活動データ
タイム
08:10
距離
30.0km
のぼり
324m
くだり
325m
チェックポイント
活動詳細
すべて見る富津公園内に残る、富津砲台の探索に行ってみました。興味の無い方には全く面白くない活動の記録です。適当にスルーしてください。 東京湾要塞としての砲台は、正確には「富津元洲砲台」と言われる、富津岬の付け根に近い方の堀で囲まれた土塁の部分です。 明治期に、東京湾防衛の為、房総半島に最初に築かれた陸軍の砲台で、1892年(明治25年)に28糎榴弾砲6門、12糎加農砲4門が据付られました。当時の大砲は射程が短く、神奈川県側の観音崎の砲台群と、第一~三海堡で、外国軍艦の東京湾への侵入を阻止しようという構想だったようです。技術の進歩により砲の射程は伸び、千葉側の東京湾防衛拠点は、館山に移動したためか、1915年(大正4年)お役御免で、軍の施設から除籍されています。 その後1920年(大正9)頃から新兵器の実射試験場として、富津岬全域が富津試験場と名称を変え整備されました。中には、あの戦艦大和の主砲を凌駕する射程を誇る、「九〇式二十四糎列車加農砲」(大和の主砲射程42km、列車砲の射程50km!)という、中二病全開の超兵器もあったそうです。 今回は、富津公園に点在する、富津試験場の遺構を見て回るとともに、海上射撃試験の観測施設である、中根と磯根の着弾観測所を探してみました。 ちなみに富津岬は、終戦後初めてアメリカ軍が上陸した場所でもあります。昭和20年8月30日午前5時58分、マッカーサー元帥が、厚木飛行場に着陸するより少し早く、アメリカ海兵隊300人が富津岬の南側海岸に上陸しています。もっとも、8月26日厚木飛行場に先遣隊が進駐していますので、初めて本土の土を踏んだアメリカ軍と言うわけでは無かったようです。
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