「主の山の上には備えがある」-2020-04-27

2020.04.27(月) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
0
休憩時間
0
距離
0 m
のぼり / くだり
0 / 0 m

活動詳細

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山も自粛ムードで、登りたくても我慢したり、コソッと登ったり、堂々と登ったり、色々な方々がいらっしゃると思います。(※僕はどれも否定いたしません。各々の考え方があるかと存じますので) そんな中YAMAPでも山以外の日記を上げている方もチラホラ伺えたので、僕も本業の話をします。 ズバリ、聖書の話です🤗 ★聖書のみことば "そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名付けた。今日でも「主の山の上には備えがある」と言い伝えられている。" 創世記 22章14節 これは旧約聖書の一説、アブラハムと神様とのやり取りについて記述されてる箇所です。 説明すると… アブラハムにはイサクという息子がいました。アブラハムは「神の友」と呼ばれる程に神様を愛し、そして神様に愛されていました。 神様はアブラハムに驚くようなご命令をされました。それは、愛するひとり子であるイサクをいけにえとして捧げなさい。という命令でした。 しかし、愛なる神様はこれを本気で欲したのではなく、アブラハムがどれ程神様に対し忠実かを試すためのご命令でした。 アブラハムは神様のご命令通り、イサクをいけにえとして捧げようとした寸前で、神様はストップをかけました。 そこで代わりに、神様はアブラハムのために一頭の雄羊を山の上に備えたので、アブラハムはその雄羊を神様に捧げました。 なので「主の山の上には備えがある。」なのです。 ○この箇所は、神様とアブラハムの深い深い信頼関係について教えてくださっている箇所でもあります。 今世間は新型コロナの脅威に脅かされており、明日は我が身…と戦々恐々とされている方もいらっしゃるかと思います。神様は、この出来事を通して神ご自身のご存在を現してくださっています。 この出来事を通して、 ・人は無力であること、全知全能の神様にしか解決がないと悟り、神様を信じて神様に解決を祈り求めるか。 ・この状況を神様のせいにして神様を呪うのか。 ・無関心か。 こんな時期だからこそ自分の存在意義とか、生きてる目的とかを真剣に考える時間として、神様が私たちに用意されたのかもしれません。 私たちを今まで養い、衣食住すべてを与えてくださり、この世で生きることを良しとしてくださった神様が、今一人ひとりに求めておられることは何なのか。 その事を一人でも多くの人が考えていただくために、今のこの状況で僕が発信できる事かと思い、この日記を書きました。 では、すべての解決にいたる私たちに神様が用意された救いの方法とは? →その事については次回日記にあげます!乞うご期待!! p.s. この前金スマでYOSHIKIさんが「神は耐えられないほどの試練を人間に与えない。」という聖書のみことばを語り、自分もそれを信じて生きてきたと仰っていました。 彼自身クリスチャンなのかは僕はわかりませんが、彼が聖書を読んで、この一節を励みにして生きていることは確かである事、そして聖書には人をポジティブにする力があるんだなと再認識できました。 でもネットでのコメントではこれに対し賛否両論で、あからさまに神様を呪うような言葉を吐いていた方もいらっしゃいました😞もちろん、「励まされた」とか「金言をありがとう」といったコメントもありましたけど😊 長文失礼いたしました。ここまで読んでくださった方々、心から感謝申し上げます。 今いろんな状況の中にいる山好きの方々の、心と身体と、すべての営みが神様に守られ支えられますように😌 主にあって 043

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