!」 疲労によりどうにも肉の身体が思うようにならない一週間の「山休」を経て、やはりそれなりにまとまった時間の睡眠、私にとっては7時間以上が大事だという教訓を経て、ようやく続きを歩くことが叶い、その喜びに打ち震えた。やはり私はそれでも登山が好きなようだ。 睡眠時間を一定以上まで増やし睡眠負債を作らないようにする(ただし増やしすぎても良くない)ことを約一年続けてきたことの効果は日々実感できるほどに無視できず、大きい。にもかかわらず、先日まで夜の活動時間を短くすることを躊躇してしまっていたが故に、睡眠が足りていなかったようでそれが疲労の残留と蓄積に繋がっていたようだ。しかし、こうも、こうまでも違うものなのか! 睡眠に割く時間が長くなると代替的に「できないこと」というのがいくつか出てきてしまうことになるが、思い返せば今では「本当にそれがしたかったのか?」すらわからないような、どうでもいいことばかりだ。小学校高学年からの「大人ぶり」と、そこから自分の欲求や周りに合わせて変わり始まった生活習慣、感覚を引きずって最近まで何年も来てしまったことは非常に勿体無かったとすら思う。 日中の時間感覚も研ぎ澄まされ、少し時間について厳格になるが、一定以上眠った上で「やりたい」ことに的を絞ればやりたいことは充分質の高い状態でできるし、また同時に物事の結果も以前に比べて良好だといえる。確かに持時間というか活動時間というパイ全体は減ってしまうが、質の悪い状態で過ごし、過ごし続けてしまうことに比べれば大変安いものだ。結果人生の満足度も高まるのではないかと私は思う。 同じ場所にまた帰るために時間を使うことや交通機関にスタート時間をコントロールされてしまうのは少々癪に障るが、この道を越えその先の一応のゴールを踏まずして「次」に行く気にはとてもなれないというのは自分自身の性分としてよくわかっているつもりだ。まだまだ年内に『川苔山』にも行きたいし、丹沢にも行きたい。青梅、松田ほか山の多い地帯で連続縦走をして数を稼いでいきたい。 『浅間峠』に到着し歩き始めると、早速前回は気づかなかった見事な松の樹が私を迎えてくれた。少し道を進み木々の間から富士山の側を見ると、まだ山頂が薄っすらとではあるが見える。寒波襲来ということもあり、それなりに雪も積もっているように見えたが、天気は悪化していくとの予報で、また雰囲気的にも大気の状態から通過していく山々から先日のようにクッキリとは見えなさそうだと感じられる。が、「どうせ撮るならもっときっちりと見える場所で」と思い先を急ぐと、この一帯の山のパターン「ある程度平坦に進むと急な上りが来て、下る」を身体が思い出す。 と、樹々の傍からひよっこりはんのようにこちらを覗いている(ように見える)リアル『コログ』を発見しテンションが上がる。ただの「立った葉っぱ」ともいうが......。「ミ」は寄越さなかったし特別な報酬があったわけでもないがなかなか面白い出会い(?)だった。キツめかつ深めな下りを経て『日原峠』に至り、「迷いやすい」という山アプリユーザーの書き置きを参考にしつつ、踏み跡として薄っすら「U字」になっている地面とピンクリボンに注意しながら進んだ。 枯れてツンツンとした木々の頭が見えてくれば『土俵岳』であるが、山頂には土俵があるわけでも、相撲を彷彿とさせるような雰囲気があるわけでもない。強いて言えば汚れた水のたっぷり入ったドラム缶があった。 次に目指すは『丸山』で、丸山というと割とよくいる苗字なので具体的な個人の姿やその兄弟が想像できてしまうのであるが、山としても割とよくある名前なのか、先日横浜市緑区で登ったばかりだ。基本的にこの山も「この辺りのパターン通り」ではあるのだが、山頂付近には低い笹が生い茂り、この先暫くこの地形が登場するのが異様に斬新な感じがする。 丸山を過ぎた頃、ちょうどお腹が空いたので『ZzzK〜』と書いて『山賊』と呼ばれた私のソウルフード化計画の進む『山賊焼』ならぬ『長野版山賊焼』こと『山賊揚げ』が挟まれたサンドイッチを食べながら進んだ。 いよいよ『槇寄山』が近いと言える位置には分岐があり、これを今回の順路ではない方向に進むことで上れる『大羽山』に、もう恐らく同じコースを歩くことがあったとしてもそこだけを敢えて狙うことも考えづらく、今回を逃すと生きている間に寄ることは無さそうだと感じたので寄ってきた。ピストンになるのはもったいないが、短い中にも起伏にも富んだ面白いコースだった。眺めも素晴らしい部分がある。 どこが山頂なのかわからない『笹タワノ峰』を経由し『田和峠』に至ると、そこから見える『富士山』の方角に少し違和感を感じた。それ以前のものは明確に進行方向側の「左側斜め前」(南西)に見えていたものが、進行方向の真横(真南)寄りというか、位置的には「?」となるのだが、寧ろ左手少し後ろ側ぐらいに見えるようになってたからだ。この峠からも富士山は見事に見えるが、ついに到着した『槇寄山』では進行方向側の左側を見ればまさに「真正面」にとてもよく見え、この先『三頭山』まではほぼ同じように見え続ける。