矢田街道の地蔵丁石群、など。

2020.06.06(土) 日帰り

活動データ

タイム

07:14

距離

14.6km

のぼり

461m

くだり

461m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
7 時間 14
休憩時間
1 時間 1
距離
14.6 km
のぼり / くだり
461 / 461 m
1
25
4 21

活動詳細

すべて見る

本日のトピックス。 ・以前から目を付けていた外川橋西詰の地蔵が地蔵丁石(地蔵道標)だと判明した。 ・矢田寺大門坊角の道標の裏面に文字があることがわかり、なんとか読み取れた。 ・暗越街道追分本陣にある小さい道標の全面の文字が読み取れた。 ・4月に見つけた(矢田町)東村集落北の道標が、近くで立て直されていた。 おもしろい道(?)がいくつかあったのでそれらはまたの機会に。

矢田丘陵・法隆寺 富雄川外川橋(大和郡山市外川町)からスタート。 ここから矢田街道の地蔵丁石および地蔵道標を巡って行く。矢田街道は県内でも非常に珍しい地蔵丁石の置かれた道だったようだ。
富雄川外川橋(大和郡山市外川町)からスタート。 ここから矢田街道の地蔵丁石および地蔵道標を巡って行く。矢田街道は県内でも非常に珍しい地蔵丁石の置かれた道だったようだ。
矢田丘陵・法隆寺 外川橋西詰には祠があって、お地蔵さまがたくさん集められている。
外川橋西詰には祠があって、お地蔵さまがたくさん集められている。
矢田丘陵・法隆寺 その中のひとつ。真ん中の大きなお地蔵さま。道標かもしれないとずっと前から目を付けていた。何度も撮影したが今まで文字が読めなかった。
その中のひとつ。真ん中の大きなお地蔵さま。道標かもしれないとずっと前から目を付けていた。何度も撮影したが今まで文字が読めなかった。
矢田丘陵・法隆寺 この度、前のお地蔵さまたちに少し移動して頂いて(-人-)、「是ヨリやたさん江十七丁 ○○○西之坊」(地蔵右側) の文字を確認。やはり道標だった。
この度、前のお地蔵さまたちに少し移動して頂いて(-人-)、「是ヨリやたさん江十七丁 ○○○西之坊」(地蔵右側) の文字を確認。やはり道標だった。
矢田丘陵・法隆寺 そこから少し西にある発志院の墓地前にあるお地蔵さま。これも目を付けていたものだが、道標ではなかった。
そこから少し西にある発志院の墓地前にあるお地蔵さま。これも目を付けていたものだが、道標ではなかった。
矢田丘陵・法隆寺 次は、すこし進んで矢田東山バス停近くの弘等地蔵尊(写真中央)。となりにコンビニが出来てずいぶん様変わりしている。
次は、すこし進んで矢田東山バス停近くの弘等地蔵尊(写真中央)。となりにコンビニが出来てずいぶん様変わりしている。
矢田丘陵・法隆寺 ここにもお地蔵さまが集められているが、このうちの2体(後列の2、4番目)が地蔵丁石だ。
ここにもお地蔵さまが集められているが、このうちの2体(後列の2、4番目)が地蔵丁石だ。
矢田丘陵・法隆寺 「十二丁」
「十二丁」
矢田丘陵・法隆寺 「十四丁」
「十四丁」
矢田丘陵・法隆寺 その先の茂みの中に石柱を見つけたが、文字はなさそう。主人神社の敷地っぽいのでそれに関係したものかも?
その先の茂みの中に石柱を見つけたが、文字はなさそう。主人神社の敷地っぽいのでそれに関係したものかも?
矢田丘陵・法隆寺 石柱の場所。
石柱の場所。
矢田丘陵・法隆寺 主人神社の入口を過ぎたすぐ先に、地蔵丁石 「十丁」 がある。
主人神社の入口を過ぎたすぐ先に、地蔵丁石 「十丁」 がある。
矢田丘陵・法隆寺 歩道は反対側だし小さく目立たないのでこの地蔵丁石に気付く人は少ないだろう。撮影するときは車に注意。
歩道は反対側だし小さく目立たないのでこの地蔵丁石に気付く人は少ないだろう。撮影するときは車に注意。
