活動データ
タイム
02:05
距離
5.3km
のぼり
154m
くだり
369m
活動詳細
すべて見るくじゅうの坊がつるの伝統的な山小屋、しんつくし山岳会が管理される馬酔木(あせび)小屋に今回の水害で入った土砂、瓦礫の撤去など、福岡想山の会の7名で復旧作業のお手伝いに行って参りました。長者原登山口よりおおよそ2時間歩き行動食をかじり、12時頃から取りかかりました。 当日は想山会の他には東芝(企業さん)山の会のグループも別にボランティアされていました。 馬酔木小屋は宿泊棟、管理棟の二棟が並んでいます。私達は除去がまだ終わって無い管理棟での作業でした。堆積物は5〜60cm位い畳の上など部屋中に有り、土と石を分別しながら皆で掘ったり運んだりしました。石等は重たいものも有りましたが、皆で少しでも頑張ろうとしました。畳が見えだして歓喜の声をあげました。そして、気温が福岡より10℃位い低く涼しく捗りました。 馬酔木小山は日中戦争の最中の1940年(昭和15年)、当時の皇紀2600年、に建設が始まり翌、41年日米開戦の年から運営され続けています。贅沢は敵だという時代に重量物の木材等を人力で運んだり凄い事です。食堂には右書きの当時ものの看板が有ります。有名な坊がつる讚歌の発祥の地です。 作業後、法華院温泉から帰ってからしんつくし山岳会の女性会員さんの自家製野菜入りのカレーを頂き感激しました。私達の世話をして頂きながら、新つくし山岳会の女性会員さん達も堆積物除去や不燃物の整理等で頑張っておられました。しんつくし山岳会は約30名の会です。かなりの方が70代で、この馬酔木小山をずっと守ってこられました。 私は飲みながら山の先輩方のヒマラヤや穂高の話しをわからないなりに聞いていると、一人の山好きとして伝統的な馬酔木小屋の復旧に参加出来た事に感謝の涙、気持ちがこみ上げて来ました。丁度その時、足と掌が つり出し、更に寝床に入ってからは腕が痛く薬に頼る❗若いのに恥ずかしい限り😅😵でした。 翌朝、すぐ横、東側に見える大船山(たいせんさん)や立中山(たっちゅうさん)周りの空が微紅色に見えつつも曇り勝ち、雨の予想をしながら継続作業と涼しい外部で台所排水パイプが埋まり、損壊している場所の堆積物除去を皆でやり帰宅の途につきました。 美しいくじゅうの自然の中で、女性の先輩が「流石💪労働者の山岳会」と皆で力を合わせた事の意味を語りました。最後までほとんど雨は降らない☀️が見守ってくれました。 次第に重機を使う作業になる様です。また会同士の要請が有ればボランティアに参加したいと思います。
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