尤も生憎富士山の山頂付近が悪天候でクッキリとは見えなかったのだが、『デスマウンテン』さながらといえばその通り、さすがは霊峰といった風格だろうか。 期待していた縮尺よりは大きくなかったものの、敢えてここに富士山を見に来る価値があるぐらいには見事だ。望遠レンズの2倍の倍でこのサイズ感なら素晴らしい。『茅丸』の富士山も素晴らしかったが、恐らく快晴であればあれよりも更に素晴らしいものが見られたことだろうと思い、心の名山をこちらに譲ることになるかもしれない。改めて『高尾山』もしくは三頭山の避難小屋から、快晴の同じ一日に、早朝からの縦走をやり遂げてみたいものである。 『槇寄山』より先『ハチザス沢ノ頭』『大沢山』そして春に自転車で訪れた『三頭山』は『都民の森』となる。中でも『ハチザス沢ノ頭』への道は、今回通った上り道の中ではなかなか険しかった方に属し、今まで視界に入ってきていた「高いな」と思える山々を乗り越えていくので、一気に高度が上がった感覚がある。『大沢山』は富士山の眺望がこれまた大変良く、素晴らしかった。 一度行ったことのある部分を含み、かつ通った部分を含みはするのだが、三頭山に以前来た時には都民の森の売店横の駐輪場から人工的なウッドチップの道を通って登って行った。頂上がガスっていてトータルで非常に印象が良くなかった。しかし純粋に山道から入っていくと、そこにあるのはただ「自然豊かな山」そのものであり、あの「つまらなさ」はどこへやらである。山伝に登っていく分には大変素晴らしい。 『富士山』その他周辺の山々の眺望も素晴らしく、また避難小屋付近からもよく見える。アクセスの方法は多様であるが、それは確かに豊かだった自然を壊した上に築き上げられたものかもしれないが、「敷居を下げた選択肢」として前向きに捉えるべき部分も多いのかもしれないと私には思えた。 三頭山までくれば純粋に地名的な意味で『奥多摩町』との境に属する山であるので、より純粋に「『高尾』から『奥多摩』とまで歩いたことがある」という機会もそうないだろうがいえることだろう。この部分に関しては好奇心が満たされれば私としてはそれで満足である。 ここまでくれば、あとは楽々と下っていけるものだろうと考えていたが、どうやら甘かったようだ。「家に帰るまでは遠足です」という考え方は昔から好きではないが、今回は「家に帰るまでは登山です」と強く覚悟させられることになった。 今回の下山はあまりにも大きな罠を複数含んでいた。無事に帰ってこられたのが「マジかよ」みたいな感じである。「無事に」というのは「死ぬかどうか」とかいう大袈裟な意味ではないが、細かい傷一つ特につかなかったからという意味でだ。しかしそれにしても、ここまでやってきた私から見ても、面白いというか、大変「嫌」な道だった。 『三頭山』から『イヨ山』方面に下りるルートは、「嫌な道にストレス耐性をつけたい人』には大変お勧めであるが、初心者は秋冬は上りも下りもやめておいた方がいい。まず基本的に落ち葉で覆われていてわかりづらい。『ヌカザス山』『イヨ山』のように、有名な「急登」を含むので傾斜が大変厳しい部分がある。そして崩落への危険性が高く、過去事故があったという『入小沢ノ峰』から『ヌカザス山』への一帯はどこが正しい道なの大変わかりづらい上に、選択肢が狭い。それぞれの山で特に見どころがあったり眺望がいいなどといった利点があるわけでもない。木の根の急登は面白いといえば面白いが。 恐らくこの具合であれば上り下りともに高難易度だろうと感じられたので、注意が必要かもしれない。暗いと更に難易度が増すというのは容易に想像できるルートなので、通行する時間帯にも注意しておいた方が良いだろう。公道に出る最後の階段までもが不安定で危ない。 イヨ山から奥多摩湖に下り、浮橋を渡った先で、ここが『峰谷橋』バス停付近、よく見知ったトンネルの前であることに気がついた。自転車等でこのトンネルを通るときに、中で何か古い言葉で物語を語りながら歩いているお婆さんに何回か遭遇していて、また沿いの道でも会うことがあるので生きておられる方かとは思うのだが、何せ毎回トンネルの中での遭遇が主なので、なかなか奇怪な光景である。そして例えば動画に撮ろうとすると、スマホに不具合が起きる......。 もう何度も会っているので、今回はむしろ遭遇を望んですらいたが、残念ながらお会いすることは叶わなかった。物語を語ることに夢中であるようだが、一応こちらの存在は認知されているようであり、話しかけて少なからずのリアクションがあったことや、手を上げて挨拶をすると返してくれたこともある。私はこの存在のことを『峰谷おばあちゃん』と呼んでいるが、みぞれ混じりのバス停で到着を待ちながら、「婆ちゃん元気だといいなぁ、また会いに来るぞ」と思いを馳せた。 尚当面、コロナの勢いを見つつではあるが、このような山行記事としては自粛するつもりである。単独山行や撮影は続ける可能性が高いが、それは蓄積した素材として出す機会があれば出していく方向で考えている。

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