矢田丘陵・法隆寺 少し進んだ横山口交差点の100mほど手前には 「左 やたさん 八丁 大阪ミち」 の地蔵道標(左端)がある。
少し進んだ横山口交差点の100mほど手前には 「左 やたさん 八丁 大阪ミち」 の地蔵道標(左端)がある。
矢田丘陵・法隆寺 横山口交差点には2つの道標が立っている。サイズは、幅奥行きも似たような感じだが。
横山口交差点には2つの道標が立っている。サイズは、幅奥行きも似たような感じだが。
矢田丘陵・法隆寺 この2つの道標、私はこのように思っているのだけど…、やはり右の道標が若干大きそうなので、不確定。サイズをしっかり測らないと。
この2つの道標、私はこのように思っているのだけど…、やはり右の道標が若干大きそうなので、不確定。サイズをしっかり測らないと。
矢田丘陵・法隆寺 グループホームやたさん元気村手前の旧道分岐に転がっている道標。「右 矢田山 四丁 河野氏 桶音?」
グループホームやたさん元気村手前の旧道分岐に転がっている道標。「右 矢田山 四丁 河野氏 桶音?」
矢田丘陵・法隆寺 矢田寺バス停の手前には…、
矢田寺バス停の手前には…、
矢田丘陵・法隆寺 この道筋で初めて登場する板碑型の丁石 「三丁」 。
この道筋で初めて登場する板碑型の丁石 「三丁」 。
矢田丘陵・法隆寺 矢田寺山門。ついに閉まった。
矢田寺山門。ついに閉まった。
矢田丘陵・法隆寺 山門の脇には…、
山門の脇には…、
矢田丘陵・法隆寺 最後の丁石 「壱丁」 。
最後の丁石 「壱丁」 。
矢田丘陵・法隆寺 閑散としている矢田寺境内。写真右の味噌なめ地蔵の並びに、地蔵道標が3体ある。
閑散としている矢田寺境内。写真右の味噌なめ地蔵の並びに、地蔵道標が3体ある。
矢田丘陵・法隆寺 「右 本う里うじ 左 や多さん 八丁」
「右 本う里うじ 左 や多さん 八丁」
矢田丘陵・法隆寺 「左 矢田道」 お地蔵さまが左を指差している。
「左 矢田道」 お地蔵さまが左を指差している。
矢田丘陵・法隆寺 そして先日わかった 「やたさん? 六丁」。 今回紹介した矢田街道(一部他からのものも含まれていると思う)にある道標や丁石はバラエティーに富んでいる。この道が古くから多くの人々に利用されてきた証だと思う。
そして先日わかった 「やたさん? 六丁」。 今回紹介した矢田街道(一部他からのものも含まれていると思う)にある道標や丁石はバラエティーに富んでいる。この道が古くから多くの人々に利用されてきた証だと思う。
矢田丘陵・法隆寺 さて次は、矢田寺の大門坊の角に立つ2つの道標だが…、
さて次は、矢田寺の大門坊の角に立つ2つの道標だが…、
矢田丘陵・法隆寺 今回、右側の大きいほうの裏側に文字があることがわかり、苦労したけどなんとか文字が読み取れた。
今回、右側の大きいほうの裏側に文字があることがわかり、苦労したけどなんとか文字が読み取れた。
矢田丘陵・法隆寺 無理やりカメラを突っ込んで50枚ほど撮影。 「(梵字・キャ) 奉供養西國卅三所爲現當二世安樂? 天保十四癸卯年九月吉祥辰日?」 と刻まれていた。 正面には 「右 郡山停車場 三十丁 左 富雄停留所 四十五丁」 とあり、富雄駅開業が1914年(大正3年)なので、この道標はそれ以降のものと考えていたが、どうも空いていた裏側を利用してあとから道標にしたものかもしれない。表面が裏側(壁際)にまわっているのも不自然だし。
無理やりカメラを突っ込んで50枚ほど撮影。 「(梵字・キャ) 奉供養西國卅三所爲現當二世安樂? 天保十四癸卯年九月吉祥辰日?」 と刻まれていた。 正面には 「右 郡山停車場 三十丁 左 富雄停留所 四十五丁」 とあり、富雄駅開業が1914年(大正3年)なので、この道標はそれ以降のものと考えていたが、どうも空いていた裏側を利用してあとから道標にしたものかもしれない。表面が裏側(壁際)にまわっているのも不自然だし。
