山形 千歳山2020-11-9

2020.11.09(月) 日帰り

活動データ

タイム

01:25

距離

3.2km

のぼり

305m

くだり

305m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
1 時間 25
休憩時間
0
距離
3.2 km
のぼり / くだり
305 / 305 m
7
25
20
13

活動詳細

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「阿古屋の松」はどこにあったのか。 先日の福島は口太山の伝説にあった話は、平家物語の「阿古屋の松」で触れられた話にどこか似ている。 その前に、阿古屋の松の物語・・・ 『むかし、陸奥の国司の娘に「あこや」という姫がいました。 夜、あこや姫が笛を奏でると、若者が現れるようになり、2人はいつしか互いに慕うようになりました。 しかし、若者は日々やせ細り弱っていき、ある夜、「私は松の精。もうすぐ切り倒される…」と打ち明け消えてしまいます。 そして、あこや姫はもう若者に会えなくなってしまいました。 姫は悲しみ、出羽の国へ旅に出ます。 道中で、村人が橋にする松の木を動かせず困っていました。 若者の言葉を思い出し、あこや姫が笛を吹くと、びくともしなかった松の木が簡単に動きました。 「あの若者はこの松の精霊だ…」と姫は気付きます。最後の別れをするために待っていたのだと。 あこや姫は、2人の思いを託して松の苗を植えました。そして笹谷峠を越え、出羽へとたどり着いたそうです。』 以上は宮城県柴田郡川崎町HPから。 テレビアニメ・日本昔話でも取り上げられた話し。 この話し、正岡子規の高弟で五七五俳句を脱した河東碧梧桐も「三千里」で触れている。私、河東のイカレた水墨の筆致が好きなんです(笑)。彼は「登山は冒険だ」というエッセイも残していて、石鎚山の箇所は読み応えあり。 HPではその柴田郡川崎町にあったとするし、阿古耶姫とその父藤原実方の墓がある山形市の満松寺にもそれがあったというし、わからないので両方行ってみることにした。 まずは柴田郡川崎町の「阿古屋の松」。てか、目的地まであと400mですのところで封鎖。つい4日前に、阿古屋の松への道が冬季閉鎖されてしまったようだ。 高速に乗って山形市へ。雨がシズシズと降っている。蔵王連峰は雪景色。 満松寺の駐車場からスタート。鐘撞堂から古い石段を登ると古いお墓があり、うち一つは藤原実方と阿古耶姫のお墓です。この満松寺は阿古耶姫によって開かれたという。 左に登ると若い松のいくつか。阿古屋の松の話を聞いた明治天皇が松を耐えさぬよう、二代目阿古屋の松を送ったようだ。長い急な階段を登ると岩間やその上を登る。頂上には四等三角点があり、それよりも「阿古耶の松跡」の石碑があり。下ると善光寺岩という岩群に出会う。 そのまま長閑な秋らしい静かな道を行きスタート地点に戻る周回。シズシズ雨が降ったり止んだり。 なお、現在は「阿古屋の松」は「阿古耶の松」とするのが通例のようです。 *「出羽国風風土記略記」などによると、千歳山山頂に阿古屋の松があったという。また、後の記述では江戸時代の始めまで阿古屋の松は存在していたらしいです。

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