活動データ
タイム
03:41
距離
3.3km
のぼり
521m
くだり
521m
活動詳細
すべて見る武藤ガイド事務所の「子ノ泊山(ねのとまりやま)と熊野三山詣で」に参加した。今年の干支の名のつく山に登って、熊野三山(熊野那智大社、熊野速玉大社、熊野本宮大社)を詣でるという企画だ。当初H社でこの企画をしたが、参加者が催行予定人数に達しないため中止となった。それで武藤ガイドがその企画に準じた山行を行うことになり、当然ながらオッサンも参加することにした。 第1日目。 熊野本宮大社に参拝した後に子ノ泊山(ねのとまりやま)に登る予定だったが、雨の予報のため予定を変更し2日目と入れ替えとなった。大阪を出発し奈良県に入った頃からポツリポツリ、やがて本格的な雨となったが、三重県・熊野市を過ぎる頃には小雨となり、熊野那智大社に着いた時は雨は上がっていた。 熊野那智大社 車で那智大社近くまで行くことができるが、我々は登山をする者として、下の駐車場に車を置き、大門坂を登って登拝する。熊野那智大社に参拝の後は那智の滝のすぐ近くまで下りて、改めて雄大な滝を見上げる。立派な滝だ。駐車場に戻るため大門坂を下っていた時、平安衣裳を着た4人の若い女性と一緒になった。東京から、この衣裳を着て熊野那智大社にお参りするために来たそうだ。アマチュアカメラマンのおじさん達につかまって撮影会のようになってしまったが、嫌な顔もせずにニコニコと撮影に応じていたのには感心した。 熊野速玉神社 5時を過ぎると御朱印帳に記帳してもらえないかと心配したが、何とか滑り込みセーフ。間に合った。 第2日目。 起きて空を見るとほとんど雲のない絶好の登山日和。予定を変更したのは正解だった。上桐原を過ぎてから桐原側登山口までの林道は、対向車があれば離合に難儀するような細い道だったが幸い対向車はなく、無事登山口に到着。アプローチが悪いので登る人は少ないが、子の年は干支の山ということで登山者が増えるらしく、登山口に着いた時は駐車スペースにはすでに数台の車が止まっていた。登山は擁壁に架けられた鉄梯子を登っていきなりの急登で始まる。程なく勾配も緩やかになって稜線歩きとなる。途中で勾配がきつくなって、足元も粘土質の土で滑りやすい箇所があるが、まだ新しそうなトラロープが張られていて、そのトラロープをつかんで登ると登りやすい。山頂に着くと数人の先行者がいた。駐車場にあった車の人達だろう。山頂にはほとんど木はなく、360度の大展望が広がる。北の彼方には雪があるのか頂部が白くなった山が見える。南に目をやると熊野灘に面した熊野市の街並みも見える。山頂には、登山口で登る前に押した赤のスタンプに重ねて押す青のスタンプが置いてあった。赤と青の両方を押すと子の年の登頂記念スタンプが完成した。 熊野本宮大社 帰路は本宮町の熊野本宮大社にお参りして、熊野三山詣でが完了だ。熊野本宮大社には、サッカー・日本代表のシンボルマークにもなっている3本足の八咫烏(ヤタガラス)があちらこちらに見られる。熊野本宮大社のホームページを見ると、八咫烏は主祭神の家津美御子大神(素盞鳴尊)のお仕えだとある。大和の橿原まで先導したという神武東征の故事に習い、導きの神として篤い信仰がある、とのことだ。熊野本宮大社は、元々熊野川の中州・大斎原(おおゆのはら)にあったが、明治22年(1889年)の大水害で水害を免れた4社を現在の熊野本宮大社がある高台に移された。その大斎原には現在日本一の大きな大鳥居が建てられている。高さが約34mもあるという。この大鳥居にも金色の八咫烏が取り付けられている。
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