活動データ
タイム
05:13
距離
6.7km
のぼり
634m
くだり
635m
チェックポイント
活動詳細
すべて見る天蓋山は岐阜県の飛騨市と高山市の境界にあり、山頂には登山家の故 田部井淳子氏直筆の山名表示が在るので有名である。😀 登山口へは高山市上宝町の双六川(すごろくがわ)沿いを走る「飛騨高原 天の夕顔の道」を遡り、山吹峠を越えると飛騨市神岡町森茂にある山之村高原に辿り着く。🚙「天の夕顔の道」とは、ここが作家 中河与一(なかがわ よいち, 1897年(明治30年)2月28日 ~1994年(平成6年)12月12日没)の恋愛小説「天の夕顔」で「天国に一番近い場所」として描かれ、注目を浴びた場所に因んでのことのようだ。🫂今回は行かなかったが、天蓋山への登山者用の駐車場の道を挟んで反対側にある「夕顔の駅 天の夕顔 神岡」や、そこから道路を北に少し行くとある奥飛騨山之村牧場内の、中河与一文学資料室でもその片鱗に触れることができるそうだ。📖 双六岳(すごろくだけ)から双六谷を行く激流の双六川は神話も存在するようで、その名は、神々が双六(すごろく)に興じた場所であった事に由来するそうだ。🥸〰️🎲🎲 双六川は高原川の支流で、神岡町猪谷辺りで高山市から来る宮川と合流すると、神通川と名を変え富山湾に注がれる。高原川周辺は、今年の初めに行った播隆が笠ヶ岳登拝の際に籠った「杓子の岩屋」や弘法大師の伝説が残る杖石などを散策した場所などがある。そして、双六川沿いの民家の横に鼠石という、鼠の精が宿ると言われる奇石があるが、その前の道路が「飛騨高原 天の夕顔の道」となる。また、鼠石から双六川を少し上流に行ったところに、「盤の石」という史跡がある。🧐 『仲秋の名月が天心にかかり、月光が流れるように明るい夜のこと、天上の神々はこの良夜に浮かれ出し、人気もない双六の地に集まって大いに遊び戯れた。なかには、盤を持ちだして囲碁を楽しむ神々もあったが、ふとしたことから勝負について争いが起き、一方の神様が「こんな碁なぞ止めてしまえ!」と、がなるが早いか、盤も賽も谷へ向けて投げつけられた。このように盤の石は神様が使われたものであることから、これにさわると暴風雨や雹(ひょう)が降るとされている。(旧上宝村教育委員会)』どこかで聞いた話…愛知県の碁盤石山で同様の話が有ったような…。囲碁をしていたのは天狗と人でしたが。👺 「盤の石」は恐らく、溶岩が冷えて収縮する際にできた割れ目が、垂直方向にはしる柱状節理と言う現象で、規則正しい岩柱や石盤を並べたような状態が作為的、人為的に見えることから神の仕業としたものなのでしょう。余談だが、下呂市小坂の巌立峡(がんだてきょう)には御嶽の噴火で流れた溶岩の柱状節理が駐車場から確認できる。🌋 天蓋山の登山用の駐車場に、山名の由来を案内する手作りの看板があるが、それによると「仏像の頂上にかざす衣笠に似ているのが由来とされています。どこから見ても天蓋のような穏やかな山容です」とある。私としては山容が由来になるだけでは、話としては素直すぎて物足りない。☔ この土地が、神々の棲む北アルプスの玄関口に有って、衣笠山では無く天蓋山としたのには意味があるのではと考えたくなる。天蓋は仏教においては権威の象徴の一種でもある。仏教の中では、帝釈天(たいしゃくてん)という神が常に天蓋を差し掛けて釈迦に従ったという。また、「観仏三昧海経」(かんぶつざんまいかいきょう)には、仏の三十二相(さんじゅうにそう)の一つである「白豪相(びゃくごうそう)」(大仏など仏の眉と眉の間にある丸いもの)が放った光明が天蓋と化したとも説かれている。それが後々には釈迦の姿から作られた仏像に用いる、天井から吊るす装飾具を天蓋と言うのだ。✋👌 立山連峰にある立山三山の一つで、標高2,880mの別山の祠には帝釈天が納められているそうだ。また、剣岳の山中から明治時代に発見された銅像(富山県立立山博物館)も帝釈天であったそうだ。この地はそんな神々が戯れた神話の場所なのかも知れない。🦸🦹
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