活動データ
タイム
04:53
距離
9.8km
のぼり
755m
くだり
794m
活動詳細
すべて見る未明の午前四時台に、山手線某駅に到着した。完全なる晴れ予報の土曜日で、数日前から目的地を思案していたが、気分を変えて、群馬県まで遠出しようと思い立ち、吾妻郡東吾妻町の、駅から登山ができる岩櫃山に登ることにした。 岩櫃山は二回目の訪問であり、記録を確認してみると、初めて訪れたのは二年前の、ちょうど今頃の日付だった。同じ季節にふたたび訪れるというのも芸が無いような気もするが、思い立ってしまったので止むを得ない。 山手線電車は乗客を満載して到着した。新型コロナウイルス蔓延の渦中では、最も立ち入ってはいけないような状態である車内の様相だが、これに乗らないと、朝の八時台に吾妻線の郷原駅に降り立つことができない。忍従の心境で、装着したマスクを手で押さえながら乗車した。 赤羽駅で高崎行きの電車に乗り換えて、ようやく安堵する。一時間半も揺られていく長丁場だが、すっかり眠り込んで、次に気付くと倉賀野駅を発車するところだった。次は終点の高崎である。なんだかとても効率のよい移動をしている気分である。 谷川岳に向かうと思しき登山者の群れが、上越線のホームに急ぐのを見送りつつ、のんびり歩いていく。高崎駅での二十分という接続待ち時間が絶妙で、開店したばかりの立ち食い蕎麦に立ち寄る。 吾妻線直通、長野原草津口行きの電車内は閑散としていて、観光客の姿は見受けられない。車窓に赤城山が間近に迫ってくるのを見て、遠くに来たなという感慨が湧いてきた。 渋川で吾妻線に入り、予定通りの午前八時半、郷原駅に到着した。無人駅のホームに立つと、快晴の朝だが風は冷たく、暖かい電車の中に慣れきっていた身体が強張る。閉塞感に包まれた東京から、ようやく開放されたような気分であった。 勝手知ったるという気分で踏切を渡り、郷原の集落を西に歩いていくと三辻の酒屋跡があり、それを右折して緩やかな坂道を登っていく。古谷登山口の駐車場は、既にハイカーの車で埋まっていた。 静まり返った集落を過ぎて農道に入り、二年ぶりの再訪である岩櫃山の全貌を眺めることのできる、密岩神社に到着した。城砦の岩峰を見上げて、大月の岩殿山に登れなかった溜飲が、ようやく下がるのだなと思うと嬉しくなる。 農道迂回から戻り、赤岩通り登山口に向かう。自家用車でやってきたハイカーたちは、殆どが密岩通りに向かって去って行った。潜龍院跡に近づくと、樹林帯が開けて、岩櫃山の断崖が直ぐそこに迫って聳える。潜龍院跡で小休止し、靴の紐を締め直してから、赤岩通りの登山道に入った。 二年前はもうひとつの十二様通り(旧赤岩通り)から下山したので、初めてのコースである。赤岩通りは、整備された階段こそあるものの、巨岩のひしめく急勾配の登山道で、冗長さのない好ルートであった。巨岩の合間を縫うように踏路は続き、断崖の直下を歩いていく。 急勾配ゆえに、登山道はみるみるうちに高度を稼いでいく。最後は鎖の設置された砂礫混じりの崖で、ここまで全く人の気配の無い行程だったが、ここで若い男女のカップルが鎖を掴んで恐る恐る下ってくるのと遭遇した。 下部で待っていると、「石が落ちちゃうかも!」と、言いながら女の子が下ってきた。山慣れた感じの彼氏と、朗らかな彼女のふたりと声を掛け合って擦れ違う。砂礫の急斜面を鎖に頼らないようにして慎重に登り、十二様通りとの合流点に到達した。 昨年の台風で土砂崩れがあり、十二様通りは通行止めとなっており、規制線が張ってあった。朧気な記憶では、二年前は赤岩通りが不通で、十二様通りを下ったような気がするが、定かではない。規制線に入り、岩尾根の上に立ち寄ってみる。枯木越しに、岩櫃山の鋭利な岩峰が林立するのを見上げた。既に標高は700mに近い。 