活動データ
タイム
09:13
距離
12.9km
のぼり
1185m
くだり
1170m
活動詳細
すべて見る(仮称)明神ヶ岳索道の探索に行ってみました。大雄山最乗寺から、明神ヶ岳への登山道を歩くと、中腹の登山道沿いに、点々と鉄塔があるのをご存じの方も多いかと思います。 実はこの索道は、いつ誰が何の目的で設置しようとしていたのか、記録が殆ど残っておらず、謎多き索道なのです。正式な名称も不明なので(仮称)です。 索道は1970年代に建設が始まったと言われています。十八丁目茶屋付近から、明神ヶ岳山頂付近まで、上部索道と下部索道の2本の索道で結ぶ計画だったようです。下部索道は一応完成したようですが、上部索道は建設途中で放棄されてしまったようです。ケーブルが張られなかった為か、ルート上の樹木も伐採されておらず、航空写真から上部索道のルートを識別するのは非常に困難です。(下部索道は1970年代の航空写真ではっきり判る) この索道については、BAZU氏のサイト→http://bazu55555.web.fc2.com/ に非常に詳しく記録されてりますので、興味があるかたはご覧になってみるとよいでしょう。 今回は、出来るだけ索道下を歩くという縛りで行ってみました。下部索道はケーブルが残っており、追跡は比較的楽だったのですが、ほとんど人が歩かない山中を歩くのは、思ったより時間がかかり、上部索道の鉄塔を全てを発見できませんでした。近々未発見の鉄塔を探索に行きたいと思います。 追記 上記のサイトを詳しく見て見ると、1960年代半ばに「東箱根観光開発株式会社」が明神ヶ岳の中腹に観光施設の開発を計画し、温泉掘削の資材搬送用に、索道が架設されたらしい。 目的は判った。東箱根観光開発株式会社が、索道事業者なのか、いつ造られたのかは依然として不明ですが、少なくとも旅客用ではなく、工事用の仮設索道だったようです。 温泉掘る為になんとも大掛かりなことですが、当時は「箱根山戦争」と言われたほどの開発ブームで、索道跡も、開発競争の遺物といったところでしょうか。
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