足立区8番「金の湯」&東京散歩(荒川区荒川界隈)

2020.05.08(金) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
5 時間 57
休憩時間
2 時間 37
距離
13.8 km
のぼり / くだり
15 / 16 m
5 57

活動詳細

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リモート会議後 昨日は北千住から南に行ったので今日は西に向かってみた。 金曜なのでゴールは北千住に決めた。 毎週可能な限り金曜は北千住にある馴染みの酒場に顔を出す決まりなのだ(;^ω^) スタートは南千住 ここから適当に西へ進み風呂に入り居酒屋へ・・・ 南千住駅から隅田川を目指すと日光街道にぶつかる この道も江戸から続く旧日光街道 突き当りには素盞雄神社・・・その鳥居に几号水準点(不)を見つけた(*^^*) これ見つけると結構嬉しい 明治9年内務省が地図を作成するにあたって基準としてあちこちの不朽物(神社・仏閣・石碑などの永久的に無くならないであろう物)に基準点として(不)のマークを刻んだイギリス式の測量方法 それが明治17年に陸軍の陸地測量部がドイツ式の今の水準点方式を採用して 内務省の几号水準点は不要になってしまった。 当時は内務省が管轄していた地図造り几号水準点(不)が神社仏閣などに多いのもうなずける 更に西へ西へと歩いたことの無いであろう道を探しながら進む・・・ が、こういう歩き方をしていると、結局、依然歩いたことのある道を進んでしまう 道が呼ぶのか?好みで選ぶのか? たぶん、どちらも正解なのだ、昔からある道は、結局歩きやすいのだ 荒川遊園地に着いたが、当然閉園 荒川遊園地の周りには古い煉瓦塀があり、久しぶりに見たくなった。 荒川遊園地の前身は荒川遊園 もともと隅田川の流域には材料の土が手に入りやすいのと、舟運を利用して 煉瓦工場が多く建てられた。 荒川遊園も煉瓦工場の跡地に市民の精神の慰安と身体の健康増進の為に 1992(大正11)年に出来た民間の遊園地 戦争中は閉園していたが1949(昭和24)年に荒川区が再建して 荒川区立の遊園地として再スタートした経緯がある その時、敷地が小さくなり当時の煉瓦塀が住宅の境界線や盛土の土留めなどとして 現在も残っているのである 当時の遊園の敷地(煉瓦塀)沿いに歩いてみる 大正時代の古い煉瓦塀の中は真新しい住宅 なんともミスマッチな感じ(;^ω^) 隅田川沿いを、そろそろ北千住に向かう 小台橋を渡り荒川と隅田川接する土手を北千住を目指す。 土手には猫がたくさんいる さっきまでの青空が夕空に変わってきた。 日暮れの時間帯は大好きだ。。 何だろう? 好きなのだが、黄昏て行く空を見ていると物悲しく 人恋しくなる・・・ さあ、風呂に入って酒場へ行くか! あそこに行けば誰かしらいるだろう ・・・ そうか! 寂しいから酒場に行くんだ! ただ単に酒が呑みたいだけじゃないんだろうなぁ(;^ω^)

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