枯葉の深い山腹をトラバースして、岩櫃城本丸跡から続く尾根通りに合流すると、登山道は奇岩の林立する谷筋を横断していくようになった。天狗の蹴上げ岩の袂に着くと、下山してくるハイカーの声が、賑やかに聞こえてくる。 鎖や梯子が設置された岩礫の勾配を経て、八合目の道標の在る北東に延びる尾根に乗った。北面の眺望が開けて、心地好い風が通り抜けていく。岩尾根を東側にトラバースするようにして踏路があり、足元が随分細くなると、岩稜の上に来たのだなと実感させられる。尾根上に合流した処が、山頂域の標高790m圏峰だった。ここから、眼前に在る岩櫃山頂上の尖塔を概観することができる。 設えたように鋭利な尖塔が佇立する山頂の塊に、少なくない登山者が停滞し、鎖場の順番待ちをしている。大渋滞の山頂直下を確認し、唖然となる。快晴の土曜日に、好展望の山に来るとこんなことになってしまう。今更ながら後悔してしまうが、自分も同じ烏合の衆と目されても仕方が無い。嘆息しつつ頂上直下まで移動する。渋滞の要因は初心者、高齢者の混淆する大家族グループだった。観念して渋滞の途絶えるまで待つことにする。 ようやく順番が回ってきて、二本の鎖が垂れ下がる岩壁をこなし、テラス状の段に落ち着く。そこから梯子段を登ると頂点の展望台、岩櫃山の山頂である。榛名、妙義、時計回りに見回して、浅間山、草津白根山、谷川岳、上州武尊山の銀嶺、そして赤城山の向こうは日光連山。 360度の大パノラマは見事なのだが、どうしたことか羽虫が大量に舞っていて、とてもではないが長居できない状況の山頂であった。 頂上から降りようと思うが、先ほどの大渋滞家族が、今度は下山の奮闘中で、他の単独行者たちと見守りながら待つ。年配の女性がザイルで確保されつつ下降しようとするが、なかなか覚束ないので、見ている方も固唾を呑んでしまうほどだった。ロープワークの出来る熟達者が居るので、無謀なパーティではないのだろうが、何もそこまでして…というのが正直な感想である。(渋滞家族を下部で待っている男性が、降りてくる人のために後ずさりしてバランスを崩し、あわや転落か、という瞬間を目撃して、思わず声を上げた。岩櫃山の頂上域は断崖絶壁で、人が多い時は要注意だなと再認識した) 待っている間に、やや年配の単独行女性と山座同定をして談笑した。鎖場を登るのを見て、かなりの手練れとお見受けしたが、主戦場は赤城山という地元の方であった。齢を重ね、かくありたい。そんな風に思わせる精悍な風貌の人だった。 山頂直下の分岐点から密岩通り方面に別れ、途端に人の気配が無くなった。頂上尖塔の南面を捲く途上からの眺めは秀逸で、余りの高度感に頭がくらくらする。山稜の西側ルートは、南北両面が切れ落ちる岩稜帯を、鎖に助けられながら通過していく。鷹ノ巣遺跡付近の天然洞門をくぐると、いよいよ天狗の架け橋が近い。 剥き出しの岩肌に、長大な鎖が設置された箇所を、天狗の架け橋と名付けられたナイフリッジの岩稜を下方に見ながら、慎重に下っていく。鎖場を終えて、なんだか見覚えのあるふたり組がやってきた。赤岩通りで擦れ違った、若い男女のカップルであった。また登ってきたのかと驚いて声を掛けると、ふたり揃って頷いた。 そんなカップルに見守られつつ、天狗の架け橋の端に近づいていった。この難所は、二年前に登りの途中で渡ったことがある。一度は経験済みとはいえ、やっぱり怖い。怖いけれど躊躇しているのも恰好が悪いなと、背後で見守るカップルを意識してしまう。意を決して、息を止めながら直立で一歩を踏み出し、無事に通過できた。 五歩も進めば渡れてしまう長さだが、東側の下部は奈落の底で、高度感が凄まじい。渡り終えた向こうから「おめでとうございまあす」と、女の子のほうが叫ぶから、仕方が無いので手を振って応える。背中には若干、冷や汗をかいている。 せっかく渡った天狗の架け橋だが、その先は崩落していて、登山道への合流は不可能な状況だった。