相島

2020.11.13(金) 日帰り

活動データ

タイム

02:44

距離

7.6km

のぼり

220m

くだり

219m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
2 時間 44
休憩時間
26
距離
7.6 km
のぼり / くだり
220 / 219 m
2 45

活動詳細

すべて見る

休日出勤の代休😆 先月お客さんが多くて船に乗れず、行けなかった相島リベンジ❗️  相島には、昔から飼い主のいない猫がたくさん生息しています。この猫たちは、ネズミや魚さい(魚のアラ)などを食べて生きてきました。  最近では、「猫の島」として有名になり、観光客のかたから餌をもらうようになり、非常に人懐っこく寄っていくようになりました。  そのような中で、一部のかたから、「猫が痩せていてかわいそう」「目ヤニが出たり病気になったりしている猫がいる」など、猫を心配する声を多くいただいています。  相島では、「相島活性化協議会」を立ち上げており、島の活性化について、町と協働で進めています。飼い主のいない猫についても、協働で進めているところです。相島の人と猫の共存について、それぞれにとって良い方法を検討しています。  町としても、対応すべき事案として捉えていますので、どうかご理解をいただき、インターネットによる書き込みや拡散などされずに、見守りいただきたいと思います。  また、町営渡船や島内に置いているチラシに、「野生の猫」と表記していましたが、「飼い主のいない猫」に改めています。 新宮町HPより

相島 早速、猫ちゃん達がお出迎え🐱
写真を撮ろうとしゃがむと寄ってきます😅
早速、猫ちゃん達がお出迎え🐱 写真を撮ろうとしゃがむと寄ってきます😅
相島 この子はどっしりしてますが、痩せた子、くしゃみして鼻水垂らしてる子、声の嗄れた子もおり、体格の差がすごいなと思いました。
この子はどっしりしてますが、痩せた子、くしゃみして鼻水垂らしてる子、声の嗄れた子もおり、体格の差がすごいなと思いました。
相島 龍王石(りゅうおういし)
「筑前国風土記附録」に「八大龍王石神、タカイシワラ(地名)」とあります。御神体は島の西海岸にある自然石で、周囲750センチメートル、横256センチメートル、高さ216センチメートルの巨岩です。
龍王石(りゅうおういし) 「筑前国風土記附録」に「八大龍王石神、タカイシワラ(地名)」とあります。御神体は島の西海岸にある自然石で、周囲750センチメートル、横256センチメートル、高さ216センチメートルの巨岩です。
相島 遠見番所跡(とおみばんしょあと)
寛永の 「 天草の乱 」 の後、幕府は鎖国令を発し、黒田藩は異国船を監視する遠見番所を姫島、大島、玄海、岩屋、相島の5カ所に設置した。
遠見番所跡(とおみばんしょあと) 寛永の 「 天草の乱 」 の後、幕府は鎖国令を発し、黒田藩は異国船を監視する遠見番所を姫島、大島、玄海、岩屋、相島の5カ所に設置した。
相島 筑前相島灯台
筑前相島灯台
相島 井ノ浦と言うところがビューポイントと書いてあるので行ってみると
井ノ浦と言うところがビューポイントと書いてあるので行ってみると
相島 工事中🚧
工事中🚧
相島 太閤潮井の石(たいこうしおいのいし)
国内を統一した豊臣秀吉は、文禄元年(1592)・慶長2年(1597)に朝鮮へ出兵しました。諸国の軍勢が海路名護屋城に向かう途中、相島に立ち寄り海岸の石を一個ずつ持って千手観音像に航海安全と戦勝の祈願をしました。その積み上げられた石の山を、太閤塩井の石と呼んでいます。
太閤潮井の石(たいこうしおいのいし) 国内を統一した豊臣秀吉は、文禄元年(1592)・慶長2年(1597)に朝鮮へ出兵しました。諸国の軍勢が海路名護屋城に向かう途中、相島に立ち寄り海岸の石を一個ずつ持って千手観音像に航海安全と戦勝の祈願をしました。その積み上げられた石の山を、太閤塩井の石と呼んでいます。
相島 穴観音(あなかんのん)
絶壁の下にある入口が約2メートル、広さが約10畳ほどの洞窟にひっそりと鎮座する観音様。昔から島の人々の海上安全、無病息災を願う信仰の対象です。今から500年余り昔に大きな台風に襲われたとき、穴から観音様が浮かび出し、肥前五島(長崎県)の玉の浦に漂着しました。浦人は観音様をまつり信仰していましたが、ある夜浦人の夢に観音様が現れ「我は筑前の相島の観音である。早くもとの所に返すべし」と告げられました。人々は驚き急いで、船で島へ送り届けたという言い伝えもあります。その観音様は山の観音堂本尊の胎内に納められており、みることができません。

