★山頂Getは、あと一歩だったかな ☆昭和59年10月竣工の七北田ダム建設の際に,山の大半が石材として削り取られてしまったという屏風岳へ登ってきました。 ☆重機の音が響くなか、厳かな杉並木と約250段余りの石段を登っていくと落ち着いた佇まいの境内へ。 ☆そしてそして重機の正体は、現在も砕石作業が続いているふもとの採石場でした。 以上、かつての山頂部が崩され、三角点も鞍掛石も神社境内へ移されてしまったという悲哀たっぷりの屏風岳ですが、鳥居周辺に並ぶ石碑群や境内の姥杉が確かな由緒沿革を伝えてくれている里山でした。
めざすは屏風岳!ここがスタート地点の鷲倉神社の鳥居です
さあ登るよ、鷲倉神社!そして・・・
見事な杉並木路を登っていくと、次は
はるか先まで続く石段...数えながら登っていくと250段余りでした!そして目前に現れたのが、
見事な杉の大木!樹高約36m、樹齢400年以上という市の重要文化財でした。
鞍掛の石も。砕石採取で屏風岳が消滅した際に、屏風岳の頂上にあったこの大岩がここ神社境内へ移されたとのこと。
落ち着いた佇まいの境内でした。そしてめざすは山頂。登っていくと、、
眼下に広がったのはこのような採石場でした・・・
正面に見えた小屋森山(標高385m)の山頂付近には、低くたれこめた雲がかかり、左隣の長倉山、嵐山、そして泉ヶ岳、今日はどれもどれも雲の中でした(カバー写真にしよう)
下る途中には、こちらへ立ち寄り
コロナ退散祈願の小石をお供えしました
由緒沿革を伝える多数の石碑があって、歴史の重みを感じた根白石の里山 屏風岳(鷲倉神社)でした。