城山(鳥栖)〜勝尾城址だよ!意外ときつめ!〜2020-10-20

2020.10.20(火) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
1 時間 14
休憩時間
3
距離
2.3 km
のぼり / くだり
299 / 301 m
23
25

活動詳細

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4座目です! ここは勝尾城址ですよ! なにやら、 応永30年(1423年)に渋川義俊が勝尾城を築いたと『肥前国史』にあるが、『歴代鎮西要略』では延徳3年(1491年)に渋川義基が築いたとされる。当城は九州の南北・東西の交通の十字路にあたるため、長く渋川氏と少弐氏との争いの舞台となった。やがて少弐氏は大内氏の傘下に入って助力を得て、永正18年(1521年)には少弐氏一族の筑紫満門が当城の城主となっている。 天正14年(1586年)、南九州を席巻した島津氏が筑前国への侵攻を開始した。その前々年に筑紫氏は島津氏と連携していたにも関わらず、島津氏侵攻の直前になって大友氏へと降ったため、筑前国の要衝である勝尾城は島津軍の格好の標的となった。勝尾城は島津家久の攻撃を受けて同年7月6日に麓の総構えが破られ、7月11日に落城する。城主の筑紫広門は降伏して、筑後の大善寺に一時幽閉されるが、同年8月に挙兵して勝尾城を奪還した。 戦後、豊臣秀吉によって筑後国上妻郡に18,000石の所領を与えられたため、勝尾城は廃城となった。 平成元年(1988年)度の鳥栖市教育委員会の圃場整備事業に伴う発掘調査によって、戦国時代の町屋跡が発見され、平成7年度(1995年)から16年度にかけて遺跡確認調査を実施。その結果、勝尾城や周辺の支城や、城主の館跡、寺社跡、空堀、石垣等がほぼ当時のままの状態で残存していることが判明した。それらの調査結果を踏まえ、平成18年(2006年)に国の史跡に指定された。 とのことです! お城好きな方は是非行かれてください!

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