横須賀の歴史を歩く[前編]

2020.10.24(土) 日帰り

注意情報

この活動日記は、現在は立入禁止となっている区域を含んでいる可能性があります。
事前に現地の最新情報を確認して行動をしてください。

立入禁止区域を確認する

チェックポイント

DAY 1
合計時間
4 時間 52
休憩時間
9
距離
11.7 km
のぼり / くだり
571 / 578 m
20
13
10
1 45
55
39

活動詳細

すべて見る

三浦半島で起きた歴史的な事件や事象と言えば、1853年の浦賀におけるペリー来航があまりに有名ですが、いろいろと調べてみると、実はペリー来航以外にも様々な歴史的トピックスが生じていたことに気づきました。 特に、横須賀エリア(横須賀市の東エリア)では、 ・1180年 衣笠城の戦い ・1605年 三浦按針が逸見村にて      250石の知行地を与えられる ・1598年-1616年 スペイン,メキシコ,フィリピン         と浦賀湊で貿易 ・1720年 浦賀奉行所開設、その後、      浦賀道が保土ヶ谷宿〜浦賀間に開通 ・1853年 浦賀沖に黒船来航 ・1860年 咸臨丸、浦賀から太平洋横断へ出航 といった事が起こったみたいなんですよね(8割浦賀ですが)。 しかもこれ、数字を見てもらうと分かるかと思うんですが、(若干の空白時期はあるものの)なんと源平合戦から江戸末期までを網羅しています。武家社会の創成期から終末期まで丸ごとですよ。そう考えると、この横須賀エリア、なにげに日本史のホットスポット的な、なかなかアツい場所であるとも言えます。 てなわけで、この横須賀エリアの歴史遺構を一気に巡ってしまおう、というのが今回の主旨です。なるべく年代順に巡れるようにするため衣笠をスタートとし、最終的に浦賀を目指しました。さすがに1日だけじゃ時間が足りず、2日に渡って歩いたので、前編と後編に分けてあります。

