40年振りの父娘登山、「白山」新旧、山比べ

2020.07.24(金) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
10 時間 32
休憩時間
1 時間 47
距離
14.9 km
のぼり / くだり
1540 / 1537 m
2 6
5
44
22
53
2 11

活動詳細

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※長文です。 タイトル通りの自分語りがメインなので、興味の無い方はスルーして頂けましたら幸いです。 40年前の白山の写真を載せています。 興味のある方はそちらだけご覧ください。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2年前に山登りを始めた時には全く思いもつかなかった父との登山。 自分の山力にもある程度の自信が付き始めた頃、ムクムクと思いが膨らんできた事があります。 「子どもの頃に登った山を登り直してみたい! できる事なら山歴60年の父との一緒に!!」と。 これは決して「親孝行」の類のポジティブな気持ちからではありません。 端から見たら、「まぁ40年振りに父娘で山登りだなんて、お幸せねぇ」といういいイメージを持たれる方が多いでしょう。 しかし当の娘の私は一切そんな事は思っておらず、怖い物みたさが大半を占めていました。 父の事を良く書いていない為、この日記をお読みになり、なんと親不孝な娘かとご不快に思われる方もいらっしゃると思います。 しかしながら、事実を曲げてほんわかしたイメージ通りの山行日記を書くのは嘘八百も良い所、それは絶対にしたくありませんでした。 父は他者に対する気配りが全く出来ない脳の持ち主です。 それは家族に対しても他者に対しても同じです。 本当に全くできず、その為我々家族が辛い思いも沢山してきました。 恐らく父は、心療内科のそれ相応のテストを受ければ、何らかの精神疾患名が付くレベルです。 (父の心療内科の受診歴はありません) 私はそんな父と白山を登り直す為だけに、今まで山行を重ねて体力作りに励んできました。 以下長くなりますが、興味のある方は最後までおつきあいくださいましたら幸いでございます。 昭和19年生まれの父は高校生の頃からずっと山登りをしています。 私も幼い頃から、訳のわからぬまま、父や父の仲間と共に地元の山を登らされました。 そのお陰で今では部類の山好きに...なったら良かったのですが、山登りは大嫌いになり、思春期を迎える頃から父の山行には一切同行しなくなりました。 40代半ばの歳で自分の意思で山に登ろう、登り直そうと思い立つまで(大学の体育の授業で白馬岳に一度登ったことを除き)、山とは無縁の人生を送ってきました。 何故山が嫌いになったのか? 理由は父の山行スタイルのせいです。 ①私はかなり乗り物酔いする体質ですが、酔い止めを飲ませてくれず、毎回登山口まで何回も吐きました。 (子どもに酔い止めはまだ早い、悪影響があったら...という理由らしいですが、当時でも子どもが飲める酔い止めは市販されていました。私は泣いて酔止めの服用を懇願しましたが、許可を得られませんでした) ②車酔いでフラフラなのに、登山口に着いて車を降りたら一切の休憩をさせてもらえず、気持ちが悪いまま登らされました。 ③当時の山の教科書のセオリー通りの休憩(例:50分登ったら10分休憩という決まり切った融通のきかぬスタイル)だった為、決まった時間が来るまで「まだ早い」と、どんなにしんどくても休憩させてくれませんでした。 ④行き先や行動時間を教えてくれませんでした。 教えてくれるのは山の事(名前や標高等)だけ。 行動時間やどんな登山道で、どんなルートかという事は一切わからず、どこをどう歩いているかちんぷんかんぷんなままひたすら歩かされました。 歩いている時も、あとどの位で着く? これからどんな道を歩くのか?(急登かアップダウンが多いか否か)等、何度聞いても返事はいつも適当。 どの位で着くのか? と何回聞いても「うーん、あと一時間!」とか、「30分くらいや」と面倒くさそうに言うだけなので、次第に信用しなくなり、聞くのをやめてしまいました。 そういう状況の中で歩くのは、ただただ苦痛だけでした。 北アルプスに行く際、いきなり駅のホームで新聞紙を渡され、ベンチで寝て待てと言われた事もあります。 これも事前告知が一切なく、私はいつものように登山口に行くものだと思い込んでいましたので、駅に着いてから聞かされ仰天しました。 その時始発までのベンチでホームレス男性にからかわれたのですが、早々に寝てしまった父は、そんな事知る由もありません。 当時「駅のホームのベンチで新聞紙にくるまって暖を取りながら、始発を待つ」というのは珍しくないスタイルだったようですが、何も聞かされていない小学生女子にとっては過酷過ぎて、山が大嫌いになる理由の一つになりました。 その時登った北アルプスの山小屋で、痴漢に遭いました(詳細ははしょりますが、これも普通の父親なら自然に行える配慮ができてさえいれば、間違いなく防げております)。 その後どんな事があっても絶対もう山には登らないと心に決めながら下山し、それから父の山行には一切同行していません。 上記の理由を読んでいただいてわかるように、父は単に自分がその時に登りたい山に家族を連れて行っているだけなんですよね。 子どもの体力に合った山に連れて行くという発想は皆無、自分が登りたい秀峰なんだから、我が子にその素晴らしさを教えなくては、というその思い込み一点のみ。 「子どもに配慮した山行スタイルにする」という考えすら浮かばないのです。 子どもの頃から、何故父は体力の劣る子どもに、自分の山行スタイルをおしつける、配慮の一切ないやり方を強要するのか不思議で仕方なかったのですが、長じるにつれて、益々その思いが強くなりました。 