倶利伽羅山 4月4日・加賀の里山逍遥、倶利伽羅の砺波山・矢立山・源氏ヶ峰を歩いたぞ。

2020.04.04(土) 日帰り

活動データ

タイム

02:55

距離

4.7km

のぼり

223m

くだり

224m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
2 時間 55
休憩時間
40
距離
4.7 km
のぼり / くだり
223 / 224 m
3
25
24
13
7

活動詳細

すべて見る

倶利伽羅の北国街道周辺に「城ヶ峰」「砺波山」「矢立山」「源氏ヶ峰」の四つが山として認定されている。所が私が「倶利伽羅山」としている五社権現の三角点は、最高地点ピークでありながら、山マークが付かない。今日は砺波山・矢立山・源氏ヶ峰の登頂認定に歩きに来たぞ。

小矢部市 倶利伽羅峠の一番高い所の駐車場に車を置く。トイレがある。少し降りて不動寺へ上る。石仏を納めた堂があり、上に「和光塔」。
倶利伽羅峠の一番高い所の駐車場に車を置く。トイレがある。少し降りて不動寺へ上る。石仏を納めた堂があり、上に「和光塔」。
小矢部市 不動寺にお参りして、和光塔の横から「五社権現」に上る。
不動寺にお参りして、和光塔の横から「五社権現」に上る。
小矢部市 五社権現のある「倶利伽羅山」頂上。倶利伽羅の最高地点で、三角点もある。
五社権現のある「倶利伽羅山」頂上。倶利伽羅の最高地点で、三角点もある。
小矢部市 三角点は「2等」、点名は「倶利伽羅」、標高は「276,73㍍」。
三角点は「2等」、点名は「倶利伽羅」、標高は「276,73㍍」。
小矢部市 直接車を置いた駐車場に降りて、「砺波山」へ向かう。北国街道の雰囲気がある。
直接車を置いた駐車場に降りて、「砺波山」へ向かう。北国街道の雰囲気がある。
小矢部市 「猿ヶ馬場古戦場」の跡を通り抜ける。
「猿ヶ馬場古戦場」の跡を通り抜ける。
小矢部市 車道より「砂坂」を降り始める。この道は旧北国街道である。道の横に「砺波山」の標識がある。
車道より「砂坂」を降り始める。この道は旧北国街道である。道の横に「砺波山」の標識がある。
小矢部市 7年前に仲間と藪を漕いて頂上まで登った事がある。何も無かった。今日は一人だから老人は登らず。100㍍以内だから登頂認定だな。
7年前に仲間と藪を漕いて頂上まで登った事がある。何も無かった。今日は一人だから老人は登らず。100㍍以内だから登頂認定だな。
小矢部市 砂坂を下がって来たら、昔の水場があった。水を忘れてきたので、水を飲もうと前に回ったら、この水は飲めませんと立札。アチャー。
砂坂を下がって来たら、昔の水場があった。水を忘れてきたので、水を飲もうと前に回ったら、この水は飲めませんと立札。アチャー。
小矢部市 「砂坂」を降りたら「矢立山」が見えて来たぞ。
「砂坂」を降りたら「矢立山」が見えて来たぞ。
小矢部市 車道より分岐を北国街道の方に入る。源平合戦の始り「矢合せ」の折、平家軍の矢が刺さったから「矢立山」となった、と書いてある。「矢立堂」跡まで行って見る。7年前にこの辺りから仲間と頂上三角点まで藪漕ぎした。
車道より分岐を北国街道の方に入る。源平合戦の始り「矢合せ」の折、平家軍の矢が刺さったから「矢立山」となった、と書いてある。「矢立堂」跡まで行って見る。7年前にこの辺りから仲間と頂上三角点まで藪漕ぎした。
小矢部市 山に入る登山道を探したが見つからず、分岐まで戻って今度は、車道から登る登山道が無いか探すが見つからず。単独老人は登頂断念。100㍍以内通過で登頂認定だな。
山に入る登山道を探したが見つからず、分岐まで戻って今度は、車道から登る登山道が無いか探すが見つからず。単独老人は登頂断念。100㍍以内通過で登頂認定だな。
小矢部市 車道を戻って「一里塚」跡通過。「砂坂」に戻らず車道を登る。
車道を戻って「一里塚」跡通過。「砂坂」に戻らず車道を登る。
小矢部市 車道横に「源氏ヶ峰・この階段をのぼる」と看板あり。
車道横に「源氏ヶ峰・この階段をのぼる」と看板あり。
小矢部市 階段を登った所の、展望櫓は、危険・登らないで下さい、だ。
階段を登った所の、展望櫓は、危険・登らないで下さい、だ。
小矢部市 尾根を200㍍ほど進むと、「源氏ヶ峰」の石碑の建つ頂上に出た。
尾根を200㍍ほど進むと、「源氏ヶ峰」の石碑の建つ頂上に出た。
小矢部市 尾根が続いているので行ってみる。
尾根が続いているので行ってみる。
小矢部市 小矢部の方だなー。座り込んで昼食。
小矢部の方だなー。座り込んで昼食。
小矢部市 「源氏ヶ峰」より降りて、車道を歩き戻り出す。「地獄谷」が見下ろせる。この山頂に陣取った平家軍を、義仲軍が火牛と共に夜討ちを掛け、この深き谷が平家軍で埋まった、とか。これは奥の細道芭蕉の句碑。
「源氏ヶ峰」より降りて、車道を歩き戻り出す。「地獄谷」が見下ろせる。この山頂に陣取った平家軍を、義仲軍が火牛と共に夜討ちを掛け、この深き谷が平家軍で埋まった、とか。これは奥の細道芭蕉の句碑。
小矢部市 奥の細道「あかあかと 日はつれなくも 秋の風」は、この辺りで詠まれた。火牛まで戻って来たぞ。
奥の細道「あかあかと 日はつれなくも 秋の風」は、この辺りで詠まれた。火牛まで戻って来たぞ。
小矢部市 駐車場に到着。向かいが「倶利伽羅山」である。
駐車場に到着。向かいが「倶利伽羅山」である。
小矢部市 歩いて来た車道を車で降り、「巴塚・葵塚」を訪ねる。
歩いて来た車道を車で降り、「巴塚・葵塚」を訪ねる。
小矢部市 「巴御前」、義仲に伴い砺波山の戦いの部将となり、晩年は尼となりこの地に戻り、91歳で亡くなった。
「巴御前」、義仲に伴い砺波山の戦いの部将となり、晩年は尼となりこの地に戻り、91歳で亡くなった。
小矢部市 「葵御前」、寿永2年5月、砺波山の戦いで戦死。ここに葬る。2人を祀る「巴葵寺」があったらしいな。登った山が3つ増えた、新型コロナウィルスより避難の徘徊でした。
「葵御前」、寿永2年5月、砺波山の戦いで戦死。ここに葬る。2人を祀る「巴葵寺」があったらしいな。登った山が3つ増えた、新型コロナウィルスより避難の徘徊でした。

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