活動データ
タイム
03:18
距離
7.5km
のぼり
502m
くだり
487m
活動詳細
すべて見る・週末が山梨100リベンジだったが、関東地方は前日に梅雨入りしたみたい。よって高尾山にいこうとなった。でもいつものトレーニングとは違う。なぜなら、 ・文蔵は高尾山薬王院で杉苗奉納をしようと決めたからだ。せっかくなので1号路を登り、その案内を紀行文として作成すべきだろう。そもそも東京都民は何度、高尾山にやってるのかしらん。中にはハイキングがメインで、薬王院に立ち寄らないかもしれない。(稲荷山コースを登り、吊橋の4号路を経由して下山する若人がいるのだ) ・文蔵は薬王院の御護摩受付所で、ハイキングに感謝しつつ杉苗1000本の奉納手続きをした。そして15:30の護摩修行に1時間余りあるので頂上往復をすませた。しかし、この日は6/7日曜日の1割以下だった。(全店舗が営業したこともあり、大勢のハイカー(200~300人)でにぎわっていた) ・そしてなんと本堂の護摩修行に信徒参列したのは文蔵ひとりだった。奉納された木札は7人分であり、読経する導師・修行僧は7,8人であった。法螺と大太鼓とスズが絶妙な響きで鳴り渡り、声高らかに厳格な修行が執り行われた。まず、御宝号の「南無飯縄大権現(なむいづなだいごんげん)」を7回唱和することから始まる。そして、背筋を伸ばし合掌した姿勢で、諸願成就(身体堅固)のために一心祈願をするのだ。単独の信徒にのる重圧は底知れないものである。この日は薬師様御縁日であり、後述の薬王院の起源も読み上げられた。 ・文蔵が勝手な解釈をするのでなく、ここは薬王院webから次を引用する。 「高尾山の御護摩修行は、御本尊飯縄大権現の「身・言葉・心」の神秘的な働き(三密)を、われわれの「身・言葉・心」と一致させ、人間の煩悩を表わす薪に大導師が点火して、そこに生ずる智慧の浄火で、あらゆる煩悩を焼き清めるためにおこなわれます。そして、御信徒皆様の清浄なる祈りが善願となって火焔に託され、御本尊に届けられることによって、諸願が成就するという修行であります。すなわち御本尊飯縄大権現の智慧によって、煩悩(苦の源)を焼き尽くし、円満な悟りを体現することを目的にしているのです」 ■さらにwebから「高尾山薬王院について」 正式名称「高尾山薬王院有喜寺」は今から1260余年前の天平16年(744)に、聖武天皇の勅令により東国鎮守の祈願寺として、高僧行基菩薩により開山されました。薬王院の名は創建当初、薬師如来をご本尊とした事に由来します。現在は真言宗智山派の大本山として「成田山新勝寺」「川崎大師平間寺」「高尾山薬王院」が三大本山として知られております。 南北朝時代の永和年間(1375)には京都醍醐山より俊源大徳が入山し八千枚の護摩供養秘法の後、今のご本尊「飯縄大権現(いづなだいごんげん)」を奉祀し中興されました。戦国期、飯縄大権現は戦国武将の守護神として崇敬され、上杉謙信や武田信玄の兜表にも奉られ、また北条家の手厚い保護も受け江戸期に入ると徳川家(特に紀州家)との仏縁により隆盛をむかえます。 古来、高尾山は修験道のお山といわれております。修験道を修める人のことを山に臥し野に臥しながら修行することから「山伏」と呼ぶようになりました。高尾山には、今もなお「琵琶滝」と「蛇滝」の二つの滝を擁し、滝修業の道場として、一般の方にも門戸を開いております。 ・さいごに、文蔵は今後10年はこの杉苗奉納を続けようと確信した。自然に感謝して登山を楽しむ、わが身の健康と脚力に自信をもつわけで、それこそが「健康登山の証」なのであろう。チャンチャン!
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