遭難しかけたこと

2017.02.10(金) 2 DAYS

活動データ

タイム

09:09

距離

314.8km

のぼり

562m

くだり

721m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
40
休憩時間
0
距離
36.8 km
のぼり / くだり
78 / 185 m
DAY 2
合計時間
8 時間 28
休憩時間
38
距離
39.5 km
のぼり / くだり
473 / 536 m

活動詳細

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今から25年程前の冬の石鎚山でした。冬山が未経験の友人夫婦を連れて、往路はロープウェイを利用、復路は昔からの西之川へ下りるルートを下山しました。 数日は降雪もなくトレースもしっかり残っていました。特に問題なく登っていたのですが、途中から雪が深くなり、友人の奥さんが疲労してきたので、山頂は諦めて下山することになりました。 その頃の私は、地元の山はあまり興味がなく、ロープウェイを使って山頂にも行けない状況に、若干物足りなさを感じていましたので、せめて往路とは違うルートでと、西之川へ下りるルートを選択しました。 既にこのルートは旧道で、冬期はほとんど登山者もないルートでしたが、無積雪期は何度か利用して積雪も少なく 幸い、僅かながらトレースもあったので、これなら問題ないと思いました。 ところが、分岐してからは特に問題がなかったトレースでしたが、視野が開けてきたこと、日が傾き始め陰影がはっきりしてきたこと、そして若干の降雪があり、トレースの上に薄っすらと積もってしまいました。 こんな時は、一点に集中してしまうと、僅かに残ったトレースを見失う可能性があるので、視野を広く浅くして見失わないようにする必要があり、時間、装備、体力、その他を考えながら冷静になる必要がありました。 しかし、その時の状況は経験の浅い自分には厳しいものでした。後ろからついてくる二人が、まだ馴染んでない登山靴とアイゼンに不具合が発生して、途中でアイゼンを外そうとしていました。道の状態はつぼ足でも歩けなくはないのですが、凍結もあり何より時間がありません。 ルートを見失う訳にはいかない状況で二人に気を取られ、既に頭の中はビバークを考えていましたが、装備がビバークできる程の準備が無く、途中の廃屋まで(ほぼ下山口)なんとか到着できればとか、少し冷静さを欠いた状況になってきました。しかし、ここで彼らを急かせては逆効果になってしまうと思いました。 一旦落ち着こう。 幸いにも冬山の怖さを知らなかった彼らは、あまり焦ることも恐怖心もなく、服装や装備を整えてからペースも安定して、日没後しばらくで下山口に下りて来れました。 あの時、往路と同じルートを引き返せばと、自分の教訓として染み付いています。自分の思慮深さの無さから一歩間違えれば遭難させてしまうところでした。 過去の遭難で本当のリスクは人間だと思う事があります。トムラウシ山も屋久島の事故も、ガイドの葛藤はキャンセル料や見舞金という、ガイド自身がどうすることもできない、多額の出費という現実的なリスクが、判断力を誤る大きな要因ではなかったのかと思います。彼らガイド側の立場に立つと、参加者は経済的にも時間的にも余裕があり、お客様という以前に人間として対等であるならば、彼らを気遣う思慮深さが大切ではないかと思います。もちろんガイドの経験不足等の重要な問題も増加していると思います。 今、世界は第二次世界大戦の前の空気を感じます。思慮深さがなくなっているそんな気がします。トランプ大統領になってからのあるコラムに書かれていました。 写真はオシフェンチムというポーランドの小さな町です。駅前を歩くと長方形の団地が立ち並びますが、マイナス20℃にもなるので人通りは疎ら、たまにすれ違う住民も、あまり笑顔を見せることはありません。 古都クラコフとは180度違うと思うような空気、しかし、観光客が毎日たくさんの大型バスで訪れます。近年は、予約をしないと入れない程増えています。トランプ大統領になってからはもっと増えているかもしれません。 アウシュビッツ・ビルケナウ 今、書いてる自分自身の背筋が寒くなリます。住んでいるオシフェンチムの人がこの名前を口にしたくない、団地を通り抜けて行く観光客の日本人に笑顔ができない理由がよくわかります。 軌跡はハンガリーのブダペストから夜行列車でオシフェンチムへ向かったルートです。暖房が効いて暑いくらいの車内ですが、窓枠の金属部分に剥き出しの腕を置くと10秒と保たないくらいです。ハンガリーからもたくさんのユダヤ人が貨車に乗せられてアウシュビッツへ送られました。誰も同乗者がいなかったので、コンパートメントの窓を全開にすると、一瞬で震えるほどの寒さになります。その夜は満月で月夜のきれいな夜でしたが、同じ線路を送られて行ったユダヤ人の人達を思うと、きれいとかとても思えませんでした。 行って分かったこと。分からなかったこと。分からなくなったこと。いくら考えても何故こんなことが起きてしまったのか? 第一収容所から第二収容所へバスで移動する時に、ある若い西洋人のカップルが普段話に笑い声をあげていました。後、3分も我慢できないと思いました。何故ここへ来たの?それとも時間が経ってしまったのか? ますます分からなくなりました。 なんだかここで遭難したような変な気分でしたが、バスを降りてあの忌々しい門を入ると、マイナス20℃の極寒と寒々しい風景に、何故か第一収容所での美味しそうにパイを食べる女の子の写真の前では、涙が溢れて止まらなかったのに、ここへ来ると涙も言葉も出ませんでした。覚悟して来たのになんとなく拍子抜けした…ではなくて、送られて来たユダヤ人の人達も諦めて、感情も全て停止してしまったのかもしれません。 ホロコーストの発端も宗教の違いとかではなく、商才の長けたユダヤ人(*ユダヤ人は迫害され財産も土地も全て奪われても学習した知恵と知識だけは残るという教えを教訓にしていました)への妬みのように、資本主義の落とし穴でしょうか。ヒトラーがドイツ国民を煽ったように、トランプもアメリカの白人を煽り、アメリカは世界はまた同じ歴史を繰り返そうとしているのでしょうか。 こんな時代こそ思慮深さを忘れないように生きないといけないそう思いました。

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