坂根谷左俣滝B。写真では分かりづらいが2段の滝になっている。ここはロープを出して登ることにしました。 戻る 次へ

十方山沢登り(坂根谷左俣)&奥三ツ倉南尾根(ナガオノオカ)の写真

2020.07.04(土) 09:58

坂根谷左俣滝B。写真では分かりづらいが2段の滝になっている。ここはロープを出して登ることにしました。

この写真を含む活動日記

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9.6 km

1038 m

十方山沢登り(坂根谷左俣)&奥三ツ倉南尾根(ナガオノオカ)

十方山 (広島, 山口, 島根)

2020.07.04(土) 日帰り

2015年の11月にやしやしさんと登って以来の坂根谷左俣。 坂根谷左俣の見どころは谷の左岸に聳える「坂根の懸崖」(標高700~800m付近)。見ごたえのある大懸崖なのですが、今回は草木が繁茂しており展望はイマイチでした。 左俣の顕著な滝は2箇所。ナメ状の滝A(標高880m付近)と2段滝の滝B(標高980m付近)。滝Bはロープを出してクライミング。滝Bの下段はフードを被り流心に突っ込んでシャワークライミング。リードなら流心を避けて登ったでしょうが、上からビレイしてもらっている安心感があるので流心に突っ込みました。ただ、この季節でも水は冷たくて寒かった。 今回、左俣は浮石が多く慎重に登りました。雨が続いている状況下での沢登りにおいて、浮石は注意すべき重要事項だと感じました。 標高1200m付近から奥三ツ倉山頂付近の登山道(標高1300m付近)に出るまではかなり激しい藪漕ぎになりました。 奥三ツ倉南尾根(ナガオノオカ)は奥三ツ倉山頂付近の尾根地形が明瞭ではない上背丈ほどの高さの笹が密生しており、頻繁に進行方向を確認しながら歩きました。 奥三ツ倉南尾根末端の茅野ヶ峠(カヤノガタオ)から押ヶ峠(オシガタオ)の集落へ続く径は消滅しているようでした。 押ヶ峠の集落を歩いている際、先祖代々坂根に住み続けてきたという住人の方(60代女性)からお話を伺うことができました。 その方から伺った話をまとめると、 ①昭和30年代ころまでは坂根や那須の人々は冬になると熊を狩猟していた。 ②坂根谷あたりには地元の人から「熊の穴」や「水晶山」と呼ばれる場所があった。 ③日常の食料として「ヤマメ」を釣っていた。ヤマメの方言である「ヒラメ」という言葉は使っていなかった。 ④イワナは食べていなかった。そもそも近辺にイワナは生息していなかった。 ⑤坂根、那須などは室町時代末期に毛利氏に敗れた落ち武者が住んだ集落だった。 ⑥押ヶ峠から吉和に至る集落の住民は吉和の寺の檀家であり、同峠から戸河内に至る集落の住民は戸河内の寺の檀家だった(即ち、寺の勢力圏という観点からみた吉和と戸河内の境界線は押ヶ峠であった)。 ⑦昨年は毎晩庭の柿木に熊がやってきて柿を食べていた。つい先日も自宅前の道路で草刈りをしていた際に熊が目の前に現れた。自治体への通報はしていない。 この方の話はとても興味深く、本日一番の収穫でした。数年前、スキーの際に宿泊した恐羅漢山麓の民宿のご主人から「昭和30年頃は熊を狩猟していた」という話を聞いたことがあったのですが、西中国山地に熊を狩猟する文化があったのだと改めて感じることができました。 一方、古くから十方山山麓に住んでこられた方のイワナ(ゴギ)に関する話は驚きでした。しかし、これは西中国山地におけるイワナ(ゴギ)の生息環境と人間活動の関係について考察する上で、これまであまり語られていなかったであろう事柄についての示唆を含む、とても貴重な証言であるように感じました。 日曜日はmoriさんryusuke君の親子と十方山の某谷で渓流釣り。3人で25匹前後の釣果でした。moriさん親子は2回目の渓流釣りだったので正直こんなに釣れるとは思っていなかったのですが、雨後で魚の活性が高かったのと、ryusuke君のキャスティングがかなり上達していたため望外の好釣果となりました。 下山後は土曜日、日曜日ともにクヴェーレ吉和の温泉に入浴。スキーシーズンもよく利用している温泉なのでスタッフから「一年中よく来る奴だな」と思われてそうです(笑)