鳴川ちょい散歩〜千光寺・鳴川墓地と未知の道

2020.12.13(日) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
1 時間 7
休憩時間
16
距離
2.0 km
のぼり / くだり
179 / 119 m
1 7

活動詳細

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今日は1時間だけ時間が空いたので、前々から気になっていた鳴川墓地へ。鳴川地区は特に開発もなく、昔の姿ほぼそのまま。時間の流れが止まっているかのようです。 向井山〜鳴川にかけての破線道は今後探検したいと思います。

生駒山・神津嶽・大原山 ゆるぎ地蔵堂内にある船型十三仏板碑。天文二十年なので、1551年。平群谷では信貴山に次いで古く、修験道行者達の布教により信貴山より鳴川村に伝えられたものと言われています。
ゆるぎ地蔵堂内にある船型十三仏板碑。天文二十年なので、1551年。平群谷では信貴山に次いで古く、修験道行者達の布教により信貴山より鳴川村に伝えられたものと言われています。
生駒山・神津嶽・大原山 ゆるぎ地蔵。実は笠石仏なんですね。右手に錫杖。
弘安四年(1281年)はこの一帯で最古の石造遺物です。元のフビライが大軍を送ってきた年で、大和の真言寺院では外敵退散祈願を勅令により行っていたそうです。
願主 快尊との銘あり。快尊は修験道の先達と考えられています。
ゆるぎ地蔵。実は笠石仏なんですね。右手に錫杖。 弘安四年(1281年)はこの一帯で最古の石造遺物です。元のフビライが大軍を送ってきた年で、大和の真言寺院では外敵退散祈願を勅令により行っていたそうです。 願主 快尊との銘あり。快尊は修験道の先達と考えられています。
生駒山・神津嶽・大原山 千光寺総門。
役小角(えんのおづぬ)が大峯山を開く以前に修行したところから、「元の山上(もとのさんじょう)」と呼ぶようになりました。
千光寺総門。 役小角(えんのおづぬ)が大峯山を開く以前に修行したところから、「元の山上(もとのさんじょう)」と呼ぶようになりました。
生駒山・神津嶽・大原山 総門を過ぎてすぐ右に、四国八十八ヶ所石仏がありました。
土州寺山院 薬師如来と彫られています。
第39番 土佐国・赤亀山(しゃっきざん)延光寺のようです。
総門を過ぎてすぐ右に、四国八十八ヶ所石仏がありました。 土州寺山院 薬師如来と彫られています。 第39番 土佐国・赤亀山(しゃっきざん)延光寺のようです。
生駒山・神津嶽・大原山 春山道空、妙観、秋庭義竹?、教山、受栄妙●、本照覺●、本月貞●、一到安●、寛專
9名列記されています。
春山道空、妙観、秋庭義竹?、教山、受栄妙●、本照覺●、本月貞●、一到安●、寛專 9名列記されています。
生駒山・神津嶽・大原山 弘法大師さんとセット。
やはり、これらは、櫟原下庄(しもんじょ)民家前から移設されたものです。
弘法大師さんとセット。 やはり、これらは、櫟原下庄(しもんじょ)民家前から移設されたものです。
生駒山・神津嶽・大原山 境内をウロウロしていると、こんな所がありました。
境内をウロウロしていると、こんな所がありました。
生駒山・神津嶽・大原山 護摩壇の所に…(右上)
※ここで、天理大学(たぶん)のゼミっぽい皆様が、修験道や役行者について講義を受けていました。たまたま修験道の方も通られて、螺貝を吹かれていました。
護摩壇の所に…(右上) ※ここで、天理大学(たぶん)のゼミっぽい皆様が、修験道や役行者について講義を受けていました。たまたま修験道の方も通られて、螺貝を吹かれていました。
生駒山・神津嶽・大原山 第32番 土佐国・八葉山禅師峰寺。
十一面観音立像。
ただ、後世に再現したのか、他のシリーズと少しデザインが異なります。細かな銘も無し。
第32番 土佐国・八葉山禅師峰寺。 十一面観音立像。 ただ、後世に再現したのか、他のシリーズと少しデザインが異なります。細かな銘も無し。
生駒山・神津嶽・大原山 初めて、鳴川墓地へ向かいます。左へ行くと、庄兵ヱ道。
初めて、鳴川墓地へ向かいます。左へ行くと、庄兵ヱ道。
生駒山・神津嶽・大原山 竹藪あたりから、けっこうな坂に。
竹藪あたりから、けっこうな坂に。
