活動データ
タイム
13:05
距離
36.5km
のぼり
1160m
くだり
1159m
活動詳細
すべて見る富士山の真西面側にある大規模な侵食谷・大沢崩れを端とする大沢川.. 詳しくは 前回の活動日記📝で紹介していますが、補足しますと.. 大沢崩れに源を発し、大沢扇状地を流れているのが大沢川です。富士山頂から麓まで、約10kmの距離を一気に流れ落ちる急流です。その標高差は約3000mもあり、勾配も急で、山頂では45度近くになります。大滝より下流では、岩樋(いわどい)と呼ばれる大きな溝を通って大沢扇状地へ下ります。 大沢川の地盤の大半は水がしみこみやすい溶岩層なので、川といっても普段は河道があるだけで水の流れは見られません。それが融雪期や豪雨期になると、大量の土砂が水と混じって土石流となって流れ、麓に襲いかかります。 大沢川は、大沢扇状地を経て潤井川(うるいがわ)と名を変え、富士宮市と富士市の市内を流れ、駿河湾に注ぎ込んでいます。 今回の活動日記は続編となります。 2020年8月10日 山の日に9日前に歩いた大沢を再度歩いて来ました。(今回は下流端から) これで富士山の沢ボス「大沢」を踏破すると同時に大沢を伝って登ったとされる幻の登山道「人穴口登山道」を歩いた事になります。(大沢崩れは とても脆く危険なので省きます) 私は富士山の麓を何度も歩いていますが、大沢 岩樋部遡上途中での大沢崩れの崩壊を生で目撃したのは初めてです。 自分自身が大沢の中にいるわけですから、身の危険を感じた出来事と自然の脅威を体感した事は これからの山行の教訓となることでしょう。 富士講の開祖「長谷川角行」は人穴洞穴の内部で角柱の上に立ち1000日間修行をして「仙元大日神」の啓示を得て悟りを開き、江戸に戻り富士講を開祖した人物です。 八百八講と謂われた富士講の多くの人は富士吉田口登山道を登ったとされていますが、富士講の聖地である「人穴」を訪れ、白糸ノ滝で禊ぎをして富士山に登ったと謂われています。 実際に人穴の洞窟前には現存233基の富士講関係の石塔や講碑が建っています。そして道中には石碑や石仏が点在しています。 昭和18年発行「富士と伊豆の山々」(横井春野著)によると.. 【人穴の入口の西北に浅間神社及富士講開祖角行眞人の墓がある。ここから大澤流に向ひ、登り登って、お中道の天の浮き橋の所へ出るのである。名にしおふ大澤の嶮を登るのであり天候がよければよいが、風雨に出あふと避ける所がない。富士登山の経験のあるそして身體の壮健な人が天候を充分注意してでなければこの道はすすめ難い。人穴から浮き橋にゆきつく迄休む所はない。今では人穴の人でも、この口から登るもの稀である。本栖湖迄自動車でゆき、青木原を横断して精進口に出て登っておる】 と記載されているそうです。 その様な事から、 現在の人穴浅間神社から白糸ノ滝を経て、大沢に沿って富士中道まで登り、天の浮き橋を渡り、御中道を使って主杖流しから剣ヶ峰に向かったと推測します。 下山は 大沢の尾根を下り、現在の上井出林道を歩き人穴浅間神社に帰り着いたと推測します。(あくまでも ふじ爺の憶測 🤔です..笑) 先日の8月1日のPart 1では 大沢 岩樋部の中間地点から入渓し、人穴口登山道の上部 横崩から大滝を経て大沢右岸 鉄砲尾根の急斜面を登り富士中道まで達しています。 今回のPart 2では 人穴浅間神社を起点として.. 人穴浅間神社 (標高686m)→芝川 禊所 (標高572m)→長谷川角行修行場 白糸ノ滝 (標高473m)→大沢遡上→大沢扇状地→大沢扇状地 砂防樹林帯 (標高685m)→大沢遡上→大沢 岩樋下流端 (標高890m)→岩樋部遡上→岩樋上流端 (中流部 上井出林道 標高1258m) →上井出林道 (人穴登山道) を下山→人穴浅間神社 ゴール🏁までの工程を歩いて来ました。
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