活動データ
タイム
06:41
距離
10.7km
のぼり
408m
くだり
408m
活動詳細
すべて見る昨年ニセコ、イワオヌプリ・小イワオヌプリ登山後、秋の紅葉名所の鉱山跡地を訪れていたが、探索予定の上流部までは渡渉箇所があるため断念していたが、上流部の末端がどうなっているのかいつも気にかけていた。 ここ最近天気も安定せず、濡れても気にならない沢装備での再訪となった。 昨年の五色温泉側からのルートはやめて、今回は神仙沼・大谷地湿原経由の反対側からの起伏の少ないルートを選択してみた。 ちなみに最短ルートなら、ワイス側からも考えられるが、散策を楽しみながら歩ける神仙沼経由にしてみた。 神仙沼パーキングから、正式ルートの登山口から出発。 いつものように木道を歩くが、雨上がりの湿気でよく滑る木道に注意し、大小様々な池塘を見ながら、沼の畔まで歩く。 途中、二組ほどスライドするが、湿原散策の観光客のようだった。 唯一、一番咲き誇っているタチギボウシの紫色がよく目につく。 池塘にはコウホネの水草が数輪・・・ ひっそりと静かな神仙沼は、誰も居ないと神々しく美しい場所だ。 これから秋になれば、紅葉の名所も相まって、賑やかになる。 自分的には、あまり人の多いのは苦手・・・ 静かな場所が好きだ。 さて、沼を後にして、大谷地湿原入口へと歩くが、散策路はかなり荒れていて、泥道に近い。 一度、道道を渡り大谷地湿原入口から木道を歩き、最初の通過点大沼を目指す。 途中、ふと足元に目をやるとアオダイショウがとぐろを巻いて甲羅干しをしていた。 歓迎されているか否かは、アオダイショウ次第か(笑) マムシじゃないだけに一安心・・・ そして、所々に群生するタチギボウシが見事だ。 この大谷地湿原は、ほとんどが笹とスギナに覆われていて、見通しはいいとは言えない。 ヒグマに出くわさないよう注意が必要かもしれない。 木道から離れると、雨後の泥道が多くなる。 やがて右手に大沼が・・・ その後ひっそりとした佇む大沼の畔に出る。 この大沼は、海抜842m、水深15mのカルデラ湖です。 ここから眺める風景はなんとも言えない静けさと神々しさを感じられる。 沼に波が立たず運が良ければ、逆さイワオが見られることだろう・・・ ニセコでは唯一好きな沼のひとつ・・・ 特に紅葉時期がお勧めだ。 それにしても、アメンボウがたくさん水上を闊歩していた(笑)・・・ ここで20分ほど休憩して、再び歩き出す。 目指すは鉱山跡地・・・ 昨年行けなかった場所へ着き、いよいよ再探索・・・ 沢の上流部の末端へ遡行開始。 昨年と違い、この時期水量は少ない。 雪解け水が無いからなのだろうか・・・ 最初に目につくのは、硫黄川の沢から少し上に作られたであろう水路がある。 導水路なのだろうか、両側に城壁のように積み上げられた石垣が見事だ。 あきらかに、人工物・・・ その下流部には、硫黄鉱山跡があることからも窺い知れる。 この鉱山跡地には、明治20年頃に遡り、鍛冶7名、火夫2名、大工2名、精錬夫30名、鉱夫40名、 運搬夫10名と鉱員7名の計189名で稼働していたそうだ。 大正12年には女性鉱員11名を含む103名での運営されていたという。 昭和12年頃に閉坑となり、町は消滅。 以下、倶知安町の近代化産業遺産の文献により参考にさせていただきました・・・ ・・・イワオヌプリ(標高1,116km)の北側に、明治から昭和初期にかけて栄えていた硫黄鉱山跡があります。最盛期には200人近い人々が生活をしていたと言われていますが、昭和12年に閉山し、現在は当時の面影はなく、当時精錬所の床に使われていた耐火レンガが散乱するのみ。ニセコ山系を楽しむ登山者の通過場所になっています。 【歴史~背景~】 明治前期、マッチや石鹸等生活必需品を製造するための化学工業が民間主導で盛んになり、特にマッチは重要な輸出産業へと成長しました。同時にマッチの原料である硫黄の需用が増大し、全国各地で硫黄鉱山が開発されました。そのうちの一つがイワオヌプリ硫黄鉱山です。 【歴史~イワオヌプリ鉱山のあゆみ~】 この地方での鉱山の開発が始まったのは江戸時代にさかのぼりますが、本格的に硫黄の採掘が始まったのは明治に入ってからです。明治初年に経営を始めたのは函館の泉藤兵衛氏、村田駒吉氏でしたが、不振に陥り、明治19年、三井物産株式会社に経営が譲渡されました。三井財閥により電気精錬等の近代技術が導入され、北海道での蒸気精錬が初めて行われました。 大正8年には倶知安駅裏から鉱山までの索道が整備され、鉱物や生活物資の運搬、人々の往来が頻繁に行われるようになりました。 最盛期には200人近い人々が生活し、学校や診療所、食堂や社宅などが立ち並んだといいます。雪の多いニセコ山系の奥地でどうやって暮らしていたのでしょうか。未だ謎が多いままです。 昭和12年硫黄鉱山閉山。現在に至る。・・・ ・・・以上 おそらくこの導水路は、坑道の一部と推測するが、定かではありません。 水路と並行して流れる硫黄川を沢伝いに登って行くと、少しづつ沢幅が狭くなってくる。 やがてその前方は函状になって行き止まりになる。 よく見ると、その下に小さな穴がぽっかりと開いている。 沢の水は、その穴から流れている。 その穴の両側には、脆い礫質の絶壁でその穴を塞ぐように土砂崩れしている。 数年後には、穴が塞がるのではと思えるほどだった。 その穴は、どうやら硫黄掘削時の頃に掘られた隧道だと判明・・・ 数年前までは、中腰から、やがて四つん這いに這って行けば、穴の向こう側まで普通に通れたそうだ・・・ おそらく、日々と共に、水流によって流れ出た土砂が隧道の中に堆積されて、埋め尽くされているのだろうと推測・・・ 聞くところによると、この隧道の中間地点の危険個所を通れれば、抜けられるらしい。 但し、隧道内の岩肌がかなり脆く、触れただけでも崩れていくので危険リスクはかなり高い。 川面(水深20センチ)から30~40センチしかない場所では這うように匍匐前進しなければならないらしい。 万が一崩れでもしたら、戻ることはおろか、生き埋めもあり得なくもない・・・ 無理をせず、探索は此処までにして終了・・・ またもや未消化になってしまった。 この200m近い隧道の先には露天掘りの鉱床があり、レベルの変わった川床を通すために、隧道を掘削したようだ。 この川の源流部、坑口跡の地下から大量の湧き水が硫黄川となって下流へと流れているそうだ。 出きることなら自分の目で、隧道の向こうの源流部と坑口跡の世界が見たかった・・・ 過去の遺構に少しでも触れられるということの楽しさは、これからも続きそうな気が垣間見られた今回の探索紀行でした。 さて、探索は終了して、再び鉱山跡地まで戻り、時間もあるので硫黄鉱山周辺を昨年と同様、再探索しました。 この跡地も紅葉時期がお勧めです。 見事な紅葉が見られますよ(笑) その後の下山は、ゆっくりと往路を辿り、大沼で少し休んで大谷地湿原を抜け、神仙沼パーキングに着いて終了・・・ おしまい。
活動の装備
- ファイントラック(finetrack)ストームゴージュアルパインパンツレギュラー丈
- キャラバン(caravan)渓流 KR_3F
- カンプ(CAMP)ヘルメット
もしも不適切なコンテンツをお見かけした場合はお知らせください。