活動データ
タイム
07:06
距離
20.4km
のぼり
1640m
くだり
1619m
活動詳細
すべて見るこの歳までに数々の山を訪ね歩いて来たが、その中に、ずっと忘れず心に残る山がある。 槍ヶ岳だ。 会社に入り10年が経っての昼休み、大先輩方との四方山話(よもやまばなし)の中で、自らの若い時の話が出たことがあった。それは、折しも登山ブーム真っ只中の昭和30年代、中央本線に乗って各地の山へ向かう登山客で新宿駅が沸きかえっていた頃の話だ。 その大先輩は、憧れの大キレットのナイフリッジを両股で挟み込み、少しずつ尻を前に滑らしながら突破した武勇伝を毎日のように話してくれ、私は唾をゴクリと飲み込んで聞いていた。 そんなある日の夜、テレビのニュース番組に釘付けとなる。長野県の女子高生だったかと記憶しているが、学校登山の伝統行事で槍ヶ岳に登っていた映像が流れていた。小雨まじりでガスが発生し景色などは何も見えない山頂の、最後の岩場を越えて感動の登頂を果たした瞬間を映し出していたのだが、その時の彼女達たちの顔を今でも忘れてはいない。嬉々として何物にも変えられぬ達成感に酔いしれて、級友と抱き合い喜びを爆発させていたのだった。 あんな喜びを自分もいつかは知りたいなと、心の奥に仕舞い込んで10年余りが過ぎていたある日、ひと回り以上も歳の離れた先輩から山への思わぬお誘いが有った。 槍ヶ岳である。 まだ奥多摩の隅っこしか巡っていない自分には、荷が重いと躊躇し言葉を濁すが、実は心から行きたいのだ!間違いなく。その後暫くの躊躇い(ためらい)と嫁からの理解とが有っての10月初め、小屋仕舞いの準備で登る人も少ない槍沢の山小屋に泊まり、梓川沿いに見える山並みをずっと見ている自分がいた。 翌日早朝の日の出前、山小屋で拵えた弁当片手に真っ暗な槍沢を、星空を仰ぎながら登り始めていた。徐々に陽が差して明るくなった大曲りを抜け、歩く程に飛び込む見たことのない景色!紅葉真っ盛りの槍沢は赤や黄色が混然一体となりながらも、はっきりと主張をして見事な秋を彩っていたのだ。目を閉じての今でもその光景が鮮やかに浮かんでくるのである。 モレーンの氷河跡を超え、岩小屋の前で佇み間近に見る初めての槍ヶ岳は、予想に反して汚い岩山に見え感動も薄かったなと記憶にある。やがて稜線に向かうのだが、最後のつづら折れの登りになり足が思うように前に進まない事に気づく!高山病か?酸素が薄いせいか?靴1個分しか前に進めないのだ!それもゆっくりと。苦しさで息を吐き両膝に手を添えて立ち止まるを繰り返していて、初めて経験する3000mの世界は想像を超えて身に染みて苦しくも有り新鮮でも有った。稜線にやっとの思いで到達した後、肩の小屋で幾らかの休憩を挟み、小屋前に荷をデポしていよいよ岩峰へ立ち向かうのだ! この時のために買ったザンバランの皮の登山靴で、一歩一歩と前に進んでいるが今とは違い梯子など1つもなく、せいぜい岩壁に鉄の杭が打ち付けられたアスレチックな岩場を、手がかりを見つけながら登っていく。やがて山頂右手の裂けた岩場に差し掛かり、ここを慎重に登りきると憧れの頂きが待っているのだ。あの女子高生達と同じ感動があるのか?ただ黙々と登りきりそして心から湧き上がる喜びの声を思わず発していた。「やった〜!」と心なしか小さく。 山頂には7〜8人ほどの登山者がいたが、この声を聞き皆一様にこちらを振り返り見ている。ギクリとした私の容姿は、ブルージーンズに無印良品のラガーシャツ!おおよそ登山者とは言えない場違いさを感じさせていたが、すぐ様に登山者のリーダーらしき女性から声が掛かる「おめでとう!」と大きな声を発し、その場にいた全員がこちらを見て拍手をしてくれるのだ。おめでとう!と強く声を出して。 一気に感動が込み上げてくる!待っていたあのシーンが脳裏に浮かび自然と目が閏み頭を下げていた!有難うございます!と、今度は大きな声で。 山頂での暫しの感動を飲み込み下山となる。また、あの岩小屋の前に戻り一休みをして振り返るが、あの汚らしい岩山はどこにも無く、ただただ美しさに満ち溢れた槍ヶ岳が目線の上に聳えていたのだった。 