山岳会のメンバーと共に歩きました 力不足のリーダーの私は、サブリーダーのshoさんに おんぶに、だっこに、肩車状態でお世話になって 何とか終了しました 黒河道の様子は他の人が沢山アップされているので、 事前に調べていた黒河道の事について書きます 黒河道 高野山に続く7つの街道の一つで 和歌山県橋本市の定福寺から黒河道女人堂跡の約16~17キロの道 現在、黒河道とされている道は、旧黒河村を通らずに 村の西側の道を通っています 久保小学校から子継峠(文献では香春峠・粉撞峠・粉突峠と表記)の区間で、 いくつかの史料や道標をかんがみても、旧黒河村を通る道が本来の黒河道で 西側の道は高野参詣道としての黒河道ではないかと思われます 現在の道でも、町の中心部に車を通行させるより バイパスを作って通行させるといった感じかな? ここからは仮定ですが、旅人はすべて善人ではなく、 村は旅籠でもないため、高野山に参拝する人は 村へ立ち寄らせたくなかったのではないでしょうか? 黒河村は9世紀頃、高野山建設に従事した人たちが住み着いた集落で、 高野山との関係は密接でした また、古くから「御番株」という役目で、 高野山奥之院燈明の油の補給を担当していたことから、 お供物や下燈などのおさがりで恵まれていたようです 室町時代には二軒茶屋から久保、子継峠を経て 高野山に至る高野街道が示されていました その後、太閤秀吉が高野山で禁じられている能楽を催したため、 豪雨と雷鳴におののき、馬で駆け下りたことから「太閤道」といわれるようになりました 神仏を恐れず比叡山を焼き討ちした信長に比べると 神仏を恐れて高野山から逃げ降りる秀吉のエピソードが対照的で面白いですね
黒河道のスタート⁉
黒河道のスタート⁉
7月の災害で通行止め
7月の災害で通行止め
う回路があります
う回路があります
通行止めの様子
通行止めの様子
石仏
石仏
仮設トイレ 使用せず
仮設トイレ 使用せず
弘法大師
弘法大師
五軒畑岩掛観音
五軒畑岩掛観音
仮設トイレ 使用せず
仮設トイレ 使用せず
民家の横を通らせて頂く
民家の横を通らせて頂く
市平集落の氏神 春日大社 いい香りがします
市平集落の氏神 春日大社 いい香りがします
植林の道
植林の道
山神様
山神様
勝手にカルピス地蔵と命名
勝手にカルピス地蔵と命名
久保小学校跡
久保小学校跡
久保小学校跡横の掲示板
久保小学校跡横の掲示板
茶堂跡(おめん茶屋) 扉は締まっていますが、中には弘法大師像と不動明王像が設置)
茶堂跡(おめん茶屋) 扉は締まっていますが、中には弘法大師像と不動明王像が設置)
茶堂跡を過ぎて右手に関電道を登る(黒河道を外れます)
茶堂跡を過ぎて右手に関電道を登る(黒河道を外れます)
豆腐屋敷跡に残る水槽
豆腐屋敷跡に残る水槽
ここから雪池山へ
ここから雪池山へ
雪池山へは急登
雪池山へは急登
雪池山(銅岳)
雪池山(銅岳)
子継峠
子継峠
子継峠の地蔵菩薩立像石仏 銘文「香春峠、永生九(1512)」
子継峠の地蔵菩薩立像石仏 銘文「香春峠、永生九(1512)」
一本杉
一本杉
紅葉
紅葉
黒河口女人堂跡看板
黒河口女人堂跡看板
高野山 蛇腹道 紅葉
高野山 蛇腹道 紅葉
黒河道のスタート⁉
7月の災害で通行止め
う回路があります
通行止めの様子
石仏
仮設トイレ 使用せず
弘法大師
五軒畑岩掛観音
仮設トイレ 使用せず
民家の横を通らせて頂く
市平集落の氏神 春日大社 いい香りがします
植林の道
山神様
勝手にカルピス地蔵と命名
久保小学校跡
久保小学校跡横の掲示板
茶堂跡(おめん茶屋) 扉は締まっていますが、中には弘法大師像と不動明王像が設置)
茶堂跡を過ぎて右手に関電道を登る(黒河道を外れます)
豆腐屋敷跡に残る水槽
ここから雪池山へ
雪池山へは急登
雪池山(銅岳)
子継峠
子継峠の地蔵菩薩立像石仏 銘文「香春峠、永生九(1512)」
一本杉
紅葉
黒河口女人堂跡看板
高野山 蛇腹道 紅葉