新雪の倉岳山へ・石造物めぐり・「さよなら穂高書房」

2020.01.19(日) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
2 時間 6
休憩時間
38
距離
2.0 km
のぼり / くだり
384 / 75 m
2 7

活動詳細

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2020年最初の山歩きです。 1月18日に待望の南岸低気圧が通過し、レーダーやTwitterで降雪状況を確認、低山にも積雪があるだろうと期待して出かけました。 前回に引き続き、中央線沿線 桂川右岸の「前道志」(秋山山稜)へ。 主峰 倉岳山にバリエーションルートで登り、稜線歩きを楽しもうという計画でしたが… 積雪は僅かながら、まさかの雪山装備全忘れにより尾根路で悪戦苦闘、滑って転んで泥だらけになり掴んだ枝からの落雪で雪だるま状態に…。展望も岩場も冬木立もそこそこ楽しんだところで潔く?撤退しました。 史上最短時間の山歩きを終え、山麓で馬頭観音や道祖神、祠をめぐっていると地元のお爺さんが「坂の上にもあるよ」と教えてくださり、上がってみると神社がありました。 はからずもこの貴船神社への参拝が今年の初詣となり、鳥居の前からは山里の景色を堪能できました。 梁川駅に戻り、帰りには馴染みの山岳古書店「穂高書房」に久しぶりに立ち寄ろうと電話をかけると回線が不通… 慌てて調べるとなんと店主が昨夏 急逝なさったとの事。 強い衝撃を受けて暫し茫然としました。(お店と店主の思い出はリンク先の日記に綴っています。) 行く場所を失い、まだ時間も早いので、前回 見つけられなかった川合峠の馬頭観音を探す事にしました。 聖徳太子を崇める太子講の石碑と馬頭観音を見てから峠に上がると、峠の高みの草むらに一群の馬頭観音を発見しました。 二つは文字塔(うち一つは前回 所在不明だったもの)、一つは像塔で、新たな二つは川合峠4度目の訪問で初めて見付けた事になります。 梁川から立野峠に向かう路沿いの馬頭観音には人参が二本 供えられ、四方津から大地峠に向かう途中の川合峠の馬頭観音は高みに移されて他の石碑と身を寄せあっていました。 いずれも、山麓の心ある方の手によるもののようです。 里人の素朴な信仰心が今もなお連綿と続いている事にしみじみと感激し、また、お世話になった古書店と店主への惜別の想いをめぐらす一日となりました。 mixi山行日記 新雪の倉岳山・川合峠・穂高書房 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1974681603&owner_id=12844177 0、大月市立野地区の石造物 1、倉岳山北東尾根 撤退 2、貴船神社で初詣 3、穂高書房 店主の訃報 4、川合峠 新たな馬頭観音を発見 5、【穂高書房の思い出】

