活動データ
タイム
11:45
距離
23.3km
のぼり
2181m
くだり
2176m
活動詳細
すべて見る近くて遠かった皇海山遠征をやっと試みる。関東周辺の深田百名山は殆ど訪れているが、ここはまだ。いつかいつかと、そして庚申草もついでにと欲張っていると時期を失う。梅雨という時期にも当たる。 だが、何よりも私を怯えさせたのは、田中陽希の百名山一筆書きで、六林班峠付近の藪漕ぎを見てしまい、ここ数年尻込みし続けた。田中の活動が放映されてから、地元の方が笹の刈り込みを行ったようだ。 皇海山登山の先駆者である木暮理太郎が大正八年に、そして深田久弥が昭和三十五年に登頂した際、いずれも鋸山から六林班峠を通っているが、尾根上をキープしながら場所によっては二メートルを超す笹を死に物狂いで漕いだに違いない。深田が庚申山荘に着いた時は、23時であったと記されている。 庚申山を過ぎた辺りで、左手に鋸山を従え、独立峰として両側の裾まで見せてそびえる皇海山を初めて目の当たりにして、近寄ってみたくなった。関東平野からでは、冬の天気の良い日に頭しか見えない。赤城山や武尊山からもその頂上付近は見えたが、日光白根山へと続く稜線まで綺麗に姿を見せたのは初めてであった。 深田に同行した日高信六郎は、庚申山付近から見た皇海山を見て「脱帽ものだね」と呟いた。一行は帽を取って一揖したと、深田は記している。 またしても皇海山登頂は叶わなかったが、次回本ルートから攻めるのであれば、庚申山荘に前泊し万全を期したい。
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