お堂の中。昔は何か設置してあったのだろう。 戻る 次へ

偶然辿り着いた金沢文庫(日向山・稲荷山・金沢山の写真

2020.10.18(日) 13:51

お堂の中。昔は何か設置してあったのだろう。

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偶然辿り着いた金沢文庫(日向山・稲荷山・金沢山

金沢山・稲荷山・日向山 (神奈川)

2020.10.18(日) 日帰り

宅建の試験会場への送迎をした際に、待ち時間で金沢八景の海とその近くを回ってみた。 若い時、もう30年前。 まだネットもなくて探し当てきれないままとなっていた金沢文庫に、偶然辿り着く。 YAMAPの地図に山頂を示すマークが3つもなければ、入らないような奥迫ったところにある山だ。山ではあるが、マウンテンとしての山ではなく、お寺としての山という印象。 困惑したのは、山の入り口に瓶やコップのガラス、陶器の類が粉々となって地面を覆っていたこと。 危険すぎる感じで散乱しているし、また、住宅街で子どもたちも遊んでいるところに放置されたままとなっていることに驚いた。近所の人も、掃除しないようだ。 鋭利なガラス片もあれば、角が丸くなったものも混じり、散乱しているのがデフォルトらしい。 この山そのものは北条実時の邸宅跡でもあり墓でもあるところだったが、山の半分は歩きでは生活しずらそうな住宅街となっていた。 宅地計画が出来た際、北条実時の邸宅跡地や菩提寺でもある称名寺もろとも潰してしまう計画だったそうだ。無知の恥、恐ろしい話である。 やっと辿り着けた金沢八景ではあるが、残念な思いを抱いてしまったのも事実。 称名寺は、鎌倉時代の遺構を確認することができるとともに、立派な場所であった。 天気が悪い日が続いたり、時間がない時に、散策がてら見学するのもありかな。 ただ、湿地帯なので、寒い日でも藪蚊に襲われるし、まだスズメバチの巣が3つも活発な状態であった。この点も、まことに困った。ガラス片ほどじゃないけれども。 Wikiによる北条実時の案内 https://ja.wikipedia.org/wiki/北条実時 Wikiによる金沢文庫の案内 https://ja.wikipedia.org/wiki/金沢文庫 北条氏の滅亡後、文庫は衰退し、蔵書も多くが後北条氏、徳川家康、前田綱紀らによって持ち出された。 明治に入ると、明治30年(1897年)に伊藤博文らの尽力によって金沢文庫は復興し、称名寺大宝院跡に再建されて旧蔵書の回収も進められた[5]が、1923年(大正12年)に発生した関東大震災によって損壊するも、昭和5年(1930年)8月9日に図書館令に基づき、神奈川県の運営する最初の県立図書館である「神奈川県立金沢文庫」として復興した。昭和8年(1933年)に図書館令が改正され、公立図書館のうち1館を中央図書館に指定することになると、唯一の神奈川県立の図書館であった金沢文庫が中央図書館の役割を果たすことになった。中央図書館時代の金沢文庫は、郷土資料として金沢八景や神奈川県下の名所絵、県下でおこった歴史絵、横浜絵などの浮世絵を収集し、現在も200点余り所蔵している[6]。昭和26年(1951年)に博物館法が公布・施行され、昭和29年(1954年)に神奈川県立図書館が設けられると、金沢文庫は図書館から博物館に変わることになり、昭和30年(1955年)に登録博物館となった。平成2年(1990年)に新築され、現在は称名寺が所有する国宝や重要文化財を含む鎌倉時代のものを中心とした所蔵品を保管し、展示公開する歴史博物館となっている[7]。主な収蔵資料(称名寺からの寄託品)としては、金沢北条氏歴代の肖像画(実時・顕時・貞顕・貞将像、国宝)、忍性や審海の肖像画、木造釈迦如来立像、木造十大弟子立像、金銅製愛染明王坐像などの仏像、工芸品、審海所用の密教法具、古文書などがある[8]。