行重山に手野から登ってみた。

2020.02.22(土) 日帰り

行重山(ぎょうじゅやま)をご存知だろうか。 少なくとも宗像四塚縦走をされた方なら登ったことがある山だ。 松尾ピークと言えばわかると思うが、それが行重山なのだ。 この行重と言う名は人名で、須藤駿河守行重のことを指している。 この須藤駿河守行重は今から500年以上前に岡垣町の手野に実在していた有力者で、高倉神社に鎮座している毘沙門天像の願主である。 その他にも内浦の海蔵寺の再興、遠賀町松の本地蔵堂の再興、宗像市鐘崎の織幡神社へ寄進、などなど広域において活躍して、手野では道満さまと慕われていて逸話も残されている。 このような功績を遺した人物の名前を冠した山名なのに、いつの間にやら松尾ピークとやら現代風の地名となり、YAMAPにもランドマークとして記されているのである。 前置きが長くなったけど行重山に山頂標識を掲げたいので登ってみた。 どうせなら手野から登ってみようと思い、2年ほど前にチャレンジして失敗に終わった他の古いブログに記された手野から孔大寺山への登山道を探索していると・・・なんと!最近につけられたピンクリボンを発見したのでそこから取り付いてみた。 その他にも手野・内浦・波津・高倉をキコキコしてきました。 手野から孔大寺山までピンクテープを付けてくれた方に大変感謝してます。 すごくわかりやすかったです。 ありがとうございました。

2008年4月の広報おかがきより。
これを図書館で見て行重山を初めて知った。
岡垣町HPからもPDFで見れる。
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2008年4月の広報おかがきより。 これを図書館で見て行重山を初めて知った。 岡垣町HPからもPDFで見れる。

2008年4月の広報おかがきより。 これを図書館で見て行重山を初めて知った。 岡垣町HPからもPDFで見れる。

庚申塔発見。
文化十五年(1818年)。

庚申塔発見。 文化十五年(1818年)。

庚申塔発見。 文化十五年(1818年)。

毘沙門天宮。
行重が毘沙門天像を造る時に芦屋鋳物衆を住まわせた地の逸話がある。

毘沙門天宮。 行重が毘沙門天像を造る時に芦屋鋳物衆を住まわせた地の逸話がある。

毘沙門天宮。 行重が毘沙門天像を造る時に芦屋鋳物衆を住まわせた地の逸話がある。

境内に庚申塔発見。
享保十一年(1726年)。

境内に庚申塔発見。 享保十一年(1726年)。

境内に庚申塔発見。 享保十一年(1726年)。

手野地域の小字。
小塀、垣ノ内、裏門が行重の住居跡と言われている。
行重山の小字も行重だ。
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手野地域の小字。 小塀、垣ノ内、裏門が行重の住居跡と言われている。 行重山の小字も行重だ。