横須賀市 歴史にいざなわれて、衣笠駅からスタートです。
歴史にいざなわれて、衣笠駅からスタートです。
横須賀市 衣笠山公園を歩くのは9月8日以来の2度目。
衣笠山公園を歩くのは9月8日以来の2度目。
横須賀市 サクッと衣笠山の展望台へ。
サクッと衣笠山の展望台へ。
横須賀市 そして衣笠城址を目指します。
そして衣笠城址を目指します。
横須賀市 良い天気ですねえ。
良い天気ですねえ。
横須賀市 いざ衣笠城へ。
いざ衣笠城へ。
横須賀市 9月8日に通った際、この道はクモの巣だらけでした。思い返せばこの時、クモの巣払いに使った棒キレに対して、源氏の名刀“髭切”にちなんで“蜘蛛切”などと命名してはしゃいでいたものです。ところがどうしたことか、今回はクモの巣が全くありません。せっかく今回もビンビンの蜘蛛切を手にしたというのに、これじゃただの杖です。
9月8日に通った際、この道はクモの巣だらけでした。思い返せばこの時、クモの巣払いに使った棒キレに対して、源氏の名刀“髭切”にちなんで“蜘蛛切”などと命名してはしゃいでいたものです。ところがどうしたことか、今回はクモの巣が全くありません。せっかく今回もビンビンの蜘蛛切を手にしたというのに、これじゃただの杖です。
横須賀市 クモの巣はありませんが、この生命体たちはまだまだビンビンに活動しております。そうです、雑木林のタイガー&ドラゴンこと、スズメバチです。
クモの巣はありませんが、この生命体たちはまだまだビンビンに活動しております。そうです、雑木林のタイガー&ドラゴンこと、スズメバチです。
横須賀市 スズメバチの雄姿。こうやって冷静に画面越しに見るとなかなかかっこいいフォルムをしています。ま、雌なんですけどね。
スズメバチの雄姿。こうやって冷静に画面越しに見るとなかなかかっこいいフォルムをしています。ま、雌なんですけどね。
横須賀市 さあ、三浦義明殿が呼んでますので、先へ急ぎましょう。
さあ、三浦義明殿が呼んでますので、先へ急ぎましょう。
横須賀市 というわけで、1つ目のヒストリカルチェックポイントである衣笠城址に到着。衣笠城は平安〜鎌倉時代の武家・三浦氏の居城。1180年、源氏に与した三浦氏と平家方の畠山氏がここ衣笠城で衝突。世に言う衣笠城合戦が起こりました。
というわけで、1つ目のヒストリカルチェックポイントである衣笠城址に到着。衣笠城は平安〜鎌倉時代の武家・三浦氏の居城。1180年、源氏に与した三浦氏と平家方の畠山氏がここ衣笠城で衝突。世に言う衣笠城合戦が起こりました。
横須賀市 【以下、Wikipedia要約】平家を打倒すべく、源頼朝の挙兵に三浦氏も呼応し、かの石橋山の戦いに参戦しようとしましたが、悪天候により間に合わず、頼朝軍の敗北を聞いて三浦半島へ撤退。その途上、由比ヶ浜〜小坪のあたりで平家方の畠山重忠軍と衝突しますが、決着つかず双方退却。三浦軍は衣笠城に無事到着。しかしそこへ再び畠山軍が襲来。悲運にも当主・義明公は討ち死。嫡子・義澄率いる一族は房総半島へ亡命。頼朝軍と合流して再起を図り、再び源平合戦の渦に突入していくのでした。
【以下、Wikipedia要約】平家を打倒すべく、源頼朝の挙兵に三浦氏も呼応し、かの石橋山の戦いに参戦しようとしましたが、悪天候により間に合わず、頼朝軍の敗北を聞いて三浦半島へ撤退。その途上、由比ヶ浜〜小坪のあたりで平家方の畠山重忠軍と衝突しますが、決着つかず双方退却。三浦軍は衣笠城に無事到着。しかしそこへ再び畠山軍が襲来。悲運にも当主・義明公は討ち死。嫡子・義澄率いる一族は房総半島へ亡命。頼朝軍と合流して再起を図り、再び源平合戦の渦に突入していくのでした。
横須賀市 では、次なるヒストリカルチェックポイント、安針塚を目指して北へ向かいましょう。
では、次なるヒストリカルチェックポイント、安針塚を目指して北へ向かいましょう。
横須賀市 古道のような道を抜け...
古道のような道を抜け...
横須賀市 針葉樹の植林を抜けて...
針葉樹の植林を抜けて...
横須賀市 林道のヘアピンカーブに到着。
林道のヘアピンカーブに到着。
横須賀市 車一台通れる、幅の広い道です。
車一台通れる、幅の広い道です。
横須賀市 砕石に混じって、陶器の破片が路上に散りばめられている、謎の道。
砕石に混じって、陶器の破片が路上に散りばめられている、謎の道。
横須賀市 てなわけで、ひとまず令和の世界に戻って参りました。
てなわけで、ひとまず令和の世界に戻って参りました。
横須賀市 さて、次なる目的地・安針塚に行くには、あの山を越えなければなりません。まあ県道があるので、どうしても越えなければならないなんてことはないでしょうけど、なんとなく三浦按針殿が
“Hey Mr. Gellkato! Cross that mountain!”
と言っているような気がしたので、やはり行かなければなりません。
さて、次なる目的地・安針塚に行くには、あの山を越えなければなりません。まあ県道があるので、どうしても越えなければならないなんてことはないでしょうけど、なんとなく三浦按針殿が “Hey Mr. Gellkato! Cross that mountain!” と言っているような気がしたので、やはり行かなければなりません。
横須賀市 横須賀しょうぶ園横のイチョウの木が、勝負に出ていますね。
横須賀しょうぶ園横のイチョウの木が、勝負に出ていますね。
横須賀市 というわけで、住宅街脇の怪しげな踏み跡の入口へとやって来ました。ここへ入ってみます。
というわけで、住宅街脇の怪しげな踏み跡の入口へとやって来ました。ここへ入ってみます。
横須賀市 ド荒れてます。
ド荒れてます。
横須賀市 荒れに荒れてますが、跨いだりくぐったりを繰り返しさえすれば、一応それなりに前へ進んでいけます。
荒れに荒れてますが、跨いだりくぐったりを繰り返しさえすれば、一応それなりに前へ進んでいけます。
横須賀市 荒れもだいぶ落ち着いてきました。青々と繁る草木の中を歩いていきます。原生的ですねえ...と言いたいところですが、実際は針葉樹の植林です。
