活動データ
タイム
00:02
距離
0m
のぼり
0m
くだり
0m
活動詳細
すべて見る昔有った、加茂からの大仏鉄道遺構の散策をした。 その私鉄の名は、関西鉄道(かんせいてつどう)、愛称は大仏鉄道である。明治31年(1898)4月開設し、英国製の真っ赤な蒸気機関車が加茂から奈良の町中を大仏駅まで8.8kmを走っていた。しかしながら僅か9年、明治41年に大仏鉄道は廃止された。この会社創設者白石直次氏のもとで働いた、島安次郎氏の御子息、島秀雄氏らが新幹線を造る縁となるとはね−。日本の鉄道技術の発展に、大仏がかかわる縁は不思議の国の奈良と京都。 これは、明治時代のいまだ日本にレールを造る会社がなかった時代に、加茂から奈良市までの鉄道が運用されていた軌道だ。年代的には、私の祖母の幼い頃の時代だ。 鉄道が開設されると、名古屋方面からの大仏観光客で賑わったと言う。 しかし奈良坂や黒髪山超えの急勾配25パ−ミル(25/1000)は、当時の小型蒸気機関車には過酷で、乗客が押した事もあったとか、こんなことで、明治40 年8月になると木津廻り奈良駅線が開設された。この平坦な場所を走る、木津径由で奈良駅に繋がる鉄道がとって変わることになり、その11月には廃線された。 今回のハイクは、高田寺から陸橋遺構へいくことにした。 歩いてみると、遺構はいまのJR関西本線と平行して走る、しっかりした遺構がいまだに健在であることがわかった。
メンバー
もしも不適切なコンテンツをお見かけした場合はお知らせください。