生駒山・神津嶽・大原山 入口です。地形や地図資料から判断するに、元々は直進せず、右にぐるっと回って入っていたと思われます。たぶん。
入口です。地形や地図資料から判断するに、元々は直進せず、右にぐるっと回って入っていたと思われます。たぶん。
生駒山・神津嶽・大原山 入ってすぐ左側。
入ってすぐ左側。
生駒山・神津嶽・大原山 お迎え地蔵。製作年は不明ですが、相当古そう。
お迎え地蔵。製作年は不明ですが、相当古そう。
生駒山・神津嶽・大原山 その傍らに、小仏。
その傍らに、小仏。
生駒山・神津嶽・大原山 たくさんの五輪塔。
たくさんの五輪塔。
生駒山・神津嶽・大原山 ふと気になった南側へ。ここが、古い道のようです。
ふと気になった南側へ。ここが、古い道のようです。
生駒山・神津嶽・大原山 おっ、てっぺんに五輪塔が。登ってみます。
おっ、てっぺんに五輪塔が。登ってみます。
生駒山・神津嶽・大原山 高さ190cm。豪快な薬研彫りの種子。
高さ190cm。豪快な薬研彫りの種子。
生駒山・神津嶽・大原山 このあたりは、何と言いますか、船型宝篋印塔板碑?の集まり。
このあたりは、何と言いますか、船型宝篋印塔板碑?の集まり。
生駒山・神津嶽・大原山 これは…残欠を積み上げてる?
これは…残欠を積み上げてる?
生駒山・神津嶽・大原山 坂道をあがると、卒塔婆型板碑。
坂道をあがると、卒塔婆型板碑。
生駒山・神津嶽・大原山 天文二十年二月廿四日(1551年)の銘があるそうです。
天文二十年二月廿四日(1551年)の銘があるそうです。
生駒山・神津嶽・大原山 中央の辺りに四体のお地蔵さん。
優しいお顔。
中央の辺りに四体のお地蔵さん。 優しいお顔。
生駒山・神津嶽・大原山 阿闍梨…
阿闍梨…
生駒山・神津嶽・大原山 寛延四辛未年九月…
1751年ですね。この石仏は『平群谷』にも掲載がないようです。
寛延四辛未年九月… 1751年ですね。この石仏は『平群谷』にも掲載がないようです。
生駒山・神津嶽・大原山 ゆるぎ地蔵に彫られている、快尊の追善供養のためといわれています。
「為快尊法師●●位」
元禄12年(1699年)
ゆるぎ地蔵に彫られている、快尊の追善供養のためといわれています。 「為快尊法師●●位」 元禄12年(1699年)
生駒山・神津嶽・大原山 為快尊法師…
為快尊法師…
生駒山・神津嶽・大原山 元禄…
はっきり判読できません。
元禄… はっきり判読できません。
生駒山・神津嶽・大原山 少し小さめのお地蔵さん
少し小さめのお地蔵さん
生駒山・神津嶽・大原山 その隣にも。
その隣にも。
生駒山・神津嶽・大原山 平成三年発行『平群谷』より転載。
平成三年発行『平群谷』より転載。
生駒山・神津嶽・大原山 ここから山へ分岐あり。地図でも道があります。探索してみることに。抜けられたらやや近道かも。
ここから山へ分岐あり。地図でも道があります。探索してみることに。抜けられたらやや近道かも。
生駒山・神津嶽・大原山 意外と快適。
意外と快適。
生駒山・神津嶽・大原山 …と思ったけど、所々、笹や倒木があり。でも軽い方です。
…と思ったけど、所々、笹や倒木があり。でも軽い方です。
生駒山・神津嶽・大原山 ここは左に落ちないよう注意。ちゃんと道路の杭があります。
ここは左に落ちないよう注意。ちゃんと道路の杭があります。
生駒山・神津嶽・大原山 ここは急な下り。古道の雰囲気があります。
ここは急な下り。古道の雰囲気があります。
生駒山・神津嶽・大原山 お!集落が近い!
お!集落が近い!
生駒山・神津嶽・大原山 抜けられましたー✌️ここに少し太陽光パネルあり。
抜けられましたー✌️ここに少し太陽光パネルあり。
生駒山・神津嶽・大原山 予想どおりの地点に降りてきました。これは元々何でしょうね。墓地への道なのか、山へ柴刈りへの道なのか。いつかこのお宅の方に聞いてみよう。
予想どおりの地点に降りてきました。これは元々何でしょうね。墓地への道なのか、山へ柴刈りへの道なのか。いつかこのお宅の方に聞いてみよう。
生駒山・神津嶽・大原山 マニアックな散歩でしたが、軽い運動になりました。
マニアックな散歩でしたが、軽い運動になりました。

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