手野地域の小字。 小塀、垣ノ内、裏門が行重の住居跡と言われている。 行重山の小字も行重だ。

小塀あたりの風景。

小塀あたりの風景。

小塀あたりの風景。

取りあえず不動王明像の滝まで行ってみる。
右は荒れて車両が通れない。
左は途中まで車両で行けますけど責任は負いません。

取りあえず不動王明像の滝まで行ってみる。 右は荒れて車両が通れない。 左は途中まで車両で行けますけど責任は負いません。

取りあえず不動王明像の滝まで行ってみる。 右は荒れて車両が通れない。 左は途中まで車両で行けますけど責任は負いません。

まだ新しいピンクテープが。
ここが孔大寺山への登山道入り口。

まだ新しいピンクテープが。 ここが孔大寺山への登山道入り口。

まだ新しいピンクテープが。 ここが孔大寺山への登山道入り口。

不動王明像。

不動王明像。

不動王明像。

未明の雨で滝には水量がありました。
登山の無事をお祈りしてピンクテープまで戻る。

未明の雨で滝には水量がありました。 登山の無事をお祈りしてピンクテープまで戻る。

未明の雨で滝には水量がありました。 登山の無事をお祈りしてピンクテープまで戻る。

炭焼き窯跡①。

炭焼き窯跡①。

炭焼き窯跡①。

キノコとピンクテープ。

キノコとピンクテープ。

キノコとピンクテープ。

沢を渡る。

沢を渡る。

沢を渡る。

炭焼き窯跡②。

炭焼き窯跡②。

炭焼き窯跡②。

炭焼き窯跡③

炭焼き窯跡③

炭焼き窯跡③

勾配が急になってきた。

勾配が急になってきた。

勾配が急になってきた。

もう少しで登頂だけど急勾配と雨で濡れた土が滑ってなかなか進まない。

もう少しで登頂だけど急勾配と雨で濡れた土が滑ってなかなか進まない。

もう少しで登頂だけど急勾配と雨で濡れた土が滑ってなかなか進まない。

孔大寺山山頂。
やはり・・・疲れた。
少し休憩して行重山(松尾ピーク)に向かう。

孔大寺山山頂。 やはり・・・疲れた。 少し休憩して行重山(松尾ピーク)に向かう。

孔大寺山山頂。 やはり・・・疲れた。 少し休憩して行重山(松尾ピーク)に向かう。

松尾ピーク。
行重山だけどね・・・。

松尾ピーク。 行重山だけどね・・・。

松尾ピーク。 行重山だけどね・・・。

役行者。
ぐぐったら修験道の祖らしい。

役行者。 ぐぐったら修験道の祖らしい。

役行者。 ぐぐったら修験道の祖らしい。

行重山。
読み間違えられないようにローマ字表記も入れてみた。
初めて作った山頂プレートなので改良の余地が多い。

行重山。 読み間違えられないようにローマ字表記も入れてみた。 初めて作った山頂プレートなので改良の余地が多い。

行重山。 読み間違えられないようにローマ字表記も入れてみた。 初めて作った山頂プレートなので改良の余地が多い。

何も考えずに穴をあけて長さも20センチもあるので合う木が見つからない。
ベンチの横の木に付けてみた。

何も考えずに穴をあけて長さも20センチもあるので合う木が見つからない。 ベンチの横の木に付けてみた。

何も考えずに穴をあけて長さも20センチもあるので合う木が見つからない。 ベンチの横の木に付けてみた。

行重山から尾根伝いに手野に下りてみる。
途中までは本当に歩きやすい雑木林だった。

行重山から尾根伝いに手野に下りてみる。 途中までは本当に歩きやすい雑木林だった。

行重山から尾根伝いに手野に下りてみる。 途中までは本当に歩きやすい雑木林だった。

こんなとこにタイヤが2本。

こんなとこにタイヤが2本。

こんなとこにタイヤが2本。

ヌタ場がたくさんあったので撮っていると赤土で滑って壮大にコケた。
このあと気が動転してルートミスが続いた。

ヌタ場がたくさんあったので撮っていると赤土で滑って壮大にコケた。 このあと気が動転してルートミスが続いた。

ヌタ場がたくさんあったので撮っていると赤土で滑って壮大にコケた。 このあと気が動転してルートミスが続いた。

ビワ畑があった。
素直に畑方向に下りればいいのに直進してヤブ漕ぎで無駄に疲れた。

ビワ畑があった。 素直に畑方向に下りればいいのに直進してヤブ漕ぎで無駄に疲れた。

ビワ畑があった。 素直に畑方向に下りればいいのに直進してヤブ漕ぎで無駄に疲れた。

なんとか手野に下りて大国主神社に参拝。

なんとか手野に下りて大国主神社に参拝。

なんとか手野に下りて大国主神社に参拝。

内浦の海蔵寺に移動。

内浦の海蔵寺に移動。

内浦の海蔵寺に移動。

海蔵寺の説明板に須藤駿河守の名前が。

海蔵寺の説明板に須藤駿河守の名前が。

海蔵寺の説明板に須藤駿河守の名前が。

海蔵寺裏の古墳公園に行ってみる。

海蔵寺裏の古墳公園に行ってみる。

海蔵寺裏の古墳公園に行ってみる。

古墳群があるらしい。

古墳群があるらしい。

古墳群があるらしい。

古墳。

古墳。

古墳。

古墳内部。
石組がリアル。
1500年前の空間に興奮。

古墳内部。 石組がリアル。 1500年前の空間に興奮。

古墳内部。 石組がリアル。 1500年前の空間に興奮。

他にも古墳が5つくらい見つけたけど土に埋もれてました。

他にも古墳が5つくらい見つけたけど土に埋もれてました。

