雁田山 須坂基線

2020.10.21(水) 日帰り

活動データ

タイム

04:51

距離

6.5km

のぼり

651m

くだり

648m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
4 時間 51
休憩時間
55
距離
6.5 km
のぼり / くだり
651 / 648 m
1
1 26
22
1 6
52
22
2

活動詳細

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須坂基線西端点 東端点 雁田山一等三角点が揃ったので、レポートにしました。 なんでこの事にこんなに惹かれるのか解りませんが、今日ようやく雁田山に登り 三角点を見つけ写真に収める事ができた時は胸が高鳴りました。 久しぶりの三連休 帰ってからこれを纏めるのが楽しみです。 三角測量は三角形の角度を測るもので、一辺の長さを測定し他の辺の長さは計算で求めます。この一辺を基線といい基線を正確に求める測量を基線測量といいます。基線は全国に14できましたが須坂基線は明治29年(1896年)に9番目に設定されました。長野 新潟 群馬 岐阜 福井 石川 富山 の七県にまたがる「美信三角測量網」の基準になります。 端点間の直線を数メートルの基線尺を使って順次測っていくもので、現代の人工衛星を使用した計測数値と比べてもその差が1㎝未満しかないという正確さであり、当時の日本の技術力の高さや根気強さをしめしていますと東端点に説明されてました。先人の信念を持った地道な努力の素晴らしさを改めて感じる事が出来ました。またこの基線は現在に至るまで破壊されずに残っているのは全国的にも珍しいという事で希少な存在だそうです。大切に後世に残してほしいと思います。 それに加え今日は天気にも恵まれて、最高の登山日和になりました。雁田山は地元の方々に愛されているのかとても整備されていてロープが張られ歩き易くそれでいて急登 尾根道 様々な形の岩場があり堪能できました。途中の展望園地では 北信五岳が一望でき 待ちに待った最高の一日になりました。