荒れもだいぶ落ち着いてきました。青々と繁る草木の中を歩いていきます。原生的ですねえ...と言いたいところですが、実際は針葉樹の植林です。
横須賀市 鉄塔へのアプローチ道によく設置されている、網網の階段が出現。つまりこの道のメインの役割は鉄塔巡視路なんでしょうね。
鉄塔へのアプローチ道によく設置されている、網網の階段が出現。つまりこの道のメインの役割は鉄塔巡視路なんでしょうね。
横須賀市 てなわけで、尾根道に出ました。
てなわけで、尾根道に出ました。
横須賀市 衣笠城址では全くと言って良いほどクモの巣に遭遇せず、もうクモの季節は終わったのだろうと楽観視してましたが、そんなことはありませんでした。ここでは幾重にも渡って無限にクモの巣が張り巡らされています。蜘蛛切で切っても切ってもキリがありません。衣笠城のクモもこの山に集まってきたんでしょうか。
衣笠城址では全くと言って良いほどクモの巣に遭遇せず、もうクモの季節は終わったのだろうと楽観視してましたが、そんなことはありませんでした。ここでは幾重にも渡って無限にクモの巣が張り巡らされています。蜘蛛切で切っても切ってもキリがありません。衣笠城のクモもこの山に集まってきたんでしょうか。
横須賀市 そんな、果てしなき戦いの末に、ようやくこの山の頂きが近づいてきました。
そんな、果てしなき戦いの末に、ようやくこの山の頂きが近づいてきました。
横須賀市 というわけで、権現山の山頂に到着です。
というわけで、権現山の山頂に到着です。
横須賀市 四等三角点“権現山”。
四等三角点“権現山”。
横須賀市 道はさらに続いているようです。なんか変な物体がありますが、まあ、大丈夫でしょう。
道はさらに続いているようです。なんか変な物体がありますが、まあ、大丈夫でしょう。
横須賀市 ここにも。この、たびたび現れる倒木の塊をクリアしていかないと先へ進めません。三浦按針殿が僕になかなかの試練を与えてきます。しかし按針殿が超えた試練に比べれば、こんな倒木など屁でもありません。
ここにも。この、たびたび現れる倒木の塊をクリアしていかないと先へ進めません。三浦按針殿が僕になかなかの試練を与えてきます。しかし按針殿が超えた試練に比べれば、こんな倒木など屁でもありません。
横須賀市 まただ。絶妙なバランスで互いの枝が引っかかり合ってる状態なので、下手にいじると崩壊する恐れがあります。ですので、なるべく触れないようにくぐっていきます。
まただ。絶妙なバランスで互いの枝が引っかかり合ってる状態なので、下手にいじると崩壊する恐れがあります。ですので、なるべく触れないようにくぐっていきます。
横須賀市 道の状態が落ち着いてきたあたりで、ふと木々の向こうを見ると、大楠山が見えますね。
道の状態が落ち着いてきたあたりで、ふと木々の向こうを見ると、大楠山が見えますね。
横須賀市 ぶりっぶりに成熟したジョロウグモのメスたちが「ちょいと主さん、あちきと遊んでいくでありんすよ」と誘ってくるのですが、この私には、今回の道程を踏破して按針殿の御魂に会いに行くという硬い志しがありますので、気にせず蜘蛛切の太刀で一刀両断して、歩みを進めます。
ぶりっぶりに成熟したジョロウグモのメスたちが「ちょいと主さん、あちきと遊んでいくでありんすよ」と誘ってくるのですが、この私には、今回の道程を踏破して按針殿の御魂に会いに行くという硬い志しがありますので、気にせず蜘蛛切の太刀で一刀両断して、歩みを進めます。
横須賀市 横須賀の海。
横須賀の海。
横須賀市 ヤブ道ではないので、倒木とクモの巣さえクリアしていけば、それほど困る要素はありません。
ヤブ道ではないので、倒木とクモの巣さえクリアしていけば、それほど困る要素はありません。
横須賀市 鉄塔巡視路を象徴する網網の階段。これを下れば、再び文明のある世界に戻れます。
鉄塔巡視路を象徴する網網の階段。これを下れば、再び文明のある世界に戻れます。
横須賀市 フェンス、コンクリ、アスファルト。文明の世界に戻って参りました。ここは横須賀インター近くの、池上隧道の北側です。ここから十三峠へ向かいます。
フェンス、コンクリ、アスファルト。文明の世界に戻って参りました。ここは横須賀インター近くの、池上隧道の北側です。ここから十三峠へ向かいます。
横須賀市 十三峠入口。道は整っています。
十三峠入口。道は整っています。
横須賀市 権現山とは対照的な、とても歩きやすい道です。
権現山とは対照的な、とても歩きやすい道です。
横須賀市 谷を詰めると植林が現れる点は、権現山と似てますね。
谷を詰めると植林が現れる点は、権現山と似てますね。
横須賀市 森の中にはイノシシ用のくくりわなが設置されているとのこと。ほかにも、夜間にイノシシがこのコース上でうろついているので要注意、という内容の掲示もありました。三浦半島に生息する唯一の大型哺乳類の存在を、今ひしひしと感じています。
森の中にはイノシシ用のくくりわなが設置されているとのこと。ほかにも、夜間にイノシシがこのコース上でうろついているので要注意、という内容の掲示もありました。三浦半島に生息する唯一の大型哺乳類の存在を、今ひしひしと感じています。
横須賀市 依然、歩きやすい道が続きます。古道のような雰囲気の場所を過ぎれば、峠までもう間近です。
依然、歩きやすい道が続きます。古道のような雰囲気の場所を過ぎれば、峠までもう間近です。
横須賀市 十三峠に到着。尾根には舗装路も電線も電波塔もあり、また手前には住宅地ありで、なかなか文明感あふれる場所です。
十三峠に到着。尾根には舗装路も電線も電波塔もあり、また手前には住宅地ありで、なかなか文明感あふれる場所です。
横須賀市 眺望も良いですねえ。横須賀の海がばっちり見えます。
眺望も良いですねえ。横須賀の海がばっちり見えます。
横須賀市 そしていよいよ本日の目的地、安針塚に到着しました。この階段の上に按針とその夫人の供養塔が建てられています。

