秩父往還 旧 正丸峠越え・名栗往還の古道・伊豆ヶ岳西尾根VR

2020.02.09(日) 日帰り

活動データ

タイム

09:21

距離

14.7km

のぼり

1239m

くだり

1243m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
9 時間 21
休憩時間
2 時間 18
距離
14.7 km
のぼり / くだり
1239 / 1243 m
7
1 7
9
3 34
1 55
11
3
25

活動詳細

すべて見る

奥武蔵 2020年2月9日 秩父往還 吾野通り 名栗通り 伊豆ヶ岳西尾根 鎌倉時代からの歴史を有する秩父往還 吾野通り 旧 正丸峠を越えて西に下り、名栗通りの古道を歩きました。県道53号線を経て山伏峠に下り、再び古道に入ると前回は気付かなかった馬頭観音像塔を見つけました。 地蔵尊を経て伊豆ヶ岳西尾根に取り付くとプラ杭も赤テープも無いまっさらな尾根で、鹿さんと会話しながら楽しく登りました。 奥武蔵有数の人気を誇り、ふだんはハイカーで賑わう伊豆ヶ岳の山頂は無人。 見事なまでの冬晴れで展望にも恵まれましたが、朝から冷たい強風が吹き荒れ、また時間帯が夕方だった為、運良く山頂独り占めとなりました。 伊豆ヶ岳おばーさんのレリーフに挨拶して下山開始、長岩峠を経て大蔵山の集落から正丸駅に戻りました。 山中で出会ったのは二人だけの、静かな山歩きとなりました。 古道の歴史や伊豆ヶ岳山名由来考については以下の日記に記しています。 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1974784720&owner_id=12844177 1、秩父往還 吾野通り 旧 正丸峠へ 2、旧 正丸峠の歴史 3、追分の道標から名栗通りの古道を歩く 4、山伏峠へ 5、山伏峠下の馬頭観音像塔 6、じじい ばばあ地蔵尊 7、伊豆ヶ岳西尾根で鹿と話した話 8、寒風吹き荒ぶ「伊豆ヶ岳」山名由来考 9、長岩峠から正丸駅へ

