活動データ
タイム
02:15
距離
3.8km
のぼり
148m
くだり
147m
チェックポイント
活動詳細
すべて見る聖徳太子の死後、豪族蘇我蝦夷(えみし)が天皇を上回る権力を持ち、そんな蘇我氏を心よく思わなかった、中大兄王子や藤原鎌足らが談山神社(山)で謀議を重ね、蘇我入鹿を殺害します。父である蝦夷は甘樫丘に立つ館を焼き、自害したと言われています。此れは600年代に中国から学んだ若者達、僧侶などがおこした、天皇中心の政治改革だと思います。ただこれは日本書記に書かれたもので、現実は定かではないようです。また最近では、大化改新は乙巳(いっし)の変と変更しています(政変があった年号)。此の他には麓には、日本最古の飛鳥寺(日本で初めて屋根瓦が葺かれた寺)など古代を彷彿する遺跡が数多くあります。
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