コメント

  • やす

    プレミアムユーザー

    かずあきさん、こんばんは😃 7メートルの展望台!初めて聞きました🤩ちょうど千メートルになるわけですね🤔 小学三年生の頃登ったときには、薬師堂より高いものは無かった気がします。何か、林道を作る作らないで揉めた話を聞かされた記憶がかすかにあります。米山、展望台跡、でググったら、かずあきさんの活動日記が出てきました😅 お疲れ様でした‼️

    • かずあき

      プレミアムユーザー

      やすさん、こんばんは😀 米山山頂の展望台は、私も見たことがありません。(写真すら見たことがありません。) 私が、初めて米山へ登ったのは昭和53年の夏でした。(職場の仲間大勢で下牧の表登山道を登りました。日にちも覚えていません。)当時は、山に興味は薄く、はっきり覚えていないのですが、薬師堂は現在と同じで、避難小屋は現在よりも貧弱な小屋だったように記憶しています。展望台は記憶に無いので、昭和53年には、既に展望台は撤去されていたのだと思います。 私が、平成3年に購入した「越後の山旅下巻(藤島玄著)」米山について書かれた276ページに「一等三角点本点の真上に約7メートルの展望台がある。標石の周辺に構築物は許可されない筈だが、建った物に登れば標高1000メートルだ。」とあります。 この本の初版は昭和54年9月10日、再版昭和58年8月20日で、私が持っているのは、再版の本です。 昭和47年11月21日落雷により薬師堂が焼失、昭和49年9月21日新薬師堂落慶式と書かれていることから、展望台があったのは昭和50年ころの話だと思います。 この本には、書かれていませんが、別の本か?人の話?か覚えていないのですが、三角点の周辺に構築物は許可されないという理由で撤去させられた。とのことだと思います。 詳しくはわかりません。 展望台の名残があると言う話も平成3年ころ聴いた記憶があります。 画像は展望台の名残かどうかはわかりませんが、三角点の薬師堂側の残骸を見て、ふと展望台があったという話を思い出し、これが展望台の名残なのではと思った次第です。

    • やす

      プレミアムユーザー

      かずあきさん、こんばんは😃 本件、遅くなりすみません。教えて頂きありがとうございます😊 漸く今日、教えて頂いた本を図書館で借りてきました。山の生い立ちから、三階節、米山塔、何から何まで詳しくコンパクトに書かれていて、すごい本ですね🤩7メートルの展望台についても確認しました。父は展望台を覚えていました。子供の頃あったと。林道建設のゴタゴタも含めて年末に聞いてみようと思います🤔 この本には巻機山のややこしい道標の由来とかも載っているようですね。中ノ岳は銀山だったとか、気になっていた事は全部載っているようです。良い本を教えて頂きありがとうございます‼️

    • かずあき

      プレミアムユーザー

      やすさん、こんばんは😀。 私も、この本を読んで、十字峡から中ノ岳へ登る際、日向山で金を探しました。 ところで、やすさんが借りて来た本は、初版本でしょうか?、再版本でしょうか?。 再版本は、初版本に載っていた海谷山塊東側の鳥帽子岳、阿弥陀山、鉢山が削除されています。 私は、阿弥陀山へ登りたくて、初版本を持っていた職場の先輩から海谷山塊東側の山の写しをいただいて参考にさせてもらいました。(参考まで)

    • やす

      プレミアムユーザー

      生姜の根のような自然金ですか…想像もできない😅金色の点がついたミミズなら去年10月20日に見ました。7合目を過ぎてからですが。 借りてきた本は初版ですね。365ページから海谷山塊が掲載されています。削除は残念ですね。糸魚川に勤務の際に登られたのですね。世界が広がりそうです。ありがとうございます😊

    • かずあき

      プレミアムユーザー

      再版本も海谷山塊の駒ヶ岳、鬼ヶ面山、鋸岳は載っていますが、再版本は365~373ページまでが海谷山塊ですが、鳥帽子岳、阿弥陀山、鉢山が削除されています。

コメントを投稿