活動データ
タイム
10:39
距離
18.7km
のぼり
1639m
くだり
1786m
活動詳細
すべて見るコロナ禍ならぬ家内の無病息災を祈願したく大和町は七ツ森の七薬師掛けを行って来ました。 「七薬師掛け」とは、七ツ森(笹倉山・松倉山・撫倉山・大倉山・蜂倉山・鎌倉山・遂倉山)の各山々の頂上に祀られている薬師如来石像を一日でお参りすると無病息災が叶うと言い伝えられており、昔は成人(元服)の証とされていました。 七ツ森の七薬師掛けと言えば、信楽寺(しんぎょうじ)跡からスタートして最後に笹倉山が一般的かと思います。 私は今回、朝4時には自宅を出発したので現地には早々に到着予定でした。 急遽予定を変更し、一つだけ離れている笹倉山へ最初に登り「日の出を拝み」、山頂の薬師堂にお参りしてから七ツ森の巡行をしようと考えました。 笹倉山には七つの薬師如来を合祀して笹倉山をお参りすれば七つ掛けしたのと同じ御利益があるとされたそうです(※1) (追記) ※1「1年に1度だけ5月8日の山開きの日は、笹倉山1座を登れば、7座登ったのと同じご利益があるとされ毎年賑わうそうです。」 今回の七薬師掛け無事に全てを巡拝し日暮れ前ギリギリに下山できました。🌄😵💦 無病息災を祈願しつつ日々の生活を規則正しくし精進して行きたいと思います😉✊ ※笹倉山のみマイカー使いましたので軌跡が直線になっています。 以下は読み飛ばして頂いてOKです。由来とか七ツ森ウィキです。 ~七ツ森の出来たわけ~ https://www.town.taiwa.miyagi.jp/soshiki/soumu/7tsumori.html 以下大和町ホームページから↓ 昔、加美の都に朝比奈三郎という力持ちの大男が住んでいました。 あるとき、弓の稽古をするため、的にする山を作ることにしました。 そこで大きなタンガラ(土を運ぶための背負いかご)をつくり、黒川のほうまでやってきたそうな。そして、大谷の東の原っぱ(現在の鹿島台町あたり)からタンガラいっぱいに土をいれ、七回ほど土を運んで的山をつくりました。 途中、一回づつ休んだときにタンガラから土がこぼれ、その土が固まって七つの山ができました。それが今の「七ツ森」で、この時土を掘ったところが「品井沼」、三郎が歩いた足跡が「吉田川」になったんだと。 また、その時の的山が矢喰山(薬莱山)で、一番あとにタンガラの残りでできた山がたんがら森といわれるようになったんだとさ。 ここまで↑ 七ツ森の構成ウィキペディア 現在は笹倉山を含めて七ツ森と呼んでいるが、かつては笹倉山は含めず、遂倉山(とがくらやま)から見ると北西、鎌倉山から見ると北方に立つたがら森(仙台弁ではたんがら森)を含めた7山を七ツ森としていた。「旧七薬師掛け」 ある時期に、たがら森以外の各山の薬師如来が笹倉山に合祀された。その後、標高の低いたがら森は七ツ森から外され、替わって笹倉山が新たに七ツ森に加わり、現在に至っている。「新七薬師掛け」 ここまで↑ 最後まで観て頂きありがとうございます☺️
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