他にも古墳が5つくらい見つけたけど土に埋もれてました。

波津に干潮時にしか見れない庚申塔があるので行ってみた。
防波堤の外にある。

波津に干潮時にしか見れない庚申塔があるので行ってみた。 防波堤の外にある。

波津に干潮時にしか見れない庚申塔があるので行ってみた。 防波堤の外にある。

左は年代表記無し。
右は元文四年(1739年)。

左は年代表記無し。 右は元文四年(1739年)。

左は年代表記無し。 右は元文四年(1739年)。

実はこの庚申塔付近には古い墓石が落ちているのだ。
嘉永六年(1853年)で150年以上前。

実はこの庚申塔付近には古い墓石が落ちているのだ。 嘉永六年(1853年)で150年以上前。

実はこの庚申塔付近には古い墓石が落ちているのだ。 嘉永六年(1853年)で150年以上前。

他にも墓石があったけど年代はひっくり返さないと読めなそうだった。
墓石に海水は保存にはよさそう。

他にも墓石があったけど年代はひっくり返さないと読めなそうだった。 墓石に海水は保存にはよさそう。

他にも墓石があったけど年代はひっくり返さないと読めなそうだった。 墓石に海水は保存にはよさそう。

砂浜と防波堤にたたずむおっさんの影。

砂浜と防波堤にたたずむおっさんの影。

砂浜と防波堤にたたずむおっさんの影。

手野集落と孔大寺山と行重山(右端の山)。

手野集落と孔大寺山と行重山(右端の山)。

手野集落と孔大寺山と行重山(右端の山)。

高倉の高倉神社に到着。

高倉の高倉神社に到着。

高倉の高倉神社に到着。

境内にある須藤駿河守行重の命で造られた毘沙門天像。
新型コロナ肺炎の沈静化をお祈りしました。

境内にある須藤駿河守行重の命で造られた毘沙門天像。 新型コロナ肺炎の沈静化をお祈りしました。

境内にある須藤駿河守行重の命で造られた毘沙門天像。 新型コロナ肺炎の沈静化をお祈りしました。

説明板。
須藤駿河守行重の名前がある。

説明板。 須藤駿河守行重の名前がある。

説明板。 須藤駿河守行重の名前がある。

高倉神社で軌跡終了。
今回は下調べと標識製作などでたくさん時間を費やしました。

高倉神社で軌跡終了。 今回は下調べと標識製作などでたくさん時間を費やしました。

高倉神社で軌跡終了。 今回は下調べと標識製作などでたくさん時間を費やしました。

2008年4月の広報おかがきより。 これを図書館で見て行重山を初めて知った。 岡垣町HPからもPDFで見れる。

庚申塔発見。 文化十五年(1818年)。

毘沙門天宮。 行重が毘沙門天像を造る時に芦屋鋳物衆を住まわせた地の逸話がある。

境内に庚申塔発見。 享保十一年(1726年)。

手野地域の小字。 小塀、垣ノ内、裏門が行重の住居跡と言われている。 行重山の小字も行重だ。

小塀あたりの風景。

取りあえず不動王明像の滝まで行ってみる。 右は荒れて車両が通れない。 左は途中まで車両で行けますけど責任は負いません。

まだ新しいピンクテープが。 ここが孔大寺山への登山道入り口。

不動王明像。

未明の雨で滝には水量がありました。 登山の無事をお祈りしてピンクテープまで戻る。

炭焼き窯跡①。

キノコとピンクテープ。

沢を渡る。

炭焼き窯跡②。

炭焼き窯跡③

勾配が急になってきた。

もう少しで登頂だけど急勾配と雨で濡れた土が滑ってなかなか進まない。

孔大寺山山頂。 やはり・・・疲れた。 少し休憩して行重山(松尾ピーク)に向かう。

松尾ピーク。 行重山だけどね・・・。

役行者。 ぐぐったら修験道の祖らしい。

行重山。 読み間違えられないようにローマ字表記も入れてみた。 初めて作った山頂プレートなので改良の余地が多い。

何も考えずに穴をあけて長さも20センチもあるので合う木が見つからない。 ベンチの横の木に付けてみた。

行重山から尾根伝いに手野に下りてみる。 途中までは本当に歩きやすい雑木林だった。

こんなとこにタイヤが2本。

ヌタ場がたくさんあったので撮っていると赤土で滑って壮大にコケた。 このあと気が動転してルートミスが続いた。

ビワ畑があった。 素直に畑方向に下りればいいのに直進してヤブ漕ぎで無駄に疲れた。

なんとか手野に下りて大国主神社に参拝。

内浦の海蔵寺に移動。

海蔵寺の説明板に須藤駿河守の名前が。

海蔵寺裏の古墳公園に行ってみる。

古墳群があるらしい。

古墳。

古墳内部。 石組がリアル。 1500年前の空間に興奮。

他にも古墳が5つくらい見つけたけど土に埋もれてました。

波津に干潮時にしか見れない庚申塔があるので行ってみた。 防波堤の外にある。

左は年代表記無し。 右は元文四年(1739年)。

実はこの庚申塔付近には古い墓石が落ちているのだ。 嘉永六年(1853年)で150年以上前。

他にも墓石があったけど年代はひっくり返さないと読めなそうだった。 墓石に海水は保存にはよさそう。

砂浜と防波堤にたたずむおっさんの影。

手野集落と孔大寺山と行重山(右端の山)。

高倉の高倉神社に到着。

境内にある須藤駿河守行重の命で造られた毘沙門天像。 新型コロナ肺炎の沈静化をお祈りしました。

説明板。 須藤駿河守行重の名前がある。

高倉神社で軌跡終了。 今回は下調べと標識製作などでたくさん時間を費やしました。