愕然となって振り返る。沈思黙考は一瞬で、考えるまでも無いことであった。ふたたびナイフリッジを渡り、迂回路への尾根上に戻ってきた。まさかの天狗の架け橋を往復してくるという顛末で、全身が弛緩状態となり、岩に座り込んだ。 くだんのカップルは既に鎖場を登った処で、動画撮影に夢中になっていた。私の行状には気付いてない様子である。その代わりに、後続でやって来た単独行の中年男性が、放心したような感じで、こちらを見ている。 挨拶を交わし状況を説明すると、中年氏は天狗の架け橋を見て「どっちにしても、とてもじゃないが私は渡れないなあ」と言った。そうして、迂回路に向かう中年氏を見送り、私は弛緩したまま、紫煙を燻らせて休憩することにした。 ぼんやり座っていると、程無くして中年氏が戻ってきた。どうしたのかと訊くと、この先の鎖場と梯子段を見て、やはり怖いので山頂域に戻る、と言って去っていった。 小休止を終えて、改めて迂回路に歩を進める。密岩通りからやって来た夫婦が視界に入ったので、梯子の上で待ち、行き違う。挨拶を交わし、天狗の架け橋を往復した顛末を話すと、「通行止めは、こっちの登山口には書いてあったんだけどねえ」と、奥方が気の毒そうに私を見て、言った。 迂回路は天狗の架け橋を至近に見ながらのトラバースで、岩崖の縁はそれほど安定感は無い。慎重に通過して、梯子を伝って降りると、比較的穏やかな踏路が続き、程無くして道標の立っている鞍部に到着した。紆余曲折はあれど、ここまでの所要時間はたいして掛かっていない。予定していた郷原駅の電車時刻まで、一時間半もあり、このまま密岩通りを下山すると、随分時間が余ってしまうなと思い、立ち止まって思案する。 登山道は無いが、鞍部を挟んだ西側のピークに、尾根が明瞭に続いている。岩櫃山の西端に位置する尖ったピークに行けるのだろうか。見た感じでは、なんとか登れそうに思える。時間もあるので、立ち寄ってみことにした。 尾根を登り、踏路は間も無く巨岩に阻まれてしまった。右手に広がる、北面の緩やかな山腹トラバースに進路を変更し、落葉の深い山肌をざくざくと音を立てて登る。東から競り上がる尾根が間近に見えると、そちらに移った方がいいかなとも思えるが、岩稜の尾根に復帰を計り、次第に急傾斜となる斜面を攀じ登った。 ふたたび痩せた尾根に乗り、慎重を期して登り続ける。そうして、露岩と松が配置された、狭いピークに達した。闇雲に登ってきた訳ではなく、確信を持っていたとはいえ、無事に登頂できたことに、安堵の深い息を吐いた。 760m圏峰は、麓の密岩神社から見上げると、岩櫃山とは一線を画して西端に屹立する岩峰である。踏路が刻まれていても不思議ではない距離と勾配だが、殆ど歩かれていない様子だった。改めて岩櫃山頂の方角を見ると、手前に天狗の架け橋を配置しての風景が嬉しい。 当然のことながら誰も居ない山頂に佇み、今日初めて味わう安穏な気分が、内心を満たしていった。木立が無く、眺望が開けるのは西の方角で、白銀の草津白根山を眺めながら、自作おにぎりの昼食休憩とした。 満悦の760m圏峰から下山に掛かる。枯葉の埋もれた斜面を下る前に、ストレッチスパッツを装着する。尾根上を行ける処まで行くが、やはり岩に阻まれ、登ってきた北面を捲くようにして、道標の鞍部に帰着した。ここから、岩櫃山の踏路では、比較的難路とされる密岩通りを、やや弛緩した気分で下っていく。 途中で擦れ違った年配ご夫婦の細君氏が、「どこから登ってきたの? ピストン?」と、荒削りな口調で訊きいてきた。 この感じは、かなりの手練れであると直感し、赤岩通りからの順路を、やや平伏の気持ちをこめて説明する。そして、760m圏峰のことは隠匿し、天狗の架け橋往復のくだりを言うと、 「ちょうどいいトレーニングになったじゃない」 と返されたので、やはり、直感は正しかったなあと、内心で首肯した。 