武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 右の小さな石仏に「童子」とある事から幼い男の子の供養の為、隣りの地蔵菩薩と共に木祠に納められたものでしょう。
右の小さな石仏に「童子」とある事から幼い男の子の供養の為、隣りの地蔵菩薩と共に木祠に納められたものでしょう。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 国道を離れて集落に入ると子育地蔵尊があります。
国道を離れて集落に入ると子育地蔵尊があります。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 小さな八坂神社の本殿の隣りにあります。
小さな八坂神社の本殿の隣りにあります。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 子育て地蔵尊(寛政十一年 1799年)。
子育て地蔵尊(寛政十一年 1799年)。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 馬頭観世音菩薩(寛政十一年 1799年)。儀軌に則った本来の姿です。今も大切にされている事がわかります。
馬頭観世音菩薩(寛政十一年 1799年)。儀軌に則った本来の姿です。今も大切にされている事がわかります。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 「左 ちゝぶ 右 大野」とあり、古道の分岐だった事がわかります。左の秩父へ、今日は旧 正丸峠越えです。
「左 ちゝぶ 右 大野」とあり、古道の分岐だった事がわかります。左の秩父へ、今日は旧 正丸峠越えです。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 馬頭観音(宝暦五年 1755年)。峠路を往来する人馬を見守ってきた、吾野地区最古の馬頭観音です。
馬頭観音(宝暦五年 1755年)。峠路を往来する人馬を見守ってきた、吾野地区最古の馬頭観音です。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 「山ノ神」です。現在 祠や祭祀跡は見られませんが、神域の雰囲気はあります。
「山ノ神」です。現在 祠や祭祀跡は見られませんが、神域の雰囲気はあります。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 高さ7mくらいの立岩です。奥武蔵に大岩は多いですが、この岩は独特な佇まいです。
高さ7mくらいの立岩です。奥武蔵に大岩は多いですが、この岩は独特な佇まいです。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 かつて祠があったと思われる場所です。
かつて祠があったと思われる場所です。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 古い峠路に見られる石積みが残っています。
古い峠路に見られる石積みが残っています。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 県道に出たところにある看板です。店はまだあるのでしょうか…。
県道に出たところにある看板です。店はまだあるのでしょうか…。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 秩父往還 旧 正丸峠。少なくとも鎌倉時代から使われていた事は史料から明らかになっています。
秩父往還 旧 正丸峠。少なくとも鎌倉時代から使われていた事は史料から明らかになっています。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 峠にあるのは道標だけです。
峠にあるのは道標だけです。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 峠から正面に見る山々。鎌倉や江戸から秩父に向かった人々はこの景色を見て一息ついてから下っていった事でしょう。
峠から正面に見る山々。鎌倉や江戸から秩父に向かった人々はこの景色を見て一息ついてから下っていった事でしょう。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 秩父往還 吾野通りと名栗通りの分岐にある「追分の道標」。
秩父往還 吾野通りと名栗通りの分岐にある「追分の道標」。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 近くには首が欠けた石仏があります。
近くには首が欠けた石仏があります。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 こちらは完全に原型をとどめています。この古道の交差点で道行く旅人を見守ってきた石仏です。
こちらは完全に原型をとどめています。この古道の交差点で道行く旅人を見守ってきた石仏です。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 右「名栗・八王子」は山伏峠を越えて青梅・八王子へと通じる名栗街道を、左「子の権現・江戸」は旧正丸峠を越えて吾野、飯能を通り川越・江戸へと向かう道を示しています。 
右「名栗・八王子」は山伏峠を越えて青梅・八王子へと通じる名栗街道を、左「子の権現・江戸」は旧正丸峠を越えて吾野、飯能を通り川越・江戸へと向かう道を示しています。 
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 名栗通りの古道を進むと、渡渉点には石積みの橋脚が残っていました。
名栗通りの古道を進むと、渡渉点には石積みの橋脚が残っていました。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 松枝地区の山神社。
松枝地区の山神社。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 アンテナが目印の甲仁田山が見えます。
アンテナが目印の甲仁田山が見えます。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 巳待塔。
巳待塔。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 奥武蔵によく見られる典型的な山神祠です。
奥武蔵によく見られる典型的な山神祠です。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 県道53号線を南進し、飯能市に入ります。
県道53号線を南進し、飯能市に入ります。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 当たり前ですが県道より山を歩いたほうが遥かに楽しいです。
当たり前ですが県道より山を歩いたほうが遥かに楽しいです。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 血に飢えたハンターに会いたくないので安心です。
血に飢えたハンターに会いたくないので安心です。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 巨木の傍らに…
巨木の傍らに…
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 祠あり、です。歴史ある山伏峠ですが祠はかなり新しいもので、いわば規格品です。
祠あり、です。歴史ある山伏峠ですが祠はかなり新しいもので、いわば規格品です。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 再び 名栗通りの古道を歩きます。
再び 名栗通りの古道を歩きます。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 斜面にひっそりと佇む馬頭観音。
斜面にひっそりと佇む馬頭観音。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 山伏峠下の馬頭観音像塔(明和七年 1770年)。施主の子孫は繭を扱う商人で、馬を曳いて秩父とを行き来していたそうです。
山伏峠下の馬頭観音像塔(明和七年 1770年)。施主の子孫は繭を扱う商人で、馬を曳いて秩父とを行き来していたそうです。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 静かな古道を行きます。
静かな古道を行きます。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 じじい ばばあ地蔵尊(天保十年 1839年)。
じじい ばばあ地蔵尊(天保十年 1839年)。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 盗賊に殺された老夫婦の供養の為に造立された地蔵尊です。峠路の傍らにあるこの地蔵尊には花が絶えなかったといいます。
盗賊に殺された老夫婦の供養の為に造立された地蔵尊です。峠路の傍らにあるこの地蔵尊には花が絶えなかったといいます。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 寄り添う石仏を振り返り、近くの尾根を登って伊豆ヶ岳を目指します。
寄り添う石仏を振り返り、近くの尾根を登って伊豆ヶ岳を目指します。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 登山道に合流して山頂直下まで来ました。
登山道に合流して山頂直下まで来ました。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 夕方の陽射しが岩場に降り注ぎます。
夕方の陽射しが岩場に降り注ぎます。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 伊豆ヶ岳(851m)山頂標識です。
伊豆ヶ岳(851m)山頂標識です。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 横瀬二子山の向こうに見えるのは奥秩父の山々でしょうか。
横瀬二子山の向こうに見えるのは奥秩父の山々でしょうか。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 ここにはありませんが、熱海の伊豆山権現を崇めていた修験者たちが命名したという説を私は支持します。
ここにはありませんが、熱海の伊豆山権現を崇めていた修験者たちが命名したという説を私は支持します。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 ふだんはハイカーで賑わう山頂ですが…
ふだんはハイカーで賑わう山頂ですが…
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 南北に細長い山頂には誰もいませんでした。
南北に細長い山頂には誰もいませんでした。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 昔 茶屋があった山頂北寄りの平地の前の大きな露岩には…
昔 茶屋があった山頂北寄りの平地の前の大きな露岩には…
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 名物店主「伊豆ヶ岳おばーさん」の銅板レリーフがあります。
名物店主「伊豆ヶ岳おばーさん」の銅板レリーフがあります。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 東の展望が開ける場所からは平野のほうまでよく見えました。
東の展望が開ける場所からは平野のほうまでよく見えました。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 長岩峠付近。正丸峠から伊豆ヶ岳まで、かつては奥武蔵の銀座と呼ばれてハイカーで賑わった道です。
長岩峠付近。正丸峠から伊豆ヶ岳まで、かつては奥武蔵の銀座と呼ばれてハイカーで賑わった道です。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 かめ岩。どこが亀?と思っていましたが真ん中辺りが亀の顔に見えてきました…。
かめ岩。どこが亀?と思っていましたが真ん中辺りが亀の顔に見えてきました…。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 大正五年(1916年)の馬頭観音文字碑がありますが、平成の木札もある事から地元で今も大切にされている事がわかります。
大正五年(1916年)の馬頭観音文字碑がありますが、平成の木札もある事から地元で今も大切にされている事がわかります。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 大岩の傍らの馬頭尊。
大岩の傍らの馬頭尊。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 文久四年甲子 春二月吉日。幕末期1864年造立の碑である事はわかりました。
文久四年甲子 春二月吉日。幕末期1864年造立の碑である事はわかりました。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 「國生……」八文字彫られていますが何の碑なのかはわかりません。
「國生……」八文字彫られていますが何の碑なのかはわかりません。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 昔は出産は死と隣り合わせでしたから多くの女性の信仰を集めたのでしょう。
昔は出産は死と隣り合わせでしたから多くの女性の信仰を集めたのでしょう。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 安産地蔵尊。朝の子育て地蔵尊もそうですが、子どもは宝です!
安産地蔵尊。朝の子育て地蔵尊もそうですが、子どもは宝です!
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 正丸駅に戻ってきました。今年は西武秩父線開通50周年なんですね。
正丸駅に戻ってきました。今年は西武秩父線開通50周年なんですね。

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