四国遍路/松浦武四郎の軌跡を辿る(65番三角寺②~66番雲辺寺~67番大興寺~68番神恵院~69番観音寺~)

2020.10.19(月) 日帰り

活動データ

タイム

10:49

距離

29.8km

のぼり

925m

くだり

1156m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
10 時間 49
休憩時間
1 時間 2
距離
29.8 km
のぼり / くだり
925 / 1156 m
10 50

活動詳細

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四国遍路19日目/2020-10-19 池田町佐野の「民宿岡田」を7時15分に出立。靴を履こうとすると乾燥剤が入っていた。なんともさりげない思いやり。錫杖の座布団といい、おにぎりのお接待弁当といい、たくさんチカラいただきました。ちづるさんの笑顔も最高でした。 御主人手作りの地図で66番雲辺寺へ向かう。2時間で稜線に辿りついたが、霧雨となった。気温も今季一番の寒さで雨具がちょうどいい具合となった。雲辺寺ロープウェイでも参詣できるとあって山寺ながら今までにない札所の参詣者がいた。 「大興寺まで食べるところが無いので青空屋さんに昼食のお願いをしたら」と納経所でお助けの言葉をいただいた。「民宿青空屋」も遍路仲間では有名な宿である。雲辺寺と大興寺の間にあり昼食に寄ろうと思ったが留守風なのでスルーし先を急いだ。 武四郎が「へつそう村」としるす地名が小松尾寺(大興寺)の所在する手前に記されている。粟井とか奥谷とかの集落は見えるが「へつそう」はない。白藤大師堂で民宿岡田のお接待おにぎりをいただく。大師堂の寄進者石板に「ヤマギシ会」の文字を久しぶりに目にした。ヤマギシズム生活実験地が観音寺にあるのだろう。若い頃、鶴見俊輔氏が「思想の科学」誌上に発表したヤマギシズムといわれる農業を基盤とした山間の共同体に共感した論考を覚えている。全共闘時代の蜃気楼のような遠い記憶を懐かしく思った。 67番大興寺は熊野修験の色濃い札所であり、真言と天台が同居し、本堂の左が大師堂で右が天台大師堂となっている。熊野神社を探したがわからなかった。後で地図を見てみると本堂の裏側に小松尾地区集会所と熊野三所権現の社があった。寺の歴史のひとつに熊野権現を鎮守する神宮寺としての時代もあったのだろう。四国八十八カ所は弘法大師の脈絡を中心に縁起を説明しているが、実際は熊野修験や高野聖、六部の修行僧など多様な人々に支えられ綿々と繋がれてきたのだ。本堂の左側に大師堂があり、右側には天台大師堂があるのもその多様性を示している。 68番神恵院、69番観音寺は同じ仁王門と納経所を併用している不思議な札所だ。17時前に納経を終え、琴弾公園が見える裏山の琴弾山へ登りたかったが時間がない。 今日の宿についたのは18時になっていた。マンションとアパートが混在したような「本大ビジネスホテル」。GoTo利用で2,795円とは驚きだ。それに1,000円の地域クーポンも付いている。洗濯の合い間に、隣が「大阪王将」だったので「町中華で飲ろうぜ」風の田舎ではできない体験をしてみた。作法は玉袋筋太郎の真似で、瓶ビールの大を注文し、喉を両手でさすり気道を確保し、「633は大人の義務教育」と唱えて、注いだグラスを一気に飲みほす。「ぷあー」と毒気を吐き出すのが生臭遍路の修行である。「大阪王将」には、ハーフメニューも各種あるので一人遍路には最適だ。コロナ禍での酒場は久しぶりで嬉しくなり一寸呑みすぎてしまった。明日の70番本山寺から78番郷照寺までのロングルートをイメージして22時に眠りについた。

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