人生に於いて今でも忘れられない山でのシーンが、心の奥深くにひとつ私には有るのです。 さて今日の山の話になる。 雲取山で有る。 年の始まりにはここ数年、1月にこの山を登っているのだが、理由など無い。 そもそもダラダラと下る長い道のりが私は嫌で、悪い記憶しか無かった山なのだ。 今から35年ほど前の話。 山友と二人、奥多摩の山を休日の度にバスで移動しては歩き回っていたある日に、初めて雲取山への登山を決めた。登山当日は生憎の曇りだったが、歩き始めて1時間が経過した頃から雨が落ち始め、進む程に雨足が早くなり強く杉木立を叩き始めてきた。我々は歩みを止め雨宿りに登山道脇の杉の大木に身を寄せて、木々の隙間から覗く灰色の空をジッと見つめては溜め息を吐いていたのだ。一向に弱まらない雨に半ば諦め加減となり小一時間が経ち、残念ながら意気もスッカリと失せてしまっていた。それから間もなく強く降り続けている雨の登山道を、足元を見ながら黙々と下山のために長く歩き続けていて、その日から雲取は登りたい山の選択肢からは永らく消えてしまうのだった。 あれから30年!(綾小路◯◯か!😌) 忘れかけていたあの日を思い起こし山友と向かって見たが、当時の記憶の山とは印象が全く違っていた。記憶違いのこの山を歩いて見て何故遠のいてしまったのか?その理由(わけ)は今も分からなく、何度となく登っていてもこの山の良さが未だに分からない。 令和二年の始まりの1月、冷たい空気を深く吸いながら、また今日も雲取へと歩いている。きっとこの山の良さが分かるまで、登り続けるのかも知れないなと微かに思いながら。 登山口から淡々と歩みを進め1時間が過ぎて明るくなった木立の中、堂所を過ぎ単調な登山道を緩やかに上り続けている。前回訪ねた〆の登山では、お嬢の華やかな笑いの中での軽やかな足取りも今日は無く、ただひたすらと無心に歩き続けているのである。七ツ石小屋とブナ坂への分岐を過ぎ、その先の七ツ石小屋で少しだけ一休みをする。束の間の休息の間、ずっと雲ひとつない奥多摩の遥かに聳える富士を眺めていた。また今日も。 一息をついた後、七ツ石山への分岐からこの山を回り込むようにしてブナ坂分岐を目指す。ブナ坂分岐からの稜線歩きも今日は風が殆ど無く、チラチラと木々の間から覗き見る富士の姿に歩みが少しだけ遅くなり声も弾んでいる。やがて奥多摩小屋の前を通過して徐々に上りに掛かるが、今日は雪も少なくアイゼンの必要もないようで、つづら折れの最後の急登を一息で小雲取の山頂分岐まで登ってきた。振り返り見て何度も感嘆の声を出していた奥多摩の山並みが、今日も変わらずにそこに有った。山頂まで少しの稜線歩きの間にも常に左手に見える奥秩父の山々と、その奥深くに白く聳える南アルプスの山並み、そして霊峰が鎮座し空気を僅かに重くさせ、雲取山への登頂の感動を一層に確かなものとして登山者たちに与えてくれているのだ。 雲取山の山頂だ。 いつもなら多くの登山者で賑わっている山頂も今日は誰一人も居なく、我々だけの贅沢な時を過ごし変わらぬ景色を確かめた後、避難小屋での温かな昼食休憩を挟み緩やかに下山を開始する。少しだけ早足となり稜線を歩いているが、ヘリポート辺りから気温の上昇に伴い登山道が一面緩くなり、登山靴が泥だらけになってしまった。なんとも残念な登山道だなと声を出すが、自然に抗い手を出しても多分無駄だなと知っている、そんな所なのだ、ここは。 ブナ坂の分岐から七ツ石山へ向かう最後の登りを、息を切らせながら登り登頂の記念の写真を撮ると後は登山口まで速やかに下るだけ、今日も一年の始まりの雲取詣でがこれで無事に終わろうとしているのです。安全に!そして無事に辿り着ければ。 振り返り、雲取が感動の山になり得るかは分からないが、少なくとも多くの人が訪ねる山だということを充分に知り、その訳を探して登り続けるのかも知れない。感動の山がその先に見えるのかも知れないなと思いながら、何度も何度も。 今日もおつかれ山〜 最後まで読んでくれた方々、長文になってしまい大変に申し訳ないです。平に平に! m(_ _)m
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