倉岳山・高畑山・九鬼山 中央線 梁川駅で降りたのは私だけでした。
中央線 梁川駅で降りたのは私だけでした。
倉岳山・高畑山・九鬼山 中央右寄り奥が今日目指す「倉岳山」です。
中央右寄り奥が今日目指す「倉岳山」です。
倉岳山・高畑山・九鬼山 眼下に桂川を、南に「前道志」秋山山稜を仰ぎます。
眼下に桂川を、南に「前道志」秋山山稜を仰ぎます。
倉岳山・高畑山・九鬼山 梁川大橋の延長線上で倉岳山の台形が朝陽に照らされています。
梁川大橋の延長線上で倉岳山の台形が朝陽に照らされています。
倉岳山・高畑山・九鬼山 北都留の扇山も真っ白でした。
北都留の扇山も真っ白でした。
倉岳山・高畑山・九鬼山 円通寺脇の路傍に鎮座する石造物群の全景。
円通寺脇の路傍に鎮座する石造物群の全景。
倉岳山・高畑山・九鬼山 嘉永年間(1848~)の「馬頭大士」。
嘉永年間(1848~)の「馬頭大士」。
倉岳山・高畑山・九鬼山 縦長の「馬頭観世音」文字碑。
縦長の「馬頭観世音」文字碑。
倉岳山・高畑山・九鬼山 文久年間(1861~)の「馬頭大士」。
文久年間(1861~)の「馬頭大士」。
倉岳山・高畑山・九鬼山 「馬頭大士」(慶應三年 1867年)。
「馬頭大士」(慶應三年 1867年)。
倉岳山・高畑山・九鬼山 丸石に「馬頭観世音」の刻字。
丸石に「馬頭観世音」の刻字。
倉岳山・高畑山・九鬼山 2本の人参が供えられた「馬頭大士」。
2本の人参が供えられた「馬頭大士」。
倉岳山・高畑山・九鬼山 楕円石に「馬頭観世音」の刻字。
楕円石に「馬頭観世音」の刻字。
倉岳山・高畑山・九鬼山 石棒なども数個置かれています。
石棒なども数個置かれています。
倉岳山・高畑山・九鬼山 左から馬頭観音の像塔5基が並んでいました。
左から馬頭観音の像塔5基が並んでいました。
倉岳山・高畑山・九鬼山 最も状態の良い馬頭観音像塔。馬の表情が優しいです。
最も状態の良い馬頭観音像塔。馬の表情が優しいです。
倉岳山・高畑山・九鬼山 馬頭を含め風化が進んでいます。
馬頭を含め風化が進んでいます。
倉岳山・高畑山・九鬼山 風化し、苔蒸した像塔です。
風化し、苔蒸した像塔です。
倉岳山・高畑山・九鬼山 最も風化が著しい馬頭観音 像塔でした。
最も風化が著しい馬頭観音 像塔でした。
倉岳山・高畑山・九鬼山 双体道祖神(宝暦二年 1752年)。いわゆる握手型で、肩を抱いて熱々の御二人です。
双体道祖神(宝暦二年 1752年)。いわゆる握手型で、肩を抱いて熱々の御二人です。
倉岳山・高畑山・九鬼山 路傍の石祠としては大きく立派なものです。
路傍の石祠としては大きく立派なものです。
倉岳山・高畑山・九鬼山 中に小さな仏像が納められていました。
中に小さな仏像が納められていました。
倉岳山・高畑山・九鬼山 穏やかな表情で恰幅の良い坐像仏です。
穏やかな表情で恰幅の良い坐像仏です。
倉岳山・高畑山・九鬼山 立派な祠に祀られていたのは…
立派な祠に祀られていたのは…
倉岳山・高畑山・九鬼山 砲弾型の石と丸石が御神体でした。
砲弾型の石と丸石が御神体でした。
倉岳山・高畑山・九鬼山 感動です。
感動です。
倉岳山・高畑山・九鬼山 北都留三山の扇山も真っ白です。
北都留三山の扇山も真っ白です。
倉岳山・高畑山・九鬼山 明るい緩斜面をのんびり歩きで爽快です。
明るい緩斜面をのんびり歩きで爽快です。
倉岳山・高畑山・九鬼山 「前道志」秋山山稜の主峰 倉岳山が前方に壁のように聳えています。
「前道志」秋山山稜の主峰 倉岳山が前方に壁のように聳えています。
倉岳山・高畑山・九鬼山 絵になる景色に暫し見とれました。
絵になる景色に暫し見とれました。
倉岳山・高畑山・九鬼山 この場所を教えてくれた地元のお爺さんに感謝です。
この場所を教えてくれた地元のお爺さんに感謝です。
倉岳山・高畑山・九鬼山 大月市 立野地区の「貴船神社」。
大月市 立野地区の「貴船神社」。
倉岳山・高畑山・九鬼山 鎌倉時代 天福年間1234年 創建と伝えられる貴船神社は明治6年に梁川村の村社になりました。
鎌倉時代 天福年間1234年 創建と伝えられる貴船神社は明治6年に梁川村の村社になりました。
倉岳山・高畑山・九鬼山 祀られている「天之水分神」(あめのみくまりのかみ)は山の水の分配と農業用水を司る神です。
祀られている「天之水分神」(あめのみくまりのかみ)は山の水の分配と農業用水を司る神です。
倉岳山・高畑山・九鬼山 四方津駅の南、桂川右岸の川合地区の石造物群。
四方津駅の南、桂川右岸の川合地区の石造物群。
倉岳山・高畑山・九鬼山 川合地区の石造物群。
川合地区の石造物群。
倉岳山・高畑山・九鬼山 廿十三夜塔(享和二年  1802年)。
廿十三夜塔(享和二年 1802年)。
倉岳山・高畑山・九鬼山 「聖徳太子」(慶應四年 1868年)。工芸の才能にも恵まれた聖徳太子を崇める太子講は様々な職種の職工によって結成されました。
「聖徳太子」(慶應四年 1868年)。工芸の才能にも恵まれた聖徳太子を崇める太子講は様々な職種の職工によって結成されました。
倉岳山・高畑山・九鬼山 「馬頭大士」。大士は菩薩の尊称であり、馬頭観音と同じです。
「馬頭大士」。大士は菩薩の尊称であり、馬頭観音と同じです。
倉岳山・高畑山・九鬼山 川合地区の八幡神社。
川合地区の八幡神社。
倉岳山・高畑山・九鬼山 神社から望む桂川左岸の山波。
神社から望む桂川左岸の山波。
倉岳山・高畑山・九鬼山 馬頭観世音(寛政八年 1796年)。
馬頭観世音(寛政八年 1796年)。
倉岳山・高畑山・九鬼山 川合峠。
川合峠。
倉岳山・高畑山・九鬼山 峠の高みに石造物群を見付けました。
峠の高みに石造物群を見付けました。
倉岳山・高畑山・九鬼山 中央は像塔です。尾根に登って確認します。
中央は像塔です。尾根に登って確認します。
倉岳山・高畑山・九鬼山 寛政元年(1789年)の馬頭観世音です。
寛政元年(1789年)の馬頭観世音です。
倉岳山・高畑山・九鬼山 「南無馬頭観世音菩薩」(享和二年四月1802年)。もう一つの文字碑と石材も石工も同じと思われます。
「南無馬頭観世音菩薩」(享和二年四月1802年)。もう一つの文字碑と石材も石工も同じと思われます。
倉岳山・高畑山・九鬼山 「南無馬頭観世音菩薩」(享和二年六月 1802年)。
「南無馬頭観世音菩薩」(享和二年六月 1802年)。
倉岳山・高畑山・九鬼山 南の千足集落への路は藪がかかっていました。
南の千足集落への路は藪がかかっていました。
倉岳山・高畑山・九鬼山 四方津駅の近くから倉岳山が見えました。
四方津駅の近くから倉岳山が見えました。
倉岳山・高畑山・九鬼山 阿佐ヶ谷の「穂高書房」外観。
阿佐ヶ谷の「穂高書房」外観。
倉岳山・高畑山・九鬼山 店内は本の山で、稀少本や雑誌も多い宝の山でもありました。
店内は本の山で、稀少本や雑誌も多い宝の山でもありました。
倉岳山・高畑山・九鬼山 店主の和久井正明さんはいつも右の茶色い戸を開放して本を読んでいました。たくさんお話を聞かせてくださり、大変お世話になりました。
店主の和久井正明さんはいつも右の茶色い戸を開放して本を読んでいました。たくさんお話を聞かせてくださり、大変お世話になりました。

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