特に自分が母親になってからは、あの時の父の振る舞いはあり得ない、という事に沢山気が付かされました。 そういう特殊な父に振り回された挙げ句、嫌な思い出しか残らなかった…、それが私の子どもの頃の登山経験のすべてなのです。 年子の弟は、私以上に山=父を嫌っていますが、同じ父親を持つ子どもとして多いに共感します。 私以上に体の小さい弟は、キツかった私以上にしんどい思いで山を歩いた事でしょう。 北アルプスで弟が根を上げ「もう歩けない」と泣き始めてしまい、父が弟をおんぶして登ったのをとてもよく覚えています。 今回の帰省で幼い頃の山行の写真を見返してみて、幼い私より小さい体の弟に、その事実に改めて気が付かされました。 今後の弟の人生で、山と関わる事は一切ないでしょう。 父は山歴60年の中で、幾つかの山岳団体に所属しました。 父はマニアックなこだわりがあるので、ある程度の実績は残しているようですが、きっとその活動の中で皆さんにご迷惑をかけ続けていたであろう事は、想像に難くありません。 そしてその自分が掛けた迷惑に全く父は気が付いていないか、若しくは何故迷惑を掛けているか理解できない為に配慮もフォローもなかったのではないかと思います。 父から具体的なトラブルを聞いたわけではありません。 しかしながら、父の性格をよく知っている身内ですから、大なり小なり、今まで色んな方々にご迷惑をおかけしたであろうことは容易に想像がつきます。 この日記を読んで、ああ、○○さんの事だろうな...とおわかりになられた地元の関係者の方々に、この場を借りて、深くお詫びいたします。 さて、話が横道に逸れました。 そんな父ですから、私が思春期を迎える頃から、父と長時間一緒にいると必ず喧嘩になりました。 お互いにそれをよくわかっているので、なるべくそうならないよう、一緒にいる時間が長くならないよう気を付けている、変わった親子関係だとも言えます。 ただ、山登りを少なからず経験した今なら、変わり者の山の大先輩と一緒に山登りをしている、そう思えば幾ら暴言を吐かれようと、長時間父と一緒に過ごしても我慢ができ喧嘩にならずに済むのではないか、そう思えるようにもなってきました。 今現在、76歳の父の山行スタイルはどういうものか、どんな山行を行ってきたか、どの程度登れるのか、そして私のプチ遭難事件はどの程度覚えているのか。 そういうものを確認する為の山行です。 もう少し早い時期に実行したかったのですが、コロナ禍で状況が一変しました。 お盆には状況がどうなっているかわからない為、この四連休に6年振りの早めの帰省を決め、広島の家族に承諾を得ました。 父との40年振りの山行に、白山を選んだのは理由があります。 私は子どもの頃に白山で、大袈裟に言うと「遭難」、より軽く言うと「迷子」になった事があるからです。 その時の強烈な記憶は、断片的ながらかなり鮮明に残っています。 父に確認するまでどの山だったのかも忘れていましたが、あの不安な思いをしながら独り歩いた道の記憶は、自分でも不思議な程鮮明に残っているのです。 山登りを始めてから、その白山に40年振りに登り、あの時の記憶と照らし合わせたいと、無性にその衝動に駆られていました。 当時の記憶を思い出さなくても、思い出してもどちらでも構いません。 76歳の父と40年振りに同じ山を登り直す、その事自体に価値があると思いました。 いよいよその時がやってきました。 お天気予報はかなり悪いです。 てんくらは、終日Cクラス、全国的に大雨で、計画変更する方の方が多いでしょう。 しかし、父も私もやる気です。 5時の市ノ瀬からの始発のバスに乗るため、2時過ぎに起き、3時に家を出ました。 実家から市ノ瀬までは、車で約90分の道のりです。 家を出る際、母からは何度も念押しで言われました。 「とにかく無事に帰って来て。どんなに腹を立つことや理不尽な事をお父さんが言っても、無事に帰れるようにお願いだから我慢して」と。 母に言われるまでもなく、私もそのつもりで臨みました。 父もきっと同じ思いだったと思います。 なるべく娘と喧嘩をせず、無事に下山しよう、と。 以下40年振りの父娘白山登山の詳細は、写真と共にご一読くださいませ。 折角なので画像の最後に、私が子どもの頃の白山登山の写真を載せました。 昭和54年、昭和56年の二回の山行の写真です。 ちなみに何年かは記録がないので不明ですが、私が白山でプチ遭難したのはその数年後です。 たまたまその時は従兄も一緒に登ったので、写真があれば従兄も写っているはずなのですが、従兄の写っている山の写真は一枚もありませんでした。 幾ら探しても、その時の山行そのものの写真が見当たらないのでした。 父は家族登山の時は、必ず写真を撮っていたのにもかかわらず、です。 結論を言います。 40年前の白山山行の登山道の記憶は、写真を見ても、実際の山を登っても、よみがえることはありませんでした。 第一回目、第二回目の山行自体、全く記憶にありません。 プチ遭難したのは第三回目ですが、遭難時の記憶は強烈に残っているものの、残念ながらその記憶と同じ登山道を歩くことはできませんでした。 そりゃそうですよね。 それだけの年月が経てば、いかに色んなものが変わっているか。 それはここに載せた昔の写真を見ただけでもわかります。 でも少しだけひっかかった事があります。 プチ遭難した際、出会った登山者の方に助けていただき、父と再会できた小屋は、父に確認したところ甚之助避難小屋でした。 当時の記憶より道幅がかなり狭いですが、ああ、あの時の山小屋へ入る道と似ているような気がすると、かすかに記憶と通じるものがありました。 しかし下山後に調べたら、現在の甚之助避難小屋は2011年に場所も移動し、建て替えられたとありました。 近い場所に移動したようなので、道も似ていたと言う事でしょうか。 父との40年振りの山行は、天気には恵まれませんでしたが、お互いの努力もあり、無事に終える事ができました。 もし天気の良い見晴らしの良い日にもう一度登り返したら、あの時の記憶の景色に逢えるでしょうか。 残念ながらきっと、あの時の記憶の山には再会できないでしょう。 それでもいつかまたきっと、白山に登り直す事を楽しみにして、広島でその日が来るのを待ちたいなと思っております。 そう、いつかまたきっと、幼き日のあの時のように。