雁田山 須坂基線西端点
周囲はご覧の通り畑です。
須坂基線西端点 周囲はご覧の通り畑です。
雁田山 須坂基線西端点一等三角点
須坂市大字小河原町2269-1
須坂基線西端点一等三角点 須坂市大字小河原町2269-1
雁田山 須坂基線西端点に設けられた説明板
須坂基線西端点に設けられた説明板
雁田山 須坂基線東端点
高山村千本松
須坂基線東端点 高山村千本松
雁田山 須坂基線東端点  一等三角点
須坂基線東端点 一等三角点
雁田山 ここに示されている三角点は全て一等三角点です。
ここに示されている三角点は全て一等三角点です。
雁田山 岩松院
岩松院
雁田山 登山口
登山口
雁田山 小城の石垣
大城と一体で苅田城と呼ばれる。大城の主郭部に対し物見の城と云われる。
伝承では萩野氏となっているが史実としては高梨氏との結びつきが一番深い。1489年以降高梨氏の支配が確立し小布施や山田方面桜沢以北一帯を治めた。苅田城  、 二十端城(つつはた)…雁田山の北峰   、滝ノ入城…千僧坊の北峰  、 雁田山頂786.7㍍  、 は高梨氏の一大城塞地帯(説明板 あり)
小城の石垣 大城と一体で苅田城と呼ばれる。大城の主郭部に対し物見の城と云われる。 伝承では萩野氏となっているが史実としては高梨氏との結びつきが一番深い。1489年以降高梨氏の支配が確立し小布施や山田方面桜沢以北一帯を治めた。苅田城 、 二十端城(つつはた)…雁田山の北峰 、滝ノ入城…千僧坊の北峰 、 雁田山頂786.7㍍ 、 は高梨氏の一大城塞地帯(説明板 あり)
雁田山 大きい岩場
大きい岩場
雁田山 板状節理
板状節理
雁田山 大城
周囲には空堀や用水をひいた樋跡がみられる
1561年信玄が高井地方を支配下とするまでの間  苅田城   二十端城   滝ノ入城などは高梨氏支配地の南部における防衛線であったと推測される。(説明板あり)
大城 周囲には空堀や用水をひいた樋跡がみられる 1561年信玄が高井地方を支配下とするまでの間 苅田城 二十端城 滝ノ入城などは高梨氏支配地の南部における防衛線であったと推測される。(説明板あり)
雁田山 空堀が何本がありアップダウンがある
空堀が何本がありアップダウンがある
雁田山 岩の間を行く
岩の間を行く
雁田山 この辺からツツジが沢山見られる
この辺からツツジが沢山見られる
雁田山 脇の急斜面
脇の急斜面
雁田山 (説明板)
約10万年前松川扇状地が形成されつある時  火山活動によってできた雁田山は鳥が羽を広げたような形をしており高井鴻山は自分の雅号としている。(雁は鴻と同類の鳥)
千僧坊の地名は岩松院の前身である千僧林念仏寺から由来するが念仏寺はここより北方の字下入の山麓にあったと云われ址寺というより山城の一部と思われる。
(説明板) 約10万年前松川扇状地が形成されつある時 火山活動によってできた雁田山は鳥が羽を広げたような形をしており高井鴻山は自分の雅号としている。(雁は鴻と同類の鳥) 千僧坊の地名は岩松院の前身である千僧林念仏寺から由来するが念仏寺はここより北方の字下入の山麓にあったと云われ址寺というより山城の一部と思われる。
雁田山 滝ノ入城趾
滝ノ入城趾
雁田山 滝ノ入城趾の三角点
滝ノ入城趾の三角点
雁田山 千僧坊からの尾根道
千僧坊からの尾根道
雁田山 岩場が続く
岩場が続く
雁田山 姥岩
山麓から見ると子供に寄り添う大人の岩が空に突き立っているようにみえる
姥岩 山麓から見ると子供に寄り添う大人の岩が空に突き立っているようにみえる
雁田山 姥石
姥石
雁田山 この辺りで 相棒の叫び声🐍がいたようです😊
この辺りで 相棒の叫び声🐍がいたようです😊
雁田山 展望園地より
展望園地より
雁田山 北信五岳
北信五岳
雁田山 展望園地の東屋
展望園地の東屋
雁田山 旧国鉄の通信用反射板跡
昭和37年10月に完成した国鉄の無線電波反射板    通信回線は1200回線あり長野市の鉄道管理局と信濃町の柏原無線中継所を継いで  東京ー門司    東京ー札幌間の幹線第2ルートとして常時使われていた。(説明板より)
旧国鉄の通信用反射板跡 昭和37年10月に完成した国鉄の無線電波反射板 通信回線は1200回線あり長野市の鉄道管理局と信濃町の柏原無線中継所を継いで 東京ー門司 東京ー札幌間の幹線第2ルートとして常時使われていた。(説明板より)
雁田山 反射板跡土台と思われる物が3つ置かれている。
反射板跡土台と思われる物が3つ置かれている。
雁田山 反射板跡周りをこの標石が囲んでいる。
反射板跡周りをこの標石が囲んでいる。
雁田山 雁田山  一等三角点
ようやく辿り着きました。
雁田山 一等三角点 ようやく辿り着きました。
雁田山 一等三角点
「点の記」   S.54.11.29   旧位置667.5の北東約656㍍に移転     現在の三角点は759.4
一等三角点 「点の記」 S.54.11.29 旧位置667.5の北東約656㍍に移転 現在の三角点は759.4
雁田山 鬼のつぼや
鬼のつぼや
雁田山 鬼のつぼや
山の安泰と作業の安全を祈る。
途中大木が根を剥き出しにして倒れている
鬼のつぼや 山の安泰と作業の安全を祈る。 途中大木が根を剥き出しにして倒れている
雁田山 2つに割れた石
2つに割れた石
雁田山 板状節理の岩
板状節理の岩
雁田山 柿
雁田山 玉井袈裟男先生の名前みつけた
「古城山にある石碑を思い出しました。
幸せは思い出の中にあります。
思い出の中にあるものは人と結んだえにしです。
幸せは人と人との中にあります」
玉井袈裟男先生の名前みつけた 「古城山にある石碑を思い出しました。 幸せは思い出の中にあります。 思い出の中にあるものは人と結んだえにしです。 幸せは人と人との中にあります」
雁田山 岩松院に戻る
岩松院に戻る
雁田山 岩松院中の池
岩松院中の池
雁田山 北信五岳全山
左から  飯綱山  戸隠連山  黒姫山  妙高山  斑尾山
13.513歩
北信五岳全山 左から 飯綱山 戸隠連山 黒姫山 妙高山 斑尾山 13.513歩

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