三浦按針とは、もともとウィリアム・アダムスという名のイングランド人で、1600年、リーフデ号という名の船に乗って日本の豊後国に漂着。いろいろあった後に、時の五大老首座・徳川家康に謁見。その才や知識を見込まれて、西洋人の通訳、外交助言、西洋学問の教授、そして造船など様々な仕事を任されました。その功を賞して、家康公より「三浦按針」の名乗り、逸見村250石の知行地、旗本の身分、そして帯刀が許され、残りの生涯を日本の武士として生きたわけです。(Wikipedia要約)

やがてアダムス存命中の1616年に西洋船の入港が長崎平戸のみに限定。そして没後13年にあたる1633年に第一次鎖国令が発布。まさに三浦按針とは、大航海時代の到来、知性に満ちた支配者徳川家康の存在、そして未だ海外にむけて開かれていた日本の門戸、これらが偶然に重なったことで誕生した、奇跡の人物と言えるのではないでしょうか。
そしていよいよ本日の目的地、安針塚に到着しました。この階段の上に按針とその夫人の供養塔が建てられています。 三浦按針とは、もともとウィリアム・アダムスという名のイングランド人で、1600年、リーフデ号という名の船に乗って日本の豊後国に漂着。いろいろあった後に、時の五大老首座・徳川家康に謁見。その才や知識を見込まれて、西洋人の通訳、外交助言、西洋学問の教授、そして造船など様々な仕事を任されました。その功を賞して、家康公より「三浦按針」の名乗り、逸見村250石の知行地、旗本の身分、そして帯刀が許され、残りの生涯を日本の武士として生きたわけです。(Wikipedia要約) やがてアダムス存命中の1616年に西洋船の入港が長崎平戸のみに限定。そして没後13年にあたる1633年に第一次鎖国令が発布。まさに三浦按針とは、大航海時代の到来、知性に満ちた支配者徳川家康の存在、そして未だ海外にむけて開かれていた日本の門戸、これらが偶然に重なったことで誕生した、奇跡の人物と言えるのではないでしょうか。
横須賀市 それでは最後に、逸見の町に下りて逸見駅を目指しましょう。ちなみに逸見は「いつみ」でも「へんみ」でもなく、「へみ」と読みます。
それでは最後に、逸見の町に下りて逸見駅を目指しましょう。ちなみに逸見は「いつみ」でも「へんみ」でもなく、「へみ」と読みます。
横須賀市 というわけで横須賀歴史ハイク1日目終了です。歴史ハイクとか言いつつ、どちらかというと権現山踏破がメインになってる感があるのは否めませんが、まあ良いでしょう。

はあ、このボリュームでもう1日分仕上げなければならない...。
というわけで横須賀歴史ハイク1日目終了です。歴史ハイクとか言いつつ、どちらかというと権現山踏破がメインになってる感があるのは否めませんが、まあ良いでしょう。 はあ、このボリュームでもう1日分仕上げなければならない...。

もしも不適切なコンテンツをお見かけした場合はお知らせください。