矢田丘陵・法隆寺 さて、暗越奈良街道(大坂街道)まで足をのばす。 矢田山遊びの森の北入口に立つこの道標を撮っていると…、
さて、暗越奈良街道(大坂街道)まで足をのばす。 矢田山遊びの森の北入口に立つこの道標を撮っていると…、
矢田丘陵・法隆寺 すぐ足元にマムシが! …叫んじまった。 …が、よく見ると死んでいた。…助かった。。 先ほどは小さい蜘蛛に首を噛まれて叫んだし。しかも首を噛んだ後ヤツはシャツの中に逃げ込みやがったのでたまらず森の中で裸になった。噛まれた所は今も痛い。
すぐ足元にマムシが! …叫んじまった。 …が、よく見ると死んでいた。…助かった。。 先ほどは小さい蜘蛛に首を噛まれて叫んだし。しかも首を噛んだ後ヤツはシャツの中に逃げ込みやがったのでたまらず森の中で裸になった。噛まれた所は今も痛い。
矢田丘陵・法隆寺 さて暗越街道を奈良方向へ進み、追分本陣へ。 村井家前の2つの道標と向かいの笠付き道標は有名だが、この左端のやつも2018年に道標だと気付いた。
さて暗越街道を奈良方向へ進み、追分本陣へ。 村井家前の2つの道標と向かいの笠付き道標は有名だが、この左端のやつも2018年に道標だと気付いた。
矢田丘陵・法隆寺 左のこれだ。
左のこれだ。
矢田丘陵・法隆寺 このたび全面の文字を読み取ることができた。 「左 榁木大師道」
このたび全面の文字を読み取ることができた。 「左 榁木大師道」
矢田丘陵・法隆寺 この面には 「大正五年十二月建之 施主奈良石…」 と刻まれている。
この面には 「大正五年十二月建之 施主奈良石…」 と刻まれている。
矢田丘陵・法隆寺 反対側には文字は無し。
反対側には文字は無し。
矢田丘陵・法隆寺 石垣に接する面にも文字はないようだ。 (得意の?)触診でも確かめる。
石垣に接する面にも文字はないようだ。 (得意の?)触診でも確かめる。
矢田丘陵・法隆寺 そしてラストはこれ。今年4月に見つけた擁壁の下の草むらに隠れていた 「矢田山指差し道標」 が、なんと見事に立っていた(立てられていた)。
そしてラストはこれ。今年4月に見つけた擁壁の下の草むらに隠れていた 「矢田山指差し道標」 が、なんと見事に立っていた(立てられていた)。
矢田丘陵・法隆寺 先月まではこの擁壁の下にあった。
先月まではこの擁壁の下にあった。
矢田丘陵・法隆寺 しかしちょっと予想外の向きで立てられていた。
しかしちょっと予想外の向きで立てられていた。
矢田丘陵・法隆寺 私は、現在の中町方面からやって来た矢田寺の参拝客は、左から来て手前へ曲がって行ったと考えているのだけど、現状だと矢田寺から来た人をまた矢田寺へ案内することになる。現在はハイキング道でもない西方向の畦道(旧参詣道)を案内するわけにもいかず、やむを得なかったのかも? または私の考えが間違っているだけかもしれないが。
私は、現在の中町方面からやって来た矢田寺の参拝客は、左から来て手前へ曲がって行ったと考えているのだけど、現状だと矢田寺から来た人をまた矢田寺へ案内することになる。現在はハイキング道でもない西方向の畦道(旧参詣道)を案内するわけにもいかず、やむを得なかったのかも? または私の考えが間違っているだけかもしれないが。
矢田丘陵・法隆寺 中町方面から矢田寺へ行くにも、こちらからは道標の文字は見えない。 …などと文句ばかり言っているが、復活させてもらっただけでも道標好きとしてはほんとうれしいな。(-人-) では!
中町方面から矢田寺へ行くにも、こちらからは道標の文字は見えない。 …などと文句ばかり言っているが、復活させてもらっただけでも道標好きとしてはほんとうれしいな。(-人-) では!

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