白山・別山・銚子ヶ峰 市ノ瀬には沢山の車が止まっていました。
検温&マスク着用のチェックを終え、バスに乗り込みます。
始発は5時ですが、規定時間より早くからバスは発車を始め、我々は二台目に乗り、別当出合に着きました。
市ノ瀬には沢山の車が止まっていました。 検温&マスク着用のチェックを終え、バスに乗り込みます。 始発は5時ですが、規定時間より早くからバスは発車を始め、我々は二台目に乗り、別当出合に着きました。
白山・別山・銚子ヶ峰 暗いですが、ヘッドランプを付けるほどではありません。
暗いですが、ヘッドランプを付けるほどではありません。
白山・別山・銚子ヶ峰 吊り橋はかなり揺れます。
いつもマイペース過ぎる父は、写真を撮る私を待たずに、さっさと先に行ってしまいました。いつ振り返るだろうと思っていましたが、吊り橋の最後に振り返ってくれました。
吊り橋はかなり揺れます。 いつもマイペース過ぎる父は、写真を撮る私を待たずに、さっさと先に行ってしまいました。いつ振り返るだろうと思っていましたが、吊り橋の最後に振り返ってくれました。
白山・別山・銚子ヶ峰 白山の写真は、一切加工していません。
ガスは載せている写真のまんまで、景色は一切無い山行になりました。
帰宅後見返しましたが、撮ったはずの写真の約半数が閃光で飛んでしまっていました。
白山の写真は、一切加工していません。 ガスは載せている写真のまんまで、景色は一切無い山行になりました。 帰宅後見返しましたが、撮ったはずの写真の約半数が閃光で飛んでしまっていました。
白山・別山・銚子ヶ峰 白山はどんな道を歩いても、始めから最後まで、ほぼ全ての視界にお花が入って来ます。
流石、お花の山ですね🌼🌻🥀🌺
白山はどんな道を歩いても、始めから最後まで、ほぼ全ての視界にお花が入って来ます。 流石、お花の山ですね🌼🌻🥀🌺
白山・別山・銚子ヶ峰 …そういえば出掛ける前に、白山の登山口付近の標高が低めの所に、虫がいるかどうか聞いてみました。
父:「虫? わからんなぁ。まぁ、いたらいたやで。そういえば、気にして登ったことは一回もねえな」
…そういえば出掛ける前に、白山の登山口付近の標高が低めの所に、虫がいるかどうか聞いてみました。 父:「虫? わからんなぁ。まぁ、いたらいたやで。そういえば、気にして登ったことは一回もねえな」
白山・別山・銚子ヶ峰 中飯場にはキレイなトイレがありました。
白山のトイレはすべてキレイな水洗。備え付けのペーパーのみ流せます。
普段トイレ無しの里山ばかり歩いている身では、大変有り難いです。
中飯場にはキレイなトイレがありました。 白山のトイレはすべてキレイな水洗。備え付けのペーパーのみ流せます。 普段トイレ無しの里山ばかり歩いている身では、大変有り難いです。
白山・別山・銚子ヶ峰 残念ながら雨が降り出したため、父も私もレインウェアを着込みます。写真は水分補給する父。
午前中は持つかなぁと二人とも思っていたのですが、甘かったです。
残念ながら雨が降り出したため、父も私もレインウェアを着込みます。写真は水分補給する父。 午前中は持つかなぁと二人とも思っていたのですが、甘かったです。
白山・別山・銚子ヶ峰 想像した通り、父は全身モンベルマンでした。
レインウェアはおニューなのに、ザックのレインカバーはウン十年物。
撥水もせず、ゴムがノビノビになっているヤツ。
この落差を父は何とも思わないらしいです。
想像した通り、父は全身モンベルマンでした。 レインウェアはおニューなのに、ザックのレインカバーはウン十年物。 撥水もせず、ゴムがノビノビになっているヤツ。 この落差を父は何とも思わないらしいです。
白山・別山・銚子ヶ峰 ちなみに今日の父のザックはもう一つの趣味、陸上の大会で買った小さいタウン用のリュックサック。
その事について何か言うと、その百倍の罵詈雑言を返す性格の父なので、何も言わない事にします。
もちろんまともな山のザックは、家に大量にあります。
恐らく山のザックはもう重く感じて持ちたくなくなったのではないかと推察します。
ちなみに今日の父のザックはもう一つの趣味、陸上の大会で買った小さいタウン用のリュックサック。 その事について何か言うと、その百倍の罵詈雑言を返す性格の父なので、何も言わない事にします。 もちろんまともな山のザックは、家に大量にあります。 恐らく山のザックはもう重く感じて持ちたくなくなったのではないかと推察します。
白山・別山・銚子ヶ峰 私より父の歩くペースの方が少し遅いですが、先頭を歩く父のペースに合わせ、ゆっくり歩きます。
私より父の歩くペースの方が少し遅いですが、先頭を歩く父のペースに合わせ、ゆっくり歩きます。
白山・別山・銚子ヶ峰 父:「昔はコースタイムの8割で歩けたんやけどなぁ。今は2割増し位や」
私:「わざわざ言わんでもわかるって(と心の中でだけ言います)。」
(後ろから父のペースで歩いているんだから。)
父:「昔はコースタイムの8割で歩けたんやけどなぁ。今は2割増し位や」 私:「わざわざ言わんでもわかるって(と心の中でだけ言います)。」 (後ろから父のペースで歩いているんだから。)
白山・別山・銚子ヶ峰 私:「白山は何回登った? 50回くらい?」
父:「僕は同じ山ばっかり登るのは嫌いやでぇ、35〜6回かな?」
父:「同じ山でも15年経つと、15年前にはわからなかった事を必ず発見するんやって。だから僕は15年経ったらまた登るようにしているんやでぇ」

※15年の数字の根拠を聞くのを忘れてしまいました。
どうして15年なんだろうか?
