活動データ
タイム
02:57
距離
4.9km
のぼり
384m
くだり
384m
活動詳細
すべて見る竹内文書(たけうちもんじょ)をご存じか?📖 竹内文書は『神代文字で記された文書と、それを武烈天皇(ぶれつてんのう)の勅命により武内宿禰(たけしうちのすくね)の孫の平群真鳥(へぐり のまとり)が漢字とカタカナ交じり文に訳したとする写本群と、文字の刻まれた石、鉄剣など、一連の総称』だそうだ(引用)。 現在では「古代の文書を装ったとされる偽書」とされるもので、平群真鳥(へぐり のまとり、生年不詳~498年)の子孫であるとされる竹内家に、養子に入ったと自称する竹内巨麿(たけうちきよまろ/1875? ~1965年/富山県上新川郡新保村生まれ(自称))が、1928年(昭和3年)に公開した文書である。その内容は現在の神話や天皇家の系統を根底から覆すものであるが、話題になり注目を浴びたものの根拠に乏しく信憑性も薄いことから、事実認定はされていないようだ。🧐 竹内文書の解説書の一つに「神代の万国史」があり、それによると尖山は天皇が乗る「天の浮舟(あめのうきふね)」の発着地で、天皇はそこから「天の浮舟」というUFOに乗り、全世界を飛行したのだそうだ。👽 尖山にまつわる話は他にも数多く存在し、古代日本のピラミッド説や、UFOの目撃情報も多いことから、宇宙人の基地説であるなどテレビのゴールデンタイムで取り上げたりと話題に事欠かない。🛸 地元ではこの山容を形容して「とんがりやま・とがりやま」と呼んでいるが、正式名称は(かつては)布倉山と呼ばれていた時期もある。🏞️ 『越中国舟倉山の神・姉倉媛(あねくらひめ)は、能登国石動山・伊須流伎(イスルギ)彦の奥方だったが、後に杣木山(そまぎやま)の神・能登媛を妻としたため、二山の間で嫉妬による争いが起こった。布倉山(現在の尖山)の布倉媛は姉倉媛に加勢し、甲山の加夫刀(カブト)彦は能登媛を助け、大きな神戦となり、国中の神々が集まり、仲裁なされた。』そうだ。二股はアカン!という事です。👭🕴️ 尖山の標高は僅か559.4m。その円すい形の三角形の山に、数々の神話やミステリアスなうわさ話が有るのは、やはり眼前の立山連峰の神々しい雄姿の影響であろう。🏔️ 考古学の分野で、尖山の山頂で山岳信仰に関連した平安末期から鎌倉時代にかけての祭祀の遺跡が発見されている。⛩ 独特な山容の正体は、残念ながらピラミッドではないと断定されているが、日本海形成期の大陸縁で噴出した安山岩類の岩稲層であることが分かっている。岩稲層と言えば、以前舟倉用水を歩いた時に見た古い地層で、尖山もその約2千万年前の海底火山の噴火が原型となり、今から2万年前に現在の形になったもののようだ。🕌🗿 今回はそんな地球規模の長く古い歴史を持つ、尖山を目指す行程とした。🙋
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