🏯山城を訪ねて⑪黒岩城趾

2020.01.21(火) 日帰り

活動データ

タイム

01:45

距離

3.4km

のぼり

227m

くだり

183m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
1 時間 45
休憩時間
31
距離
3.4 km
のぼり / くだり
227 / 183 m
1 45

活動詳細

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黒岩城主・泉氏は、後に三吉氏に仕えたと考えられる。 天文22年(1553)の春、尼子氏の謀略によって江田氏(三次市三若町 旗返城主)が突然、毛利氏に反旗をひるがえした。 それに呼応して、すでに横田(島根県奥出雲町)まで出陣していた尼子晴久は、全軍を率いて一気に中国山地を南下し備後に入った。 毛利元就も同時に江田氏領に軍勢を進めた。 その頃、口和では毛利氏に属していた釜峰山城の湯木氏が尼子氏の圧力に屈し、吉川元春が同城に派遣していた家臣13名を自害させ、尼子氏に寝返った。 そのため黒岩城の泉氏が危うくなったので、毛利軍はただちに大月へ移動し、元就は黒岩城へ入り、軍勢は城の東麓一帯に陣を構えた。 尼子軍も新宮党の精鋭五千を湯木から向泉に向かわせた。 かくして両軍は竹地谷川を挟んで対峙した。 今では、大合戦橋の名前と、千人塚が当時を偲ばせる。

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