私:「白山は何回登った? 50回くらい?」 父:「僕は同じ山ばっかり登るのは嫌いやでぇ、35〜6回かな?」 父:「同じ山でも15年経つと、15年前にはわからなかった事を必ず発見するんやって。だから僕は15年経ったらまた登るようにしているんやでぇ」 ※15年の数字の根拠を聞くのを忘れてしまいました。 どうして15年なんだろうか?
白山・別山・銚子ヶ峰 私:「お父さんがナントカ名山に興味が無いのは知っているけど、百名山はどの位登った?」
父:「62座や。西の方は大山まで。全部登ろうとは全然思わん。」
それは私も同感です。
私:「お父さんがナントカ名山に興味が無いのは知っているけど、百名山はどの位登った?」 父:「62座や。西の方は大山まで。全部登ろうとは全然思わん。」 それは私も同感です。
白山・別山・銚子ヶ峰 私:「それなら一番沢山登った山は?」
父:「それは簡単、○○○(←忘れました)、荒島岳。△△△もよーけ登ったなぁ。
高校生の頃は足がないから、電車やバスで行ける山ばっかりになるでぇ」
私:「それなら一番沢山登った山は?」 父:「それは簡単、○○○(←忘れました)、荒島岳。△△△もよーけ登ったなぁ。 高校生の頃は足がないから、電車やバスで行ける山ばっかりになるでぇ」
白山・別山・銚子ヶ峰 父:「白山も高校生の時登ったよ」
私:「どうやって行ったんや?」
父:「あの頃は勝山駅からバスが出てたんや。別当出合までも歩きや。当然日帰りはできん。米一合、山小屋に持って行く時代やったでぇ」
父:「白山も高校生の時登ったよ」 私:「どうやって行ったんや?」 父:「あの頃は勝山駅からバスが出てたんや。別当出合までも歩きや。当然日帰りはできん。米一合、山小屋に持って行く時代やったでぇ」
白山・別山・銚子ヶ峰 父:「あの頃は市ノ瀬までの道もなかったんや。昭和43年に福井国体が開催される時に、ここいらの山が山岳競技の開催地になってぇ、市ノ瀬までの道が出来たんや」
父:「あの頃は市ノ瀬までの道もなかったんや。昭和43年に福井国体が開催される時に、ここいらの山が山岳競技の開催地になってぇ、市ノ瀬までの道が出来たんや」
白山・別山・銚子ヶ峰 父:「54年前はここに甚之助避難小屋があったんや。わざわざここから上にあげたんやの」
父:「54年前はここに甚之助避難小屋があったんや。わざわざここから上にあげたんやの」
白山・別山・銚子ヶ峰 現在の甚之助避難小屋です。
キレイな水洗トイレもあります。2011年に建て替えられたばかりだそうです。
ここで休憩していると、福井弁のパーティが入ってこられました。
現在の甚之助避難小屋です。 キレイな水洗トイレもあります。2011年に建て替えられたばかりだそうです。 ここで休憩していると、福井弁のパーティが入ってこられました。
白山・別山・銚子ヶ峰 ああ、福井弁だ~と思っていたら、その中のお一人の女性が父を見て、
「あら? あそこにいなるの、○○さん(父の名前)じゃないんか?」と話し始められました。
ああ、福井弁だ~と思っていたら、その中のお一人の女性が父を見て、 「あら? あそこにいなるの、○○さん(父の名前)じゃないんか?」と話し始められました。
白山・別山・銚子ヶ峰 それなのに父は全く気が付きません。
「お父さん! あそこにいらっしゃる方、お父さんのお知り合いの方やよ!」と声を掛けます。
ようやっと立上がって見て気が付いたようです。
※父は往来で人に気が付く事ができません。
それなのに父は全く気が付きません。 「お父さん! あそこにいらっしゃる方、お父さんのお知り合いの方やよ!」と声を掛けます。 ようやっと立上がって見て気が付いたようです。 ※父は往来で人に気が付く事ができません。
白山・別山・銚子ヶ峰 父が気の利いた挨拶を一切出来ないことをよーく知っているので、私は思わず父より先に挨拶を始めました。
「はじめまして、いつも父がお世話になっております」
父が気の利いた挨拶を一切出来ないことをよーく知っているので、私は思わず父より先に挨拶を始めました。 「はじめまして、いつも父がお世話になっております」
白山・別山・銚子ヶ峰 「あら~、じゃあ一緒にいなるのは、○○さんの彼女じゃなくて、広島に嫁いだ、娘さんや!」
「あら~、○○さん、なんて幸せなの、娘さんと親子登山だなんて」
「ほやほや、なんて幸せなんや、いいの~、○○さん」
「ほやって~しあわせやの~、○○さん」
「あら~、じゃあ一緒にいなるのは、○○さんの彼女じゃなくて、広島に嫁いだ、娘さんや!」 「あら~、○○さん、なんて幸せなの、娘さんと親子登山だなんて」 「ほやほや、なんて幸せなんや、いいの~、○○さん」 「ほやって~しあわせやの~、○○さん」
白山・別山・銚子ヶ峰 「ほんならあ、広島からザック担いで来なったんか?」
「そうなんですよ、ザック担いで新幹線に乗って来ました。40年振りの白山です」と私。
和気藹々と話し、楽しい時間が過ごせました。
父は私の事を仲間内に話しているというのもよくわかりました。
伺うと父の知り合いのパーティの方々は、小屋泊まりなさって下山の最中とのことでした。
「ほんならあ、広島からザック担いで来なったんか?」 「そうなんですよ、ザック担いで新幹線に乗って来ました。40年振りの白山です」と私。 和気藹々と話し、楽しい時間が過ごせました。 父は私の事を仲間内に話しているというのもよくわかりました。 伺うと父の知り合いのパーティの方々は、小屋泊まりなさって下山の最中とのことでした。
白山・別山・銚子ヶ峰 今思うとコロナ禍の今、マスク無しで小屋内でしゃべり混むのはあまり良い事ではありませんでしたね。
我々以外に小屋内にいらっしゃった方、ご迷惑をお掛けしてすみませんでした。
お話してくださった父の知り合いの方々、大変ありがとうございました。
お陰様で良い思い出になりました。
今思うとコロナ禍の今、マスク無しで小屋内でしゃべり混むのはあまり良い事ではありませんでしたね。 我々以外に小屋内にいらっしゃった方、ご迷惑をお掛けしてすみませんでした。 お話してくださった父の知り合いの方々、大変ありがとうございました。 お陰様で良い思い出になりました。
白山・別山・銚子ヶ峰 雨が強くなってきたので、二人とも傘を出しました。父の持ってきた折り畳み傘は、私が想像した通りアウトドア用ではありません。
しょっちゅう強風でひっくり返りますが、別に何とも思わないらしいです。
雨が強くなってきたので、二人とも傘を出しました。父の持ってきた折り畳み傘は、私が想像した通りアウトドア用ではありません。 しょっちゅう強風でひっくり返りますが、別に何とも思わないらしいです。
白山・別山・銚子ヶ峰 私の傘はモンベルなので強風でもひっくり返りません。
何でこの人、全身モンベルなのに、傘は買っていないのかしら?