密岩通り登山口に下山した。この後の予定は、長野原草津口駅に移動してバスに乗り、実は未だ訪れたことの無い草津温泉に行ってみようか、などと考えていた。しかし、それも突如億劫に感じられた。濃密の内容だった岩櫃山のラウンド・トリップを終えて、これ以上の感興が湧いてこない。 それでも温泉には入って帰りたい。そう考えて、今朝の吾妻線の途上で気になった小野上(おのがみ)温泉を想起した。それで急遽の計画変更となり、郷原駅から渋川方面の電車時刻を調べると、更に一時間半待たなければならない。 このまま郷原駅に戻っても時間を持て余してしまうので、集落内を通っている真田道(上田城から沼田城を結ぶ、真田家の兵馬往来街道)を歩いて、群馬原町駅まで歩くことにした。 真田道は集落が途切れて山道となり、十二様通りの尾根が延びる山腹に沿って続いていた。切沢を渡渉して、岩櫃城本丸跡への踏路を分けると、ふたたび舗道となった。東電原町発電所の貯水池に至ると、左手に柳沢城跡の在る観音山がこんもりとした形で視界に入る。 番匠坂を下りきると吾妻線の線路が近づいてきて、国道145号線に合流するところで、踏切の警報音が聞こえてくる。眩い車体の特急草津号が、ゆっくりと小さな鉄橋を渡っていくのを見送った。 郷原集落から真田道を歩いて、予測よりもやや早い一時間強で、群馬原町駅に到着した。全行程の歩行距離は10kmを超えて、心地好い疲労感が身体中に染み渡る。十数分でやってきた電車に乗り、小野上温泉駅で下車。駅舎内に在る、かつての切符売り場窓口が、観光案内所となっていた。 さて温泉は、と各種案内の掲示物を眺めていると、窓口の女性と視線が合った。待合室に出てきてくれたので、温泉に入りたいのですが、と訊いてみる。すると、「えっ、ありがとうございます」と言って、女性は「小野上温泉 さちのゆ」の入口附近まで案内してくれた。草津を見限って訪問した甲斐のある、心温まる歓待だった。 温泉は露天風呂が心地好いぬる湯で、今日もじっくり長湯したいところだが、次の電車はちょうど一時間後で、それを逃すとさらに一時間半待たされることになる。後ろ髪を引かれる思いで30分程度経過したところで上がる。大広間の座敷で、自販機で買い求めた缶ビールを飲んでいると、なんだか動きたくなくなってしまうほど心地好い。周囲には座布団を並べて熟睡している高齢者たちが、そこかしこに転がっている。 それでもなんとか小野上温泉駅に戻ると、案内所の女性が休憩時間なのか退勤時刻なのか、ちょうど駅前に出てきたところだった。温泉を満喫したことを告げると、よかった、と言って笑った。岩櫃山に登ってきたことなど、本日の行程を披瀝して、しばしの談笑となった。 何処から来たのかと訊かれ、東京からですと応えると、「えっ、そんなに遠くから」という反応で、そんなに驚くことかと思うが、どうやら「えっ」は、彼女の接頭語みたいなものなのかもしれないな、とも思った。突如訪れることにした、駅から至近の小野上温泉。また来たいなと思わざるを得ない、途中下車の入湯であった。 高崎行き電車に乗り込み、てっきり熟睡してしまうかと思いきや、案外覚醒していたようで、高崎駅で程よく接続する湘南新宿ラインに乗り換える。おかわりの缶ビールを買い、車中で飲みながら、上州の山々の車窓を眺める。閑散としていた車内だったが、岡部駅あたりから乗客が増え始めたので、マスクを装着して文庫本を読んでいるうちに、いよいよ眠くなってきた。 うとうとしているうちに、車内は次第に混雑していき、楽しかった今日の出来事が、夢の中に溶けて曖昧な映像になっていくような気がする。窮屈な空気感の蔓延する東京に向けて、疾走する電車のスピードは、徐々に増していくようであった。
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