現在は落石の為おりることはできません。との事。
おそらく、場所を移したのではと思われます。
穴という穴ではなかったし、HPの写真とは違う様です。
穴観音(あなかんのん) 絶壁の下にある入口が約2メートル、広さが約10畳ほどの洞窟にひっそりと鎮座する観音様。昔から島の人々の海上安全、無病息災を願う信仰の対象です。今から500年余り昔に大きな台風に襲われたとき、穴から観音様が浮かび出し、肥前五島(長崎県)の玉の浦に漂着しました。浦人は観音様をまつり信仰していましたが、ある夜浦人の夢に観音様が現れ「我は筑前の相島の観音である。早くもとの所に返すべし」と告げられました。人々は驚き急いで、船で島へ送り届けたという言い伝えもあります。その観音様は山の観音堂本尊の胎内に納められており、みることができません。 現在は落石の為おりることはできません。との事。 おそらく、場所を移したのではと思われます。 穴という穴ではなかったし、HPの写真とは違う様です。
相島 相島積石塚群(あいのしまつみいしづかぐん)
相島の北東、長井浜に「積石塚」があります。
 古墳時代、死んだ人を埋葬するため、土を盛って様々な古墳が造られていました。その中に、墳丘を石だけで造ったり、石と土を混ぜ合わせて造った古墳があります。それが「積石塚」と呼ばれている古墳です。
 新宮町に大規模な積石塚群があると確認されたのは、平成4年のことです。
 調査の結果、254基の積石塚が確認され、全国的にも珍しい遺跡であることが分かり、平成13年8月7日に国指定史跡となりました。
相島積石塚群(あいのしまつみいしづかぐん) 相島の北東、長井浜に「積石塚」があります。  古墳時代、死んだ人を埋葬するため、土を盛って様々な古墳が造られていました。その中に、墳丘を石だけで造ったり、石と土を混ぜ合わせて造った古墳があります。それが「積石塚」と呼ばれている古墳です。  新宮町に大規模な積石塚群があると確認されたのは、平成4年のことです。  調査の結果、254基の積石塚が確認され、全国的にも珍しい遺跡であることが分かり、平成13年8月7日に国指定史跡となりました。
相島 鼻栗瀬(はなぐりせ・通称めがね岩)
島の東300メートルの海上にそそり立ち、全体が玄武岩でできています。
 高さ20メートル、周囲100メートルで海食洞があり、通称めがね岩と呼ばれています。
 平成18年2月21日に鼻面半島とともに県指定文化財(名勝)に指定されました。
鼻栗瀬(はなぐりせ・通称めがね岩) 島の東300メートルの海上にそそり立ち、全体が玄武岩でできています。  高さ20メートル、周囲100メートルで海食洞があり、通称めがね岩と呼ばれています。  平成18年2月21日に鼻面半島とともに県指定文化財(名勝)に指定されました。
相島 これが限界😵もっと近くで見たかったなぁ😭
これが限界😵もっと近くで見たかったなぁ😭
相島 ここの海岸は砂浜でなく、石です😲
ここの海岸は砂浜でなく、石です😲
相島 山の観音堂
この観音堂は、江戸時代の享保年間1716-1735穴観音に参詣するのに距離が遠く不便なため、 民家に近いこの場所に建てられたものです。
ここに安置されている千手観音菩薩も同じ時代に造られたもので、 菩薩の胎内には観音像が納められています。
とおしろさんのレポで糟屋北部新四国八十八箇所番外の観音霊場とありましたので、これで本当に結願です✨
山の観音堂 この観音堂は、江戸時代の享保年間1716-1735穴観音に参詣するのに距離が遠く不便なため、 民家に近いこの場所に建てられたものです。 ここに安置されている千手観音菩薩も同じ時代に造られたもので、 菩薩の胎内には観音像が納められています。 とおしろさんのレポで糟屋北部新四国八十八箇所番外の観音霊場とありましたので、これで本当に結願です✨
相島 刺身定食🤤美味しかった✨
刺身定食🤤美味しかった✨

もしも不適切なコンテンツをお見かけした場合はお知らせください。