本当に変わっている…と心の中だけで思う娘の私です(口に出すと喧嘩になるから押しとどめています)。
私の傘はモンベルなので強風でもひっくり返りません。 何でこの人、全身モンベルなのに、傘は買っていないのかしら? 本当に変わっている…と心の中だけで思う娘の私です(口に出すと喧嘩になるから押しとどめています)。
白山・別山・銚子ヶ峰 私:「福井にも熊はいるやろ。遭ったことはあるんか?」
父:「3回あるよ。全部熊の方が俺に気が付いて逃げて行った。」
60年で3回なら、少ないほうなんじゃないかと思う私。
私:「福井にも熊はいるやろ。遭ったことはあるんか?」 父:「3回あるよ。全部熊の方が俺に気が付いて逃げて行った。」 60年で3回なら、少ないほうなんじゃないかと思う私。
白山・別山・銚子ヶ峰 父:「俺の知り合いでヤラれて怪我した奴は何人もおるぞ。熊はなんでか知らんけど、人の顔を襲ってくるんやわ。何針も縫うたって言ってたわ」
父:「俺の知り合いでヤラれて怪我した奴は何人もおるぞ。熊はなんでか知らんけど、人の顔を襲ってくるんやわ。何針も縫うたって言ってたわ」
白山・別山・銚子ヶ峰 父:「道がキレイんなってるなぁ。去年来た時こんなキレイやったかなぁ」
父:「道がキレイんなってるなぁ。去年来た時こんなキレイやったかなぁ」
白山・別山・銚子ヶ峰 父:「晴れてればぁ、御嶽山や乗鞍がキレイに見えるんやけどなぁ」
父:「晴れてればぁ、御嶽山や乗鞍がキレイに見えるんやけどなぁ」
白山・別山・銚子ヶ峰 私:「そういや、福井県にある三角点を全部調べてた事あったやろ。あんな事やるのお父さんぐらいやろ」
私:「そういや、福井県にある三角点を全部調べてた事あったやろ。あんな事やるのお父さんぐらいやろ」
白山・別山・銚子ヶ峰 父:「ほんなことないわ。俺が知っているだけで、同じ事やったの、3人は知ってるぞ」

※その後三角点の事を聞いたら、延々と説明が始まり、余りにも大量だったので殆ど忘れてしまいました。
父:「ほんなことないわ。俺が知っているだけで、同じ事やったの、3人は知ってるぞ」 ※その後三角点の事を聞いたら、延々と説明が始まり、余りにも大量だったので殆ど忘れてしまいました。
白山・別山・銚子ヶ峰 実は甚之助小屋を出たあたりから父のペースが落ちてきました。
ゼーゼーハーハー、息も荒くなってきました。
実は甚之助小屋を出たあたりから父のペースが落ちてきました。 ゼーゼーハーハー、息も荒くなってきました。
白山・別山・銚子ヶ峰 立ち止まって説明するフリをして休憩しているのが、丸わかりになってきました。
立ち止まって説明するフリをして休憩しているのが、丸わかりになってきました。
白山・別山・銚子ヶ峰 どんどんペースが落ちてくるので、もしかして父は室堂までもたないんじゃないか、と思い始めました。
どんどんペースが落ちてくるので、もしかして父は室堂までもたないんじゃないか、と思い始めました。
白山・別山・銚子ヶ峰 私:「お父さん、去年の夏、日帰りで白山登ったって言ってたが。どこまで登ったんや?」
私:「お父さん、去年の夏、日帰りで白山登ったって言ってたが。どこまで登ったんや?」
白山・別山・銚子ヶ峰 父が答えて何かしゃべっているのですが、福井弁&吃音&雨音で何をしゃべっているのかさっぱりわかりません。
父が答えて何かしゃべっているのですが、福井弁&吃音&雨音で何をしゃべっているのかさっぱりわかりません。
白山・別山・銚子ヶ峰 室堂まで雨風凌げて休憩出来そうな所はないし、果たして父が室堂まで歩けるか心配になってきました。
うーん、これはどこかで撤退しなくてはいけないかも...。
室堂まで雨風凌げて休憩出来そうな所はないし、果たして父が室堂まで歩けるか心配になってきました。 うーん、これはどこかで撤退しなくてはいけないかも...。
白山・別山・銚子ヶ峰 40年前はこんなキレイな木道は一つもありませんでした。
それだけははっきりわかります。
40年前はこんなキレイな木道は一つもありませんでした。 それだけははっきりわかります。
白山・別山・銚子ヶ峰 今回唯一まともに撮れた黒百合の写真です。
今回唯一まともに撮れた黒百合の写真です。
白山・別山・銚子ヶ峰 私:「お父さん、もっかい聞くけど、去年本当に白山日帰りできたんか? 山頂まで行ってえんのでないんか? 本当の事を言いねま」
父:「去年は室堂までは行けたんやぞ。快晴でキレイやったで、室堂までで帰ったんや」
私:「お父さん、もっかい聞くけど、去年本当に白山日帰りできたんか? 山頂まで行ってえんのでないんか? 本当の事を言いねま」 父:「去年は室堂までは行けたんやぞ。快晴でキレイやったで、室堂までで帰ったんや」
白山・別山・銚子ヶ峰 私:「やっぱりそうか、肝心な事をわざと言わんかったんやな。見栄張ってもしょうがないのに」
(これは心の中で言いました)
私:「やっぱりそうか、肝心な事をわざと言わんかったんやな。見栄張ってもしょうがないのに」 (これは心の中で言いました)
白山・別山・銚子ヶ峰 父:「毎週登ってはいるんやけどぉ、最近は水と食べ物だけ持って、登りは2~3時間くらいの山ばっかりやったでぇ。今日はいつもより歩いてちょっと疲れてるだけや」
私:「お父さん、室堂まで歩けるか?」
父:「毎週登ってはいるんやけどぉ、最近は水と食べ物だけ持って、登りは2~3時間くらいの山ばっかりやったでぇ。今日はいつもより歩いてちょっと疲れてるだけや」 私:「お父さん、室堂まで歩けるか?」
白山・別山・銚子ヶ峰 父:「俺は室堂でお昼食べて休憩してるでぇ、お前だけ山頂に行ってきねま。俺は休んでれば大丈夫やって」
父:「俺は室堂でお昼食べて休憩してるでぇ、お前だけ山頂に行ってきねま。俺は休んでれば大丈夫やって」
白山・別山・銚子ヶ峰 父:「もう室堂やろ? 建物はどこや? ガスで全然見えんがの」
私:「建物は目の前やって。まっすぐ歩けばいいだけや。まっすぐ歩いてればそのうち見えるって」
父:「ほうか」
父:「もう室堂やろ? 建物はどこや? ガスで全然見えんがの」 私:「建物は目の前やって。まっすぐ歩けばいいだけや。まっすぐ歩いてればそのうち見えるって」 父:「ほうか」
白山・別山・銚子ヶ峰 実は始め白山登山を計画していた時、日帰りではなく一泊にして、父の指定した山荘の予約も入れていたのです。
実は始め白山登山を計画していた時、日帰りではなく一泊にして、父の指定した山荘の予約も入れていたのです。
白山・別山・銚子ヶ峰 ところが、私が予約を入れた報告をする時に、今年はコロナ禍で寝具の貸出は無しになった事を説明すると、山荘泊まりを渋り出しました。
ところが、私が予約を入れた報告をする時に、今年はコロナ禍で寝具の貸出は無しになった事を説明すると、山荘泊まりを渋り出しました。
白山・別山・銚子ヶ峰 ちなみに父はスマホは持っているものの、メールもできず、電話機能しか使えない程の情報弱者。
インターネットなんて夢のまた夢です。

※今回父はカメラを持ってきていませんが、未だにフィルムカメラを愛用してます。
ちなみに父はスマホは持っているものの、メールもできず、電話機能しか使えない程の情報弱者。 インターネットなんて夢のまた夢です。 ※今回父はカメラを持ってきていませんが、未だにフィルムカメラを愛用してます。
白山・別山・銚子ヶ峰 父:「俺は去年も日帰りしたんやで、日帰りがいいんやって。山荘まで寝袋やらマットやら持って行きたくないでぇ。小屋泊まりするんやったら、俺の荷物を誰かに担いでもらうわ。一緒に来てくれる人は今から探すでぇ」と言い出しました。
父:「俺は去年も日帰りしたんやで、日帰りがいいんやって。山荘まで寝袋やらマットやら持って行きたくないでぇ。小屋泊まりするんやったら、俺の荷物を誰かに担いでもらうわ。一緒に来てくれる人は今から探すでぇ」と言い出しました。
白山・別山・銚子ヶ峰 私:「は? 国内の山でシェルパを雇うんか? 聞いたことないわ!!
お願いやでそんな恥ずかしい事やめてや。お父さんの寝具とマットぐらい私が担げるって」
しかし父は頑なにお前には担がれん、日帰りがいいと言い張ります。
私が普段広島で日帰りでも10㌔近く担いで、10km以上歩いているから大丈夫と言っても、駄目や、あかんの一点張りです。
私:「は? 国内の山でシェルパを雇うんか? 聞いたことないわ!! お願いやでそんな恥ずかしい事やめてや。お父さんの寝具とマットぐらい私が担げるって」 しかし父は頑なにお前には担がれん、日帰りがいいと言い張ります。 私が普段広島で日帰りでも10㌔近く担いで、10km以上歩いているから大丈夫と言っても、駄目や、あかんの一点張りです。
白山・別山・銚子ヶ峰 この時に気が付くべきだったんですね、父がもう白山山頂まで行く体力が無くなっているっていう事に。
この時に気が付くべきだったんですね、父がもう白山山頂まで行く体力が無くなっているっていう事に。
白山・別山・銚子ヶ峰 その去年の日帰り白山も自慢気に言うもんだから、てっきり山頂まで日帰りしたのかと思っていました。
ああ、充分知ってはいたけど、本当に面倒くさいな、この人は。
その去年の日帰り白山も自慢気に言うもんだから、てっきり山頂まで日帰りしたのかと思っていました。 ああ、充分知ってはいたけど、本当に面倒くさいな、この人は。
白山・別山・銚子ヶ峰 電話口で父は私に、
「本当にお前、白山日帰りできるんやろな。山頂までやったら、早くても7-8時間はかかるんやぞ。ちゃんと俺に付いてきて歩けるんやろな?」
と、大層偉そげに言ってたんですけどね...。
電話口で父は私に、 「本当にお前、白山日帰りできるんやろな。山頂までやったら、早くても7-8時間はかかるんやぞ。ちゃんと俺に付いてきて歩けるんやろな?」 と、大層偉そげに言ってたんですけどね...。
白山・別山・銚子ヶ峰 という訳で、室堂ビジターセンターに満身創痍の父を残し、一人山頂の御前峰に向かいました。
という訳で、室堂ビジターセンターに満身創痍の父を残し、一人山頂の御前峰に向かいました。
白山・別山・銚子ヶ峰 室堂の手前くらいから、手がパンパンに腫れてきました。
2000mを超える標高に身を置くのは、子どもの時以来です。
室堂の手前くらいから、手がパンパンに腫れてきました。 2000mを超える標高に身を置くのは、子どもの時以来です。
白山・別山・銚子ヶ峰 悪天候は変わらず、ジグザグ登る急登です。
標高2500mを超えると風が一気に強まってきました。
悪天候は変わらず、ジグザグ登る急登です。 標高2500mを超えると風が一気に強まってきました。
白山・別山・銚子ヶ峰 レインジャケットのフードを両手で押さえて、風が顔に当たらないように気をつけながら進みます。
そうしないと息ができないのです。
レインジャケットのフードを両手で押さえて、風が顔に当たらないように気をつけながら進みます。 そうしないと息ができないのです。
白山・別山・銚子ヶ峰 手はパンパンにむくみ、握ることもできなくなりました。
手はパンパンにむくみ、握ることもできなくなりました。
白山・別山・銚子ヶ峰 顔に強風、雨が当たりまくります。
とにかく立っているだけで、風で吹き飛ばされそうです。
顔に強風、雨が当たりまくります。 とにかく立っているだけで、風で吹き飛ばされそうです。
白山・別山・銚子ヶ峰 強風をまともに顔面にくらうと息ができなくなるので、フードを立ててなるべく息がしやすい位置に体、顔が来るようにしないといけません。
強風をまともに顔面にくらうと息ができなくなるので、フードを立ててなるべく息がしやすい位置に体、顔が来るようにしないといけません。
白山・別山・銚子ヶ峰 あまりの強風に、近くにいらっしゃった男性に「酷い風ですねぇ」とこぼしてしまいました。
あまりの強風に、近くにいらっしゃった男性に「酷い風ですねぇ」とこぼしてしまいました。
白山・別山・銚子ヶ峰 山頂から室堂まで下りの写真は、かなりの数を撮ったつもりだったのですが、すべて失敗していました。
強風が原因のようです。
山頂から室堂まで下りの写真は、かなりの数を撮ったつもりだったのですが、すべて失敗していました。 強風が原因のようです。
白山・別山・銚子ヶ峰 室堂に帰ったら、休憩して元気を取り戻した父が、今か今かと私を待っていました。
父:「バスの時間が心配だから急ぐぞ。早く飯を食べろ」
室堂に帰ったら、休憩して元気を取り戻した父が、今か今かと私を待っていました。 父:「バスの時間が心配だから急ぐぞ。早く飯を食べろ」
白山・別山・銚子ヶ峰 あまりに急かすので、持ってきたおにぎりは歩きながら食べる事にしました。
あまりに急かすので、持ってきたおにぎりは歩きながら食べる事にしました。
白山・別山・銚子ヶ峰 しかし父は早いのなんのって。
なんで下山だけこんなに早いの? 全然転ばずにスタスタ、遙か彼方の姿が見えない距離まで先に行ってしまいます。
私は尻餅とまではいきませんでしたが、二度転倒しかけました。
ここが年老いたとはいえ、60年のベテランと、二年目の初心者の私との違いでしょうかね。
しかし父は早いのなんのって。 なんで下山だけこんなに早いの? 全然転ばずにスタスタ、遙か彼方の姿が見えない距離まで先に行ってしまいます。 私は尻餅とまではいきませんでしたが、二度転倒しかけました。 ここが年老いたとはいえ、60年のベテランと、二年目の初心者の私との違いでしょうかね。
白山・別山・銚子ヶ峰 下山中なにやら登りの外国人の男性と話し込んでいます。
勿論父は福井弁、お相手男性は英語です。
遙かかなたから「olympic」とだけ聞き取れました。
下山中なにやら登りの外国人の男性と話し込んでいます。 勿論父は福井弁、お相手男性は英語です。 遙かかなたから「olympic」とだけ聞き取れました。
白山・別山・銚子ヶ峰 父:「ニュージーランドの人やったで、なんちゃらかんちゃらっていうニュージーランドの陸上選手、知ってるか?って聞いたら(勿論福井弁)、勿論メダリストだから知ってるって言ってたみたいやったぞ。」
父:「ニュージーランドの人やったで、なんちゃらかんちゃらっていうニュージーランドの陸上選手、知ってるか?って聞いたら(勿論福井弁)、勿論メダリストだから知ってるって言ってたみたいやったぞ。」
白山・別山・銚子ヶ峰 私:「また知らない人に自分の言いたい事を勝手にしゃべって迷惑かけてる...(声には出しませんが、内心ウンザリ。)」
私:「また知らない人に自分の言いたい事を勝手にしゃべって迷惑かけてる...(声には出しませんが、内心ウンザリ。)」
白山・別山・銚子ヶ峰 よく山頂なんかで、聞いてもいないのに、勝手に「あれは○○岳、後ろのピークは○○山。俺が昔登った時は...」って話しかけてくる高齢者の男性がいらっしゃるでしょう。
よく山頂なんかで、聞いてもいないのに、勝手に「あれは○○岳、後ろのピークは○○山。俺が昔登った時は...」って話しかけてくる高齢者の男性がいらっしゃるでしょう。
白山・別山・銚子ヶ峰 あれの典型が父なんですよ。
ホント、今まで何十年も沢山の人に多大な迷惑をかけていると思います。
あれの典型が父なんですよ。 ホント、今まで何十年も沢山の人に多大な迷惑をかけていると思います。
白山・別山・銚子ヶ峰 父:「ほんな事ないって! みんな喜んで俺の話を聞いてありがとうございますって言ってるわ。ガハハハハ」
父:「ほんな事ないって! みんな喜んで俺の話を聞いてありがとうございますって言ってるわ。ガハハハハ」
白山・別山・銚子ヶ峰 私:「そんなのお父さんの聞きたくない自慢話を終わらせる為に言ってるだけで、本当に感謝して言ってるんじゃないわ。ほんなもんもわからんのか」
私:「そんなのお父さんの聞きたくない自慢話を終わらせる為に言ってるだけで、本当に感謝して言ってるんじゃないわ。ほんなもんもわからんのか」
白山・別山・銚子ヶ峰 と言いたいのは山々なんですが、喧嘩になって帰れなくなっても仕方ないので、心の中に留めました。
と言いたいのは山々なんですが、喧嘩になって帰れなくなっても仕方ないので、心の中に留めました。
白山・別山・銚子ヶ峰 そのお陰で最終17時のバスには充分間に合い、16時のバスに乗ることができました。はあ、疲れた。

※次からは実家のアルバムからお蔵出し、昭和の白山写真コレクションをお送りいたします。
(アルバムに貼ってある写真をスマホで撮っただけです)
そのお陰で最終17時のバスには充分間に合い、16時のバスに乗ることができました。はあ、疲れた。 ※次からは実家のアルバムからお蔵出し、昭和の白山写真コレクションをお送りいたします。 (アルバムに貼ってある写真をスマホで撮っただけです)
白山・別山・銚子ヶ峰 ①昭和54年7月22、23日とアルバムに記載があります。
年長の私、年中の弟。
私は子どもの頃身長が高かったので(今は平均値)、いつも数歳年上に見られました。
どうも小屋泊したようですが、全く覚えていません。
①昭和54年7月22、23日とアルバムに記載があります。 年長の私、年中の弟。 私は子どもの頃身長が高かったので(今は平均値)、いつも数歳年上に見られました。 どうも小屋泊したようですが、全く覚えていません。
白山・別山・銚子ヶ峰 ②いざ、お花畑コース。
わかりづらいですが、姉弟、お揃いの帽子👒
どなたかの手作りの頂き物だったような気がします。
②いざ、お花畑コース。 わかりづらいですが、姉弟、お揃いの帽子👒 どなたかの手作りの頂き物だったような気がします。
白山・別山・銚子ヶ峰 ③キツそうですね。
イヤイヤ歩くのを母が励ましていたのかもしれません。
③キツそうですね。 イヤイヤ歩くのを母が励ましていたのかもしれません。
白山・別山・銚子ヶ峰 ④黒ボコ岩で、ペアルック。
④黒ボコ岩で、ペアルック。
白山・別山・銚子ヶ峰 ⑤ここはどこでしょうかね?
シュワッチ‼️
今はオッサンになった弟の、何と可愛らしいこと。面影、全く無し😂 って私もそうか🤣
⑤ここはどこでしょうかね? シュワッチ‼️ 今はオッサンになった弟の、何と可愛らしいこと。面影、全く無し😂 って私もそうか🤣
白山・別山・銚子ヶ峰 ①時は変わって2年後の昭和56年8月2日。
日帰りだったようなので、恐らく山頂には行っていないでしょう。この山行も全く記憶にありません。
①時は変わって2年後の昭和56年8月2日。 日帰りだったようなので、恐らく山頂には行っていないでしょう。この山行も全く記憶にありません。
白山・別山・銚子ヶ峰 ②小2の私、小1の弟。
私は2年前と同じ帽子で、弟は野球帽に変わっています。
キツくない道では子どもらしく楽しそうにしてますな。
②小2の私、小1の弟。 私は2年前と同じ帽子で、弟は野球帽に変わっています。 キツくない道では子どもらしく楽しそうにしてますな。
白山・別山・銚子ヶ峰 ③水は飲料にしないでと書いてあります。
この帽子は数シーズンかぶったので、よく覚えています。
③水は飲料にしないでと書いてあります。 この帽子は数シーズンかぶったので、よく覚えています。
白山・別山・銚子ヶ峰 ④私と弟のジャージは小学校の体操服の長ズボンです。
当時の登山者はジャージかニッカポッカかという印象でした。
④私と弟のジャージは小学校の体操服の長ズボンです。 当時の登山者はジャージかニッカポッカかという印象でした。
白山・別山・銚子ヶ峰 ⑤40年前は8月の白山に雪渓があったんですね。
どの夏山でも、運動靴で雪渓を歩かされるのは嫌でしたねぇ。
濡れるし滑るし歩きにくい。当時はストックを持つ習慣もありません。
山の記憶はなくても、それだけは記憶にあります。
当時子どもの登山服や登山靴は売っていなかったんでしょうか?

この数年後の夏、山の雑誌の広告を見ていた父が私に向かって、「お〜い、今度子供用のい〜い登山靴が出るんやと。お前の誕生日プレゼントに買うてやるでぇ、それ履いてどうたらこうたら…」
と言われた事を思い出しました。
その時はもう絶対に父と山に行くものかと決めていましたので、
「そんなものを買ったら、もっとキツい山に登らされるに決まってるわ。冗談じゃない」
と思い、全力で阻止しました。
⑤40年前は8月の白山に雪渓があったんですね。 どの夏山でも、運動靴で雪渓を歩かされるのは嫌でしたねぇ。 濡れるし滑るし歩きにくい。当時はストックを持つ習慣もありません。 山の記憶はなくても、それだけは記憶にあります。 当時子どもの登山服や登山靴は売っていなかったんでしょうか? この数年後の夏、山の雑誌の広告を見ていた父が私に向かって、「お〜い、今度子供用のい〜い登山靴が出るんやと。お前の誕生日プレゼントに買うてやるでぇ、それ履いてどうたらこうたら…」 と言われた事を思い出しました。 その時はもう絶対に父と山に行くものかと決めていましたので、 「そんなものを買ったら、もっとキツい山に登らされるに決まってるわ。冗談じゃない